目覚めると、そこはどこまでも果てのない様に思われる暗闇で。
青子はそんな場所でまず何よりも快斗の事を思った

青子・・・と、名前を呼ぶ。
先ほど聞いたばかりの快斗の声。
生きて戻ってこられないかもしれない。
そうギュンターに聞かされていたから。
だから、快斗の声が聞けた事。
それがとても嬉しかった。
だけど・・・。

青子はその時になり初めてまわりを見渡す。
とは言っても。
やはりどこまでも深い闇が続いているだけで、そこに出口があるとも思えない。
青子は少し怖くなり、体の前で腕を組むと、その場でくず折れるようにして膝をつき座り込んだ。

「快斗・・・。」
抱えた膝に額を強く押しつけて強く瞼を閉じる。
どうしょうもなく独りきりの世界に心が折れそうになる。

そんな自分に気づいた時に、もう一度快斗の事を思った。
ずっと快斗は、現実の世界でも独りきりで戦っていたのだという事を思い出して。
ふと青子の頬に一筋の涙が伝う。

父である盗一の為に、誰にも許されない戦いを決意した快斗。
罪も悪も。
その裏にある強い信念も。
ずっと独りきりですべて背負い続けてきて。

だから、もし。
あの日あの時に、青子が快斗の真実に気づかなければ。
快斗は今も間違いなく。
きっとひとりでいる事を貫き徹していたのだろうと。
その事実に気づいて青子は顔を伏せた。

閉じた目の端から涙が止めどなく溢れてきて。
気がつくと自分自身の嗚咽の声が、暗闇の中、自らの耳朶(じだ)に響いた。

(泣いちゃダメ・・・。)
そう自分自身に言い聞かせようとするほど、その涙は次から次へと溢れて止まらなくなる。

「快斗、快斗・・・!!」
ひたすら名前を呼び続ける。

ふと青子の心の中に先ほどのヨハネスの言葉が浮かぶ。
『青子は知ってるんだよね?彼が今まで何をしてきたのか。』
まるで悪魔の囁きみたいに自分の心を浸食していく声。
『青子を騙して。嘘を吐き続けて。彼のせいで青子の父親は世間の笑いものにされた。』

一言も反論出来なかった。
その事実に青子は唇を強く引いて涙をこらえるようにしながらもう一度顔を伏せる。

快斗が父や自分を偽り続けてきた事は事実で。
青子の存在や立場。
それに幼馴染という、青子と快斗にとってはこの上もなく大切な関係さえ、快斗が盗みの為に利用し続けてきた事も。
ヨハネスが言う通り紛れもない真実で。

(それでも・・・!!)
青子は強く閉じた瞼の裏に快斗の姿を思い浮かべて。
それからゆっくりと顔を上げた。

「快斗。」
青子は暗闇の中でそう呼びかけた。
「青子は知ってるよ。」
快斗はいない。
それは良くわかっている。
それでも、そう声に出してみる事で、その想いは快斗に届くんじゃないか・・・と。
そんな気がしていた。

青子は流れる涙はそのままに笑みを浮かべる。
「快斗の強さも。優しさも。青子はちゃんと知ってるよ。」
だから、大丈夫・・・と。
そう言いながらもう一度微笑して。
そして、もう一度膝に顔を押しつけて泣いた。

しばらくすると、青子の頭にふと快斗の指先が思い浮かんだ。

快斗のその長くてスッと伸びた綺麗な指先はいつも、見るものすべてを夢の世界に誘う素敵な魔法を創り出す。
そしてその指先が青子を求めて。
青子の為だけに、優しく動く瞬間がある事を青子は知っている。

梳く様に髪を撫でて。
手を繋いで。
子どもみたいに指先を絡ませる。
そんな時快斗は、決まって少しだけ切なげな顔をする。

いつも大人びて見える快斗なのに、そう言う時だけその横顔はとても幼く見えて。
そうして抱き締められた時の、儚げにも見える表情を青子は思い出して。

そのひとつひとつが全部、青子にとっての宝物なのだと。
そう青子は改めて強く思った。

だからこそ、青子はその想いのすべてをいつも快斗に伝えてあげたいと心から願う。
そう思いながら青子が目の端の涙をぬぐいながら瞳を閉じかけた。
その時だった。

突然淡く光り出した目の前の空間に、青子は大きく目を見開いた。
[newpage]
「ギュンター・・・君?」
光の中で少しずつ実体を浮かび上がらせるその人影に青子は呼び掛ける。

