2015年の振り返りの一環で、自分のtwitterを読み返していて、来年に引き継ぎたい気付きがたくさんあったので、ピックアップしてみました。

つぶやいておくと、こうして振り返ることができて良いですねぇ。2016年も、気が付いたことは、何かしらの手段で記録しておこうと思いました。


授業をする時間は、ハレでありケ、ケでありハレという不思議な時間です。

その人が去りし後に、その人の哲学を受け継ぎ、守り続けることは、最大の敬愛の表現なのだろうな。

危機や課題に気が付いたとき、解決に向けて踏み出す当事者意識を私は格好良いと思う。ここ数日、大学生のころにお世話になった上司の「変化を起こす主体となれ」という言葉を何度も思い出している。口先だけで、美しく立派な客観的分析をしてみせる人よりも、泥臭い主体的実践が好きなのだ。

昔お世話になった人が「楽園はないんだよ」と言った。確かに、無条件で幸せになれるような楽園は存在しない。転職や結婚(離婚)がバラ色の選択肢に見えるときもあるけれど、そうとは限らない。その場で自分でどうするかに尽きる。その点には全力で同意する一方で、「地獄」は存在するよな、とも思う。もし、自分の置かれた環境が「地獄」に該当すると思った場合(どんなに努力や工夫をしても、自分の力では環境を好転させることが不可能だと悟った場合)、そこを去ることを選べるだけの実力を持っておくことが大切なのだろう、と思う。

結局、人と人との関係は、固有名詞同士のかけがえのないものであって、「付き合う」「同棲する」「結婚する」「出産する」といった営みによって安定的に保証されることはなく、ずっとメンテナンスし続けなくてはいけないし、その方法はケースバイケースなんだってことに、もっと早く気付けば良かった。

黒歴史を輝かせてくれる奇跡のキーワードが「青春」なんだろうなー。

「駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人」(世の中には階級・職業がさまざまあって、同じ人間でありながらその境遇に差のあることのたとえ。また、そのさまざまの人が、うまく社会を構成していることのたとえ)

OL時代、毎日の集荷のたびに笑わせてくれた郵便局のお兄ちゃん。最終日には、「僕には夢があります。それを叶えるべく日々頑張っています。吉田さんの夢も叶うよう祈っています」という、お手紙までくれた。連絡先も知らない彼がいつか、私の名前や顔をどこかに目にすること。それが一つの目標。

20歳前後の頃、具体的なテクニックやノウハウ、裏情報が知りたかった。「人を大事に」といった、シンプルで言い古されたようなフレーズを退屈だと思った。そんなのは知っていると思った。でも、結局、そうした原点に戻ってくるのだろう。言葉を知っているのと、分かっているのと、できるのとは違う。

別に何のプレッシャーもかけられていなくても、でも、こちらは良い格好をしたいから勝手に頑張るという、それくらいの感じが最適なのではないかとか。

今日お話を聞いた方は、難しいことをたくさん勉強した成果を、易しく分かりやすく、そして楽しくお話しくださる。自分が学んだときのワクワク感が、熱量が、話し振りから伝わってくる。私もあんな風になりたいと思う。そんなロールモデルのお一人。

ある時期から、とても「立ち会う」という言葉が好きだ。その場にその人が立ち会ってくれたという事実自体がとてもありがたくて、嬉しくて、自分の人生にとって大きな意味があるということがある。具体的に何を手伝ってくれたわけでもないし、別にいなくても良かったのかもしれないとしても。今朝のそんな体験を思い返しながら、私が生徒に対してできることも、立ち会うことだけなのかもしれないと考えてみたりする。あの子たちは勝手にキラキラ成長していく。私なんかいてもいなくても。←この「なんか」は卑屈な意味ではないよ。

私の背骨は、「学ぶことと、働くことと、遊ぶことが渾然一体となった状態で、毎日楽しく生きていきたい」ということで、それは、今後どんな風に人生が転がろうと実現される気がしているから、最近は怖いものが少ないのかもしれない。

語る対象への愛、お客様への愛、そして本人の愛嬌。その3つの愛があれば、細かい話術なんか気にならないのでは。

片岡仁左衛門さんのインタビューの中に、"若い人は引き出しが少ないのに、その引き出しの中で何とかしてしまおうとするのを見る。奥行きを増す努力をしないと。役がつく幸運に甘んじて、流れ作業でこなしてはいけない"という趣旨の言葉があって、感銘を受けた。

