この記事は、ヴァチカンの教皇法廷の記録に基づいています。
「The Canon Law of the Church(教会法)」はすべての法律の上にあり、ローマ教皇庁はすべての法廷の上に置かれています。
誰も知らない
お金と国のはなし(1)
アメリカ革命(独立戦争)を集結させた1783年のパリ条約により、1789年、「アメリカ合衆国信託」の〝世話人〟という名で3人の国際評議員が設けられました。
- 臨時教皇庁のカトリック教皇
- 大英帝国※1の君主※2
- アメリカ合衆国郵便局長(市民)
※1 Bitain。イングランド、UKとも異なる。
※3 実質的にロスチャイルド家で通称クラウン。
アメリカ合衆国信託とは、アメリカ合衆国のあらゆる資産を管理するシステムです。
1794年、ウェストミンスター市国とクラウン・テンプルが、新しく誕生したアメリカ合衆国の永続と友好を誓ったウェストミンスター条約が締結されました。
※ いずれも大英帝国から独立した組織。
続いて、1845年のヴェローナ条約で「アメリカ国家信託※」の管財人であるヴァチカンの教皇と大英帝国の君主は、教皇首位説と王権神授説という相反する政治形態について合意を取り付けました。
※ アメリカ合衆国という国家の資産を管理する機構。
教皇首位説とは、すべての組織の上位にヴァチカンの教皇が位置するという考え方であり、王権神授説とは、大英帝国の君主は神が定めたもので、何人も君主の権利を侵害できないとする考え方です。
そして、ヴァチカンの教皇と大英帝国の君主の両方が背任行為を働きました。
大英帝国の君主は、「大英帝国クラウン商業会社」のメンバーに対し、公海上でアメリカの船舶から略奪するライセンス(免許)を与えました。
ライセンスとは本来、そうしなければならないという命令書で、略奪しなければ罰せられるという意味です。
また、大英帝国クラウン商業会社とは、現在の「The Bar Association(弁護士会)」のことです。「A Bar Attorney(弁護士)」のライセンスの起源は「Sir(卿)」です。
これに対しアメリカ合衆国は、大英帝国の弁護士が公職に就けないよう直ちに憲法を改正しました。
1860年、大英帝国の弁護士エイブラハム・リンカーンがアメリカ商業会社(アメリカ合衆国)の大統領に選出されましたが、違憲であり、アメリカ合衆国大統領としては行動できません。
これが、南部11州の代表が議会への着席を拒否し、議会を無期限に延期した理由です。
1863年、エイブラハム・リンカーンは、アメリカ合衆国の創設以来、国家の主体であった信託管理会社を破産させられました。
新しい信託管理組織が設立され、傲慢にも、再建という名目でこの組織はカトリック教会に「incorporate」、つまり組み込まれたのです。
こうして、「The United States of America, Inc(アメリカ合衆国株式会社)」が主体になりました。
「誰も知らないお金と国のはなし(2)」へつづく・・・。