「懐かしいな。」
ふと、その人影が笑う。
「快斗達も初めて会った時、僕の事をそう呼んでいたよ。」
その声に青子は大きく目を開いた。

少し癖のある話し方と肩先まで伸びた綺麗な髪。
端正な顔立ちはやはりギュンターに似ている気もしたが、その声は青子が知っているギュンターのものとは全く違っていた。
だからといって、先ほどまで自分を蛇の様な目で見つめていたヨハネスとも別人の様に思えて、青子はその場で首を傾げる。

「誰?」
問い掛けた青子に目の前で立ち止まった青年が青子の顔を見てにっこりと笑い掛けた。
「こんにちは、青子。」
呼び掛ける声はとても優しく暗闇の中に響いて。
青子はますますわけがわからないまま、不安の入り混じる顔でその顔を見上げる。
「大丈夫。心配しなくていいよ。僕は君の味方だから。」
まるで心の裡を悟った様にその声の主は優しく微笑すると青子を見つめながら言った。

青子はその声に心の奥底でくすぶる不安が一気に溢れ出しそうになるのを感じて目に涙を滲ませた。
「あなたは・・・。」
問い掛けた青子にその男がもう一度微笑んで笑みを返す。
「快斗の友達だよ。」
「快斗の?」
「うん。」
問い返した青子にその男がもう一度笑顔で頷く。

それから男は少しだけ腰を屈めると、真正面から青子の顔を覗き込んだ。
「本当に・・・良く似ている。」
「えっ・・・?」
声を上げた青子を男が切なげに見つめる。
「ゴメンね、青子。」
男はそう言って顔を伏せた。
「わかってるんだよ、本当は僕も。」
そう男は深刻な顔で言うと、何かに思いを馳せる様に目を細める。
「君はサラじゃない。今更何をしたところでサラを取り戻す事なんて出来ない。わかってるはずなのに。なのに僕は・・・。」
呟いた声がそのまま闇の中に掻き消されていく。
男はそう言うと一瞬だけ瞼を伏せて。
それからもう一度顔を上げて言った。
「悪いのはすべて僕なんだ。僕の弱さがみんなを不幸にしている。青子も、快斗も。それから・・・。」
そう唇を噛み締める表情はやっぱりギュンターに良く似ている・・・と思い青子は顔を上げた。

男はそんな青子に視線を向けると、その場で片膝をついて腰を下ろした。
「青子。これだけは覚えていて。何よりも大切なコト。」
そう言うと男は恭しく青子の手を取り真剣なまなざしで見つめる。
「快斗が君を愛してる事。君が快斗を愛してる事。」
男は青子の手を強く握り締めると柔らかい微笑を浮かべる。
「君の心の奥底にある大切な想い。快斗を信じる気持ち。決して・・・消してしまわないで。何があっても、絶対に忘れてしまわないで。」
お願い・・・と。
そう、切なげに微笑む男に青子は首を傾げる。

「どういう・・・意味?」
「それはね・・・。」
問い返した青子に男が言い掛けて応えようとした。

その時だった。

青子の目の前にあったはずの男の姿が突然強い光に包まれたかと思うと、次の瞬間内側から弾けたみたいにその場で一瞬で霧散する。
そして後にはまるで元から何もなかったかの様に、何もない空間だけが残されていた。

「なに・・・!?」
わけもわからず呟いた青子の目の前で、先ほどと同じ様に光の中で人影が浮かび上がった。
すぐに実体をともなって笑い掛けてきたその人物に青子は目を見開くと、そのままそろそろと後ずさる。
「イヤ・・・!!」
呟いた青子を見て男が口許を引き上げて笑う。
感情のこもらないその笑みに青子は膝がガクガク震えるのを感じてその場で崩れ落ち座り込んでしまった。
「まだ何もしていないのに。」
そう言って楽し気にクスクス笑う声が闇の中に響く。
「私を受け入れてくれないのかい?青子。」
問いかけたその声に青子はきつく瞼を閉じると唇を強く引いて首を横に振った。