教えてもらったことがたくさんあるのだけど、中でも、大きく感銘を受けたことに、「1人は“ぼっち”とは限らない」ということがある。別の観点から言えば、「1人で過ごしていても、十二分に心が満たされている人はいる」という。このことに実感を持てたのは大きかったなー。

今日、素敵な女性起業家の方に、「40代、楽しいわよ。早くおいで」とのお言葉を頂戴しました。あと10歳、歳を重ねることを楽しめそうです。あんな風に、歳を重ねることを楽しみに思わせてくれるお姉さんになりたいものだー。例えば、生徒が大人になったり働いたりすることを楽しみにできるような。とりあえず、30歳の今の実感として言えるのは、30代、楽しいよ❤︎

“「机上の勉強でも視野を広げることはできるし、将来に備える土台は築ける」と実感しました。”という体験記に感激している。そうなんだよ、それが勉強なり学問なりのパワーなんだよ。もちろん、それだけではないんだろうけれど、机上の勉強で結構いろんなところに行けるんだよ。

塩沼亮潤さんが千日行に臨んだ理由として、お釈迦様が「同じことを同じように毎日情熱を持って取り組んでいたら悟る可能性がある」ということを言っているから、という話をされていた。その発想で行くと、「行」は、私の場合、授業であっても良いのではないか。毎日情熱を持って、ね。

「長年同じことに取り組んでいると、本人は、若いころのことを稚拙だったと感じるようになるけれど、周りで見ていた人たちの中には、そのころの方を好む人もいる。勝負事の結果も、若い頃の方が出ることもある。それでもなお、研鑽し続ける根気を持てるかどうか」と羽生さんの話を聞きながら思うなど。

今日あさチャン卒業の齋藤先生。最後の語りで、素敵な言葉をご紹介されていた。「心の中に豊かな他者を持つ」。

視野が狭くなっているときには、ある人の言動が自分に敵意(あるいは好意)を持ったものだと感じて一喜一憂してしまいがち。長きにわたって、広く見れば、その人の気質や置かれた状況で説明できてしまうものが存外多いものだ。

今日感動した三津五郎さんの言葉、「壁だと思っていたところにドアがあり、そこにもまた道があった」を紹介したら、「きちんとぶつかるからこそ壁が見えるんだと思うんだ。きちんと壁にぶつかろうとしないと、壁を見ないようにしていると、ドアも道も見えないんじゃないかな」と言われて感動再び。

学生時代、チーフ講師にしていただいたときに“役割が人をつくる”という言葉を教えていただいた。山本五十六「中才は肩書によって現はれ、大才は肩書を邪魔にし、小才は肩書を汚す。」 を見ながら、ふと思い出すなど。

横内謙介「映像の力と拮抗しうる言葉の力を育てなくてはならない」

組織に思い入れのない人は怒りから物を言う。組織に誇りや愛着を持つ人は憤りから物を言う。

憤りから、その組織の改善のために問題提供をしたのに、聞く耳を持たれなかったとき、人は絶望して辞めていく。その後ろ姿を見るのは哀しい。個人的な怒りから文句を言うタイプの人は、文句を言いながら、意外と長くその組織にいるのよね。

似たようなことが立て続けに起こるとき、「いい波が来てる」と思うこともあれば、「どうしてこんなことばっかり……」と思うこともある。ポジティブな方は良いのだけど、ネガティブな方は一度メタ的に俯瞰して、事実ベースで冷静に確認して、プラマイゼロの認知に戻したいなー。

努力が報われるとは限らないけれど、そうであったとしても、努力せずにはいられないテーマに出会って、努力をしている人は格好良い。

石を投げたら波紋が広がるように、自分が何かを投げ掛けたら(ほんのちょっとかもしれないけれど)世界は変わるのだなぁ。ポジティブなアクションを起こせば、1mmかもしれないけれど、先に進む。楽しいことはつくればいいよ、だ。

昔は「自分が育てたんだぞ!」と言いたい気持ちがかなりあったのだけど、最近はもっとシンプルに、接していて「すごい子達だなぁ」と思って、「あの子達すごくね!? すごくね!?」と言って回りたい気持ちです。

