ここ2ヶ月、毎日日記を書いています。


うつと拒食症の治療を経て、今は完治している知り合いに勧められて始めました。



日記というか、そのときに書きたいことを書くって感じです。


つかれた、寝る!とか、


酔っぱらいである!だけ書いて終わることもしばしば(笑



そんなノート、自分の思考を整理するのにとても役立ちます。



そのノートのおかげで、あることに気付きました。


こんな性格になったのは、小学校時代に原因がある、と。



私の両親はスパルタでした。(特に父親)


小学校1年生の時から、宿題以外の勉強(親が用意したもの)を終わらせないと、遊びに行けませんでした。


書き初めの時期は、毎日10~15枚書かされました。(書き損じはカウントしません。)


小学校1年生の時に、泣きながら九九を覚えさせられました。(習うのは2年生)


夏休みの宿題は、読書感想文、作文、自由研究、自由にやらせてもらえたことはありませんでした。



読書感想文は、最初に書いたものを毎回添削され、泣きながら書きました。たしか本も選べなかったな。


自由研究は、テーマは父親が決め、実験をし、模造紙に何回も書き直しました。たぶん泣きました。

消化酵素だの界面活性剤だの・・・とても小学生がやる内容じゃなかったな(笑


出たくもない水泳大会に出させられ、嫌だ嫌だと思いながら、大会前の練習に毎日参加しました。


やりたかった吹奏楽(放課後に希望者が参加するあれです)は、やらせてもらえませんでした。


ドッヂボール、なわとび・・・泣きながら練習させられました。



強烈に覚えているのは、

図工で、紙粘土で運動会の思い出を作る授業がありました。

私一人だけ、父親が用意した工作セットを使わされました。


そのプレッシャーでうまく作れず失敗し、人の形にならず、バラバラになってしまいました。


その作品は、地元の大きな公園に展示されることになっていました。


おまえが作ったのはどこにあるんだときかれ、見られたくなかった私はなんとかごまかそうとしましたが、

見つかってしまいました。


そのときの、父のリアクション。

怒られることもなく、無言でした。


帰り道の父の背中。

私には何も言ってくれない。

期待を裏切ってしまった。


そのときの悲しみ、恐怖は忘れられません。



そのような日々が、自分を認められない、自分を愛せない性格を形作ったのだと、やっと気付きました。



中・高・大学と、辛いこともありましたが、思い出してももう辛くありません。乗り越えたのかな?


でも、小学校の時のこと、思い出すと今でも涙が出ます。



両親が離婚したり、虐待を受けたり、複雑な家庭で育ったわけではない自分が、

「小学校時代は苦痛だった」と思うことはいけないことだと、無意識に思っていたみたいです。



ほめられた記憶がない。

何をしても認められない。ほめられない。

テストで100点をとっても、作文が表彰されても。

怒られるのが怖い。だから勉強する、スポーツもする。


・・・・・辛かった。


他人と比べることでしか自分の価値を見いだせない性格。

自分を認められない、他人に必要とされないことが怖い。

だから人に優しくする。嫌われないように。自分を必要としてくれるように。


思えば、学費を最低限にするために公立高校、国立大学に死んでも受からなければと思って頑張ったのも、

親に負担をかけたくなかったから。

こんな私にお金をかけさせるのは悪いと思ったからだったのかも。


今でも、他人と比べないと自分がどんな人間であるかわかりません。


それが、自己イメージが低いということなのだろうと。


比較しなくても、ありのままの自分を認めること。

わかっていても難しい。


これからの課題です。


そうそう、「できない」「欠点」ではなく、これから取り組む「課題」として考えようって、カウンセリングで言われた。


マイナスの言葉ばっかり使ってると、本当にマイナスになっちゃう。


だから、なるべくプラスの言葉、使おう。





今日、知り合いと、なぜ私がうつ病になったのか考えてみました。


知り合い曰く


①疲れているとき(身体的にろ、肉体的にしろ)に、頑張ってしまう。


②自分をほめたことがない


からではないかと。



確かにそうなんだよな・・・



いい自分を認められない

(自分のいいところがわからない