そんな青子に目の前の男・・・ヨハネス・フォン・ゴールドバーグが少しだけ目を細めると微笑して青子に笑い掛ける。
「私はこんなに君の事が好きなのに。」
そう言ってねっとりとした目で青子の目の前で腰を下ろし顔を近づけてくる。
「イヤ・・・!!」
青子はもう一度その場で首を強く振った。
「快斗・・・。」
救いを求める様に自然にそう口にした青子に一瞬だけヨハネスが横目で感情のこもらない視線を向ける。
それから嘲りの混じる笑みを浮かべて言った。
「無駄だよ。ここは私の幻の中だ。彼がここに姿を現す事は100%あり得ない。」
青子はその言葉を必死で否定するように首を強く振る。
目の端から零れ落ちた涙が闇の中で光った。
それすらも愛おしそうに見ながらヨハネスは言った。

「彼は残念ながら戻ってきてしまったみたいだけどね。私は君をここから逃がす気はないから。絶対に・・・。」
淡々とした口調で。
それでもハッキリと告げられたその言葉が偽りなどではない事を強く感じて、青子は何も言えないまま大きく目を見開く。
「君は一生ここにいるんだ。私と共にね。」
「イヤ・・・。」
俯いてもう一度首を振った青子にヨハネスが笑い掛ける。
「構わないよ。君の意思は関係ない。いや・・・正確に言うと、必要ない・・・かな?」
ヨハネスはそう言うと、青子の腕に手を伸ばした。
その細い手首に光るブレスレットを見下ろし冷笑を浮かべる。
「大丈夫、私の術はギュンターとは違って完璧だよ。君は彼の事を二度と思い出す事はないし、彼の罪を思って煩わされる事もない。君はもう何も思い悩む事なく生きていく事が出来るんだ。素晴らしいと思わないかい?」
青子はその言葉にハッキリと拒絶の意思を示すと必死にその手を振りほどこうとヨハネスの腕の中でもがいた。
そんな青子の手首をもう一度しっかりと握り直してヨハネスが冷たく笑う。

「すぐに終わるから、大人しくしててね、青子。」
ヨハネスは冷え切った声でそう言うと、空いている左手の指先を青子の額に押しあてる。
「何を・・・?」
問いかけた青子にヨハネスが微笑む。
「君が知る必要のない事だよ。」
ヨハネスはそう言うと、薄い唇を弧の字に引き上げて笑う。

「それじゃ・・・。サヨナラ、青子。」
微笑して告げられたその声と同時に青子は意識が遠のいていくのを感じた。
「快斗・・・。」
最後の瞬間、そう口にした青子は強く瞼を閉じて、快斗の顔を頭に思い描く。
『青子。』
そうして急速に遠ざかっていく意識の中で、青子はただ快斗の事だけを思い続けた。
[newpage]
「光の散乱と反射・・・か。」
ヘリの後部座席に座り窓の外を見ていた快斗が呟くと、隣に座るコナンがその顔を見上げて首を傾げた。
「何だよ、突然。」
溜息混じりにそう言って少しだけ笑ったコナンを快斗は振り返り口を開く。
「前にお前が言ってただろ?海の青と空の青。同じ様に見える青でも違うモノなんだって。」
「あぁ。」
その会話をした時と全く同じキッドの衣装を纏いながら、ありのままの飾り気のない口調でそう話し掛けてくる快斗に、コナンは感慨深いものを感じながら目を細める。
「確かに言ったな。」
「だろ?」
応えたコナンに頷き返すと、快斗はもう一度窓の外に目を向けて言った。

「確かに違うよな・・・って。そう思ってさ。」
静かな口調で快斗はそう言うと、目を細めて遥か遠くに見える空と海の境目を見つめる。
「空と海。天と地に分かれててさ。水平線の先をどこまで進んでも、そのふたつの青は決して交わる事はないんだ。それってやっぱり・・・。」
言い掛けて数拍の間をおいてから、快斗は目の前にいるコナンを見つめる。
「絶対的に別物なんだ・・・って事だよな。」
「そうだな。」
らしくなく真顔でそう口にした快斗にフッと笑みを浮かべて応えたコナンは一瞬だけ瞼を伏せる。