羽生善治さんの言う「玲瓏」と、白鵬の言う「木鶏」が同じ境地なんだろうなぁ。玲瓏とか木鶏とか明鏡止水とかって、最初からそうである(ように見える)のは、単に無感情・無感動なだけで、様々に掻き乱されてもがき苦しんだ先にある境地なんだろうな。色って混ざったときに濁る組み合わせもあれば、光の三原色みたいな場合もある。そのイメージ。

つ、疲れた…と思ったところから、あと一頑張りすると、翌日の自分に感謝されることが多い。

「先生すごーい!」と思っている教室より、クラスのメンバーを見ながら、「アイツすげぇな!」と思っている教室が好き。だから、集団ライブ授業が好き。

《SWITCH》の桂由美さん・IKKOさんの回で、IKKOさんが「先輩が30分なら私は10分(でヘアメイクを終わらせる)。30代の若い私には、自分にしかない何かが必要だったんです」という話をされていました。30歳になったばかりの私を鼓舞するのに、十分過ぎる言葉でした。

クオリティを自分自身で確認する前に、お金を払って購入するものがある。「あ、ハズレだ」と思ったとしても、お金も払ったことだし、何とか楽しもうとする。その、元を取ろうとする姿を見て、提供側は「お客様は満足している」と思うかもしれないけど、客の側は内心「次はない」と心に決める。

昔、お世話になった方が、「大人は笑顔で去っていく」とおっしゃっていた。

文化祭のクラス演劇が好きで、よく観に行くのだけど、そこには、技術的な問題を後景に退かせるだけの青春のきらめきがある。人生で見れば、ほんの一瞬であるその一時間のために、一夏を懸ける真剣勝負がある。

吉本ばなな「すごく辛いことの合間に、キラキラした楽しい出来事が息継ぎのようにあって。“世の中はうまくできている。それに気が付かないのは人間の傲慢である”とさえ思った」 

うちの塾、特に国語は夏の授業回数が少ない。それで良いと思っている。自分自身の勉強をする時間があってこそ力は伸びると思うから。闇雲に授業入れても、あなた自身は賢くならないよってね。徹底的な復習で習ったことを使いこなせるようにするも良し、苦手分野を潰すも良し、大きくなって9月に会おう

授業をたくさん入れるのは、塾の企業としての利益追求でもあるけれど、同時に、生徒をオトナとして信頼していないんだと思う。学校でやたら多い宿題を課すのだって、塾の授業をたくさんやったり補習を組んだりするのだって「どうせ勉強しないだろ」という仮定のもとにある。依存する子を作ってしまう。

「忙しいねぇ、えらいねぇ」と声をかけると、「まぁ、自分で選んだ道なんで」と応える子が多くて、実に格好いい。自分の決めたことに責任を持つというメンタリティーと習慣(=実行力)は、こうした生活の中で日々培われているんだろう。

「よく分からないけど、これは何だか凄いぞ。これが分かりたい」という気持ちのもとに、そこに追いつけるように、足りないところを自分で頑張る勉強って本当に素敵だ。そんな講義や、そんな本に出会ってきた感動を、忘れないでいたい。

又吉さんと綾野剛さんのSWITCHが再放送されていたのだけど、又吉さんが「やりたいことがありすぎて、年数が足りないんですよ。全部やろうとしたら、二百年くらい要るんです」とお話しされていたのが印象に残った。

西洋的な思想を身に付けた漱石は、それを日本語で表すことに限界を感じていました。その新たな文体は、漱石の小説の中で模索され続けた訳です。「一人の天才が現はれたならば、次第にこれを真似るものが出来るから、其方には進歩するだらう」と言っていた漱石本人が、後世の文体の見本になりました。

“「百術は一誠に如かず」というけれど、「一誠のない人間が百術に走るから良くないのであって、一誠がある人が志の実現のために、百術を駆使することまで、非難されるようなのはどうかと思うけどね”

「人と違う存在であれ」という圧は、「人と同じ存在であれ」という圧と、同様に、圧なんだと思うのですよ。。。

この仕事は第一には、彼らがいま必要としている能力を伸ばすことに貢献することが大事。同時に、「生徒たちが心の中に持つ好奇心を無味乾燥な受験勉強で消してしまわないように」ということを、いつも考えている。別の角度でいえば、「どうせやらなきゃいけないことなら、楽しくやればいいじゃない?」と思っている。

