読書感想文

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小・中・高、夏休みの宿題といえばまずほとんどついてくるのが読書感想文。しかも読むべき本はリストで指定される。


私はこれがずっと嫌いだった。


本を読むこと自体は小学校時代から好きだったのだが、そして読み終えれば当然感想は持つが・・・・


なんでそれを教師にorみんなに発表しなければならんのよ?


感想文なんてのは提出するにあたって「教師が気に入る感想」は予め予想がついている。本くらいは自由に読みたいじゃないか。“・・・・・のように感じるべきものだ! ”なんて、感想まで強制されたくないね


いつもそう思っていた。こういうのも1つの反骨精神って言っていいのかな?



国語科の教師って、やたら自分の読み方,読後感想を押しつけてくるんだよな。


指定されたリストにある一冊を読んで(読まされて)、「つまらなかった」って一行感想を書いて提出したら怒られるんだろうな・・・・


子ども心に、お説教や書き直しに引っかからないように、先生の気に入りそうな感想を推量して書いた覚えがある。


それを“よく書けてたぞ”なんて誉められると、“ふふ~ん、俺は本当はそんなふうに感じちゃいないんだけどね”と、心中(しんちゅう)ではせせら笑ったこともあったかな。


強いられて偽りの感想を書くのがイヤでイヤでしかたがなかった。



今この仕事をしていて、特に投書の感想を書かせているときに気をつけていることがある。私に気に入られようとしてその子が偽りの感想を書いた場合には、徹底して叩くということ。感想は私の為に書くのではない。


例えば「電車で立っているお年寄りに席を譲る」なんてことが出てきたとき、譲りたくて譲るなら「譲りたい」と書くのは良いが、譲りたくないときに「譲りたい」って書いたら単なるかっこつけ。


「僕は譲りたくない」って、理由を添えてそのまま書けばよい。それを書いていくうちに「何が本当か」が見えてくる。



特に小学校時代というのは、教師が子どもに「こう感じるべきだ」というのを問答無用に押しつけすぎているんじゃないのかな? 子どもはそんな感想書きを「好きだ」と言うわけがない。


つまらなかった。その理由は・・・・こんな感想だって立派な感想だと思うのだが・・・

私ならそんな感想文も立派な感想文として認めるけれど。



教育的配慮って、大人の感じ方を事前に押しつけることではあるまいに