「空も海も。果たすべき役割もそのあり方もまったく別物だけど。絶対にこの世界になくちゃならないものだし、どんなに変化し続けたとしても変わらずにずっと永遠にあり続けるものだろ?だから・・・。」
コナンはそう言うともう一度快斗の顔を見上げて微笑を浮かべる。
「いいんだよ。どんなに違ってたって。別に交わることがなくたって。ずっとそばにある。何があっても。」
「名探偵・・・。」
呼び掛けた快斗にコナンが軽く息を吐いた。

「まさかお前とこんな話をする事になるなんて、思いもしなかったけどな。」
そう言って笑うコナンに快斗も頷く。
「それはそうだろ?まさかお前と・・・って。今こうしてても夢じゃないかって思うし。ましてや・・・。」
快斗はそう言うと、目の前に座る見慣れた背広姿に目を向けて苦笑する。

「なんだね?」
その視線に気づいた当人・・・中森警部が腕を組んだままわずかに顔を上げる。
「まさか組織のボスと決着つけに行くのに警察のヘリで、しかも警部同伴で・・・とか。思いもしなかったし。」
「だよな。」
そう言って快斗はコナンと顔を見合わせて笑った。

そんな二人を交互に見て警部が口をへの字に曲げたまま話始める。
「当然じゃないか。子どもに付き添うのは大人の義務といいうものだ。そうですな、黒羽さん。」
「もちろんですよ、警部殿。」
そう応えたのは副操縦席に座る盗一だった。
「この子達だけでは危なっかしくて見ていられませんからね。」
そう言って笑う声に快斗が深い溜息を吐き出す。

「なんでちゃっかり親父までついて来てんだよ。さっきオレ達に行って来いって手ぇ振ってなかったっけ?」
「僕も確かに見たけど?おじさん、いつの間にか先回りしてこのヘリに乗り込んでるんだもん。」
不満そうに口々に声を上げるコナンと快斗を見て顔を見合わせた警部と盗一が微笑を浮かべる。
「いつも君達には驚かされてばかりだからね。」
「たまには我々から仕掛けるサプライズがあってもいいとは思うがね。」
そう言って笑う盗一に快斗が溜息混じりに苦笑して応える。
「オレからしてみりゃ親父はその存在そのものが既にサプライズ・・・みたいなものなんだけど。」
快斗はそう言うと、盗一の右側に位置する運転席へと視線を向けた。

「もう全部寺井ちゃんの差し金だろ?」
ジト目で唇を尖らせた快斗に操縦桿を握る寺井が左手で汗を拭う。
「いやはや、とんでもございません。私はすべて盗一様のご指示に従ったまででございますので。」
そう言って苦笑いを浮かべる寺井に快斗はもう一度溜息を吐いて頷く。
「わかってるよ、寺井ちゃんの中で親父が一番なのは仕方ねぇし。それで、警部・・・。このヘリってもしかして・・・。」
言い掛けた快斗に警部が頷く。

「もちろん。キッド逮捕の為に借り受けてきた機体だよ。」
警部はそう言うと、横目で快斗に視線を向けてわざと大きめに溜息を吐く。
「当然帰ったら始末書ものだろうがね。」
警部のその言葉に快斗がフッと息を吐いて応える。

「そうはならないと思いますよ、警部。」
そう言って微笑する快斗にコナンと警部が同時に顔を上げる。
そんな二人の視線を横目に感じながら快斗は言った。
「青子を助けて、ヨハネスを捕まえて。それで、組織を壊滅させる事が出来れば、あとは警部に任せます。オレの・・・キッドの事は好きにしてください。」
「快斗君・・・。」
呼び掛けた警部に頷くと、快斗は顔を上げて盗一へと視線を向ける。
「パンドラは任せるからな、親父。」
気負いなくそう告げた快斗に盗一が何も言わずに頷く。
「お前・・・。」
呼び掛けたコナンに快斗が微笑して応えた。
「ちゃんと責任はとるって言ったろ?」
「だからって。いいのか?それで。彼女は・・・!?」
距離を詰めて顔を覗き込んでくるコナンに快斗は苦笑をもらす。
「監獄にぶち込んでやるとか、威勢よく叫んでなかったっけ?」
「だから、いつの話してんだよ?ていうか、あからさまに話逸らすなよ。すげぇムカつく。」
そう言ってコナンは鋭い視線を快斗へと向ける。
「お前そんな何もかも理屈で割り切れるような大人しい人間じゃねぇだろ?ぜってぇムリしてるに決まってんだから!!」
半ば叫んでそう声を上げたコナンに快斗は一瞬だけ大きく目を開いてからクスリと小さく笑みを零す。