アフタートークショーの市川右近さん「猿翁師匠の純粋培養の自分たちが、おもだか屋の襲名披露を手伝わせていただいたり、全く別の座組での歌舞伎公演や新派などでそれぞれに勉強して、それでまた猿翁一門で集まってこうしてやれたのが嬉しい」

学者然として知識を振りかざすのもどうかと思うけれど、これまでの思想の蓄積を生かさないで、個人の実感だけで議論をするのは残念なことだ。もっともっと勉強しないとな~。

兼家とは完全に縁が切れたと見られる、『蜻蛉日記』の下巻の終わりのころで彼女は40歳前後。彼女はそこから20年間生きている。建礼門院右京大夫も随分長生きをして、たしか恋人が死んで50年以上生きている。そのとき、彼女たちが何を考え続けたのか。なんてことを考えてしまう。

誰かが私を久しぶりに思い出したときに「あー、アイツも頑張ってるのね~」と思われたいな、と思ったので、頑張らなくてはいけない。

つんく♂さんの本。ご本人が「若いころ無茶な生活をしなければ良かった」「怪しいと思った段階で検査しておけば良かった」などと、どうしても仮定法的思考に落ち入る傍ら、奥様が解決型思考で、癌について、治療や食事について猛烈に調べたのだという話が印象に残っている。当事者でなくてはできないこと、パートナーでなくてはできないこと、友人でなくてはできないこと、仕事相手でなくてはできないこと。それぞれの距離ならでは、のできることがあるんだろうなぁ、と考える。

『更級日記』の作者の菅原孝標女は、家族の事情に振り回され続けた人生なのであろうと推測される。そんな彼女にとって、書くことが持った意味とは。。。物語創作にせよ、日記にせよ、和歌にせよ。

今日は、とても尊敬している方の熱のこもったお話を聞く機会に恵まれました。私も個としての力を磨いて、彼のチームに貢献したい。あーーーー頑張ろう!!!! って、これ、今日見たONE PIECE歌舞伎のワンシーンじゃないか。チームが大好きで、1人だと淋しかったり心細かったりしても、踏ん張って個の力を磨く。集まったときに最強のチームになる。

「とかく若い頃は、自分のシナリオの具現化を求めがちだけど、相手が思い通りにならない存在であることを受け入れたところから、《人間関係》が始まるのだろうね」という言葉に痺れるなど。

今日の講演は、私の理想に近い形でできました(^^) 「作品そのものの魅力に触れてもらう」「皆さんに朗読で参加してもらう」「何をするかは皆さんの様子を見ながら柔軟に決める」「私自身の実感をこめた言葉で語る」などなど。

つつがなく動いているように見える世界の裏で、どれだけたくさんの人が歯を食いしばっているのか、ということで。

大庭みな子さん「人間は他人に対して、『あなたとは違う考え方があるのだよ』と納得させることができれば、それが本当の相互理解というものだというのが七十年あまりの人生の結論のような気がした」

これまでの蓄積と、生来の要領の良さで乗り切れているうちに、少しでも積み上げなくてはいけないのだ。

スピリチュアルな感性は特に持ち合わせていない人間なのだけど、家のとなりの神社に「今日もいい1日でした。ありがとうございました」と、手を合わせて帰る流れが気に入って習慣化している。

自分にとって、当事者意識を持って切実に考えざるを得ない問題(その問題は自分の恋愛や進路かもしれないし、社会問題や自然科学上のテーマかもしれない)に、学問的アプローチをしている人が既にいて、それを読むことが自分にとって大いなる刺激になる、という体験、早めにできたら幸せだろうと思う。

ボクらの時代でスザンヌさんが、「おバカキャラって言われるのは嫌じゃなかった?」と聞かれて、「実際、勉強は全然できなかったから、そうだなぁって受け入れていたよ。たくさんクイズ解いて、小中学校でしてこなかった勉強をさせてもらった感じでありがたかったなぁって」と。

先日、現代文の授業の素材が「時系列順に(恣意的に抽出された)出来事を語る『物語』は、自然科学的な因果関係とは異なった形で、逃れられない運命的な必然を人々に意識させる」という内容の文章だったのだけど、古文の「怨霊」の発想なんか、まさにそこから出てくるものなのだろうな。

山極さんの本で印象的だったのが、「There is no problem. There is a solution.」という言葉。“問題がある”のでなく“解決策がある”のだ、と。