「何笑ってんだよ?」
「いや・・・だって。」
そう言って快斗は堪え切れずにクスクスと笑い出す。
「すげぇ本気で心配されてんだな・・・って思ってさ。」
「たりめぇだろ?当然だ。」
不機嫌そうに視線を逸らしたコナンに快斗が微笑して頷く。
「この姿でそれを当然だ・・・って言われるのが、今でも信じらんねぇ。」
快斗はそう言うと、切なげに目を細める。
そうして顔を上げると窓の外を見て、視界の先に見え始めた小さな島に目を向けて言った。

「青子の事だって・・・ずっとそばにいたいって思う。一秒だって離したくたいし、今だって・・・。」
そう言って快斗は島の奥を見据えたまま唇を噛み締める。
あの場所で囚われている青子が今も無事なのかどうか?
それを思うと胸の奥が掻きむしられる様に落ち着かなくなり、今すぐにも一人で飛び出して飛んでいきたい衝動に駆られた。
その気持ちをグッと自分の中で抑え込んで掌を強く握り締める。
「でも、だからこそ。今までの事全部、水に流して・・・なんて、絶対に出来ないって思う。」
快斗はそう言うと真顔で目の前のコナンを見つめる。
「青子とも、お前とも。ちゃんと真正面から向き合いたい。恥ずかしくない自分でいたい。その為にはやっぱり、取るべき責任は果たさねぇと。」
真剣な表情でそう言ってから、ふと目許を緩めて笑う快斗の顔をコナンは唇を強く引いて見上げる。

そんなコナンを見下ろして快斗は立ち上がると、窓の外を見下ろして言った。
「とにかく今は、あそこから一刻も早く青子を連れ戻す事。それが先決だけどな。」
そう言って間近に迫りつつある屋敷に目を向ける。
「そうだな。」
立ち上がり応えたコナンに頷くと、快斗は目の前にいる警部に言った。

「それじゃ、警部。必ず青子は連れ戻します。警部は海辺のあたりにヘリを着陸させて待機しててください。」
「わかった。気をつけるんだよ。」
掛けられたその言葉を真正面から受け止めて快斗は頷く。
「はい。」

それから快斗は顔を上げて副操縦席に座る盗一へと視線を移した。
「親父、あとは任せるから。もしオレが戻らなかったらその時は・・・。」
「必ず戻りなさい、快斗。」
言い掛けた快斗の言葉を遮り、盗一がいつになく強い口調で告げる。
「お前の帰りを待っている人達がいる。その人達を悲しませる様な事があっては絶対にいけない。」
「親父・・・。」
「それが何よりも、お前が果たすべき責任だと・・・私は思うがね。」
盗一のその言葉に快斗は一瞬だけ大きく目を見開いてから深く頷く。
「わかった。必ず戻る。」
「待っているよ。」
そう言って目許を緩めて柔らかく微笑した盗一に快斗はもう一度頷くと、足元にいるコナンを見下ろす。

「それじゃ・・・。」
「ああ。」
答えたコナンを腕に抱え上げると、快斗はヘリの扉をスライドさせる。
吹き込んでくる叩きつける様な海風を体全体で感じながら、持っていかれそうになる体を強く支えて快斗は眼下に見えてきた屋敷を見据える。
「青子、今行くから。」
呟いた声は翻るマントの音と鳴り響く風音にその場で掻き消された。
それでもその声をすぐ耳許で聞いていたコナンが一瞬だけ顔を上げる。
「行くぜ・・・、名探偵。」
腕の中でコナンが頷くのと同時に、勢いをつけて快斗は空中へと飛び出しすぐに背中の翼を広げた。
海風に煽られながら風の流れを読み体を気流にのせると、そのまま屋敷の中庭を目指した。

「名探偵。」
少しヘリから離れて気流が安定してきたところで呼び掛けた快斗にコナンが顔を上げる。
「どうすればいいと思う?」
「どうすれば・・・って?」
問い返したコナンに快斗が間近に迫りつつある屋敷を見下ろして険しい表情を浮かべる。
「オレがあの世界で出会ったヨハネスには、今ここにいるヨハネスを助けてくれって言われた。でも、そのヨハネスは青子を・・・。」
言い掛けた快斗が唇を強く噛み締める。
「本気で青子を奪おうとしてるヨハネスをオレは・・・。」
そう言って顔を伏せた快斗の顔を見上げてわずかに目を細めると、コナンはフッと息を吐いて言った。

「らしくねぇ顔してんじゃねぇよ。」
「名探偵・・・。」
呼び掛けた快斗にコナンが笑みを浮かべる。
「お前の思う通りにしてみろよ。」
「でも・・・。」
「俺はお前が出した答えを信じてる。」

静かな口調で。
それでもハッキリと告げたコナンに快斗が大きく目を見開く。
そんな快斗に笑みを返してコナンは続けた。
「たぶんオレ達が会ったヨハネスも。そう言うんじゃねぇかな。」
コナンはそう言うと、着陸態勢に入った快斗の顔を見上げて微笑む。
「言っただろ?必ず。何があってもお前のそばにいる。絶対にな。」
「名探偵・・・。」
「絶対に一人にはしない。だからお前も、一人で悩むな。大丈夫だから。」
コナンのその言葉に数瞬だけ顔を伏せると快斗は微笑して頷く。
「サンキュー、名探偵。」

応えると快斗は着陸寸前でふんわりと体を浮かせてゆっくりと地面に足を下ろした。
そうして腕に抱いていたコナンを下に下ろして顔を上げると、目の前にある屋敷へと目を向ける。

「やっぱり・・・同じだ。」
呟いた快斗にコナンが頷く。
「いい思い出なんて、ないはずなのにな。」
「ああ。しかもここ・・・地図に載ってないとはいえ、日本の領海内だぜ?なんでわざわざこんな場所に・・・。」
そう口にした快斗にコナンはハッとした顔で快斗を見上げると目を大きく開いて快斗を見つめる。
「もしかして、この屋敷って・・・。」
言い掛けたコナンに快斗が微かに首を傾げて視線を向けた。
その時だった。

屋敷の入り口の扉がゆっくりと開き始めるとそこに人影が見えた。
それに気づいた快斗とコナンは張り詰めた表情で唇を強く引くと、そこに見えつつある人影に目を凝らしていた。
[newpage]
再び目を覚ました時、ギュンターは目の前の光景に瞠目した。
「お祖父・・・様。」
呼び掛ける声が震える。
瞬きが出来ない。
ふと視線が絡み合い、その少女が微笑を浮かべる。

それが誰かなど間違えるはずもない。
「アオ・・コ・・・。」
呼び掛けると目の前の少女が、不思議そうに首を傾げる。

「誰?」
逆にそう問い返されて掌を強く握ると、それには応えずにギュンターはもう一度自分の祖父であり組織のトップであるヨハネスへと視線を向けた。
「お祖父様!!青子に何をしたのです!?」
叫んだギュンターにヨハネスが笑う。
「見ればわかるだろう。」
ヨハネスはそう言うと、隣にいる青子の細い腕を掴み引き寄せ、その顔を愛し気に見上げる。
「彼女は私の大切な人になったんだよ。」
そう笑い掛けたヨハネスに青子が笑みを返す。
それを握り締めた掌を震わせながら聞いていたギュンターがヨハネスに歩み寄り、目の前で立ち止まって叫んだ。

「青子の記憶を奪ったのですか!?」
問い掛けたギュンターにヨハネスがクスリと嘲りを込めた笑みを漏らす。
「可笑しいね。お前が私にそれを問うのかい?」
ヨハネスはそう言うと、青子を隣に座らせて髪を撫でながら横目でギュンターを見る。
「お前にその資格があるとでも?」
自らの罪を問うその視線にギュンターは強く唇を噛んで、血管が浮き出るほど掌を強く握り締めた。
そんなギュンターを見ながらヨハネスが微笑して言った。