生徒から「話していて元気になる」と言われると、すごく嬉しいのだけど、今日年上の人にもらった「話していて張り合いがある」も嬉しいなぁ。

別の方からいただいた「時代がどう変わっても食べていけるように、心づもりと勉強はしていなくちゃいけない。とはいえ、足もと目の前の仕事に感謝して一生懸命やるのは当然よ」という言葉も。

やってみたいことはたくさんあって、でも、それ以外のことを頼まれても楽しいから、可能性はしぼらないでいたい。死ぬまで、教える仕事をしながら、読んだり、書いたり、観劇したり、お稽古したりしていたい。

「幽玄」と評価されている作品を読んでいると、幽玄という言葉の指すところが実に幅広くて、「結局、幽玄って何なんだよ!」となっているんですが、この言葉って、今日でいう「ロック」と似た種類の言葉なのではないかと思い始めている。「それもある意味ロックだね」「誰々はもはやロックを捨てたのか!」「時代の変わる中でロックも変わってゆく」みたいな台詞は全て「幽玄」で置き換えられる気がしてきた。

私の場合、自分に向いた意識のベクトル(が、作品自体やお客さまに向いたとき、一気に準備が捗るし、うまくいきやすい。うまくやろうと思わないこと。

最近、リアリティーっていったい何なんだ? ということをよく考えている。自分の感性に馴染む、リアリティーのあり方はだいたい分かった。演出としては「劇的」で、そこにある《感情》がリアルなものだ。

瀬戸内寂聴さんは、骨折と癌での入院生活から帰還後、筋肉が衰え歩けなくなっていた。リハビリをするも、30m先の書斎にもたどり着けない。そんな中で「何にもしない、ものを生産しないというのがこんなに私にとってきついことかっていうの初めて分かったわね。」

「あーもう、もっと分かりやすく書けよ!」だけで終わってしまったら、いつまでも読めるようにはならないよね。「分かるようになりたい」「ついていけないのが悔しい」「使いこなせたら格好良い」という感覚があれば、、、

授業棟から職員室まで、雨に降られ濡れながら「新宿は豪雨~♪」と思ってしまったのだけど、ふとした瞬間に『源氏物語』の暗記した一節が思い浮かぶ菅原孝標女は、きっとこんな感覚。

自己肯定感を安定して持てるようになったおかげで、受講取り消し=自分の価値否定、と単純には捉えなくなったけどね。「他科目の負担との兼ね合い、開講曜日、経済的事情。取らない子にもいろんな理由があるのだから、今年の関係性が否定されたとは限らない」。これが腑に落ちたのは最近かもしれない。

自己肯定感を、生徒からの人気ではないところで担保できることって、塾講師を長くやっていく上では、結構大事な気がする。

日曜美術館のモネの回を今さら見ている。写真というメディアが登場したとき、「自分たちの役割がなくなる」と恐怖した画家たちと、「現実を写し取るのは写真に任せて、好きなように描いていいんだ」と思った印象派の画家たちとの違い、という話が出たときに、ちょっとハッとするなど。

今年は大きなお買い物を五つも決断してしまった。ただ、どれも「お買い物」というより「将来の自分のための投資」に近いんだなー。私は「お買い物」には渋ちんなのだけど、「投資」には思い切りが良いらしい。その「投資」が身を結ぶかどうかは、これからの日々の取り組み次第。頑張ろ。

塾も学校も高3の通年授業がみんな終わってしまった。寂しいけど、ここからの成長が楽しみでもある。河合塾の昔のコピー「人生に受験という季節があってよかったと、思えるときが必ず来るよ。」が大好きなのだけど、みんなにもそんな季節を過ごしてほしいものです。

「忙しい」ということもあるけれど、ここ数年ですっかり相談をしない人になった。自分1人のことに関しては、たいてい1人きりで決めてしまう。家族にも彼にもたいてい事後報告しかしないけれど、それは彼らが不必要だということではない。相談を持ちかけるかどうかと信頼は別の次元のように感じる。

自信や確信はいたく主観的なもので、私がしみじみそれを感じていても、それを他者に伝えるのはとても難しい。資格とか形式とかがどれだけあっても不安なこともあれば、何もなくたって堂々と安心していられるときもある。

去年の頑張りに、今年の私が感謝しているように、今年の私も来年の私のために頑張っておかなくてはいけない。