「それに彼女は青子ではない。」
その言葉にギュンターがハッとして目を見開いた。
「ま、さか・・・。」
「サラ。」
ギュンターの目の前でヨハネスがそう呼び掛けると、青子がその手を取って穏やかに微笑んだ。
一瞬何も言えずに唇を震わせたギュンターに青子が目を向ける。
そんなギュンターをもう一度横目で見てヨハネスが青子に言った。
「サラ、私の孫のギュンターだよ。」
そう告げたヨハネスに青子が微笑むとヨハネスは目を細めて笑みを返した。
そんな青子を何も言えないまま見つめていたギュンターに気づいて青子が顔を上げる。
「どうなさいましたの?」
問い掛けると心配そうに青子はギュンターを窺う。
「アオ・・・コ・・。」
そう呼び掛けて手を伸ばしたギュンターに青子がもう一度首を傾げた。
「それは、どなた?」
逆に問い返されてギュンターがクッと唇を噛むと、青子の手首を掴んで持ち上げた。

「君の事だよ、アオコ!!忘れちゃったの?カイトの事!!」
ギュンターは手首に巻かれたブレスレットを青子の目の前に突きつける様にして叫んだ。
「これ、カイトが君にプレゼントした、君の大切なものなんだろう?大切な想い出が詰まってるんだろう?」
ギュンターはヨハネスから引き離そうと青子の腕を強く引いた。
「カイトが君を待ってる!!君はサラなんて名前じゃない、アオコだ!!だから・・・!!」
そう言って歩き出そうとしたヨハネスを見上げて青子が青ざめた顔で体を震わせる。
「嫌・・・。」
怯えた様に顔を伏せた青子にギュンターが再び瞠目した。
次の瞬間、ヨハネスが立ち上がり青子の腕を強く引くと、ギュンターを突き飛ばし鋭い視線で見下ろす。

「見てわからないか?サラが怯えているだろう。」
当然の如くヨハネスが口にしたその言葉にギュンターが座り込んだままの体勢でヨハネスを見上げる。
「お祖父様、彼女はアオコです!」
「違うよ。私の大切なサラだ。」
そう言われてヨハネスが目を大きく開いて叫んだ。
「違います!アオコです!!アオコは・・・!!」
言い掛けたギュンターがその次の瞬間パタリと動きを止める。

「な・・にを・・・。」
絞り出す様に掠れた声を上げたギュンターにヨハネスが軽く息を吐いて言った。
「大した事はない。ノイズしか流さない君の声を奪っただけだよ。」
ヨハネスはそう言うと、ギュンターに歩み寄り目の前に腰を下ろす。
「彼女はサラだよ。それ以外の事実は必要ない。」
一方的に告げられた言葉にギュンターが唇を噛んだ。
「ちが・・・。」
「ギュンター。」
ヨハネスが額に指先をあてながら冷めた視線でギュンターを見下ろす。

「もうすぐ彼がここに現れる。丁重にもてなしてあげるんだ。わかったね?」
子どもを諭す様な口調でそう言うと、ヨハネスは不気味なほど穏やかな微笑を浮かべた。
「もちろん組織の暗殺者、スパイダーとして。」
ギュンターが何も言えないまま首を強く横に振る。
「組織の命令に逆らう事は許されない。わかっているね、ギュンター。」
ヨハネスはそう言うと、青子を振り返り目を細める。

「彼の存在に彼女が惑わされる事のない様に、確実に命を絶つんだ。わかったね?」
ヨハネスが告げた瞬間、首を横に振り否定の意を示し続けていたギュンターが弾かれた様にその場に倒れこんだ。
そして数瞬後・・・。

「わかりました、お祖父様。」
すっくと立ち上がったギュンターが言った。
「確実に・・・キッドを仕留めて参ります。」
感情のこもらない声でそう告げると、ギュンターはその場で踵を返し扉を開けて部屋を出て行った。

「頼んだよ、ギュンター。」
ヨハネスはそう言って微笑すると、もう一度隣にいる青子の腕を引き寄せた。

そこには何事もなかった様に微笑む青子の姿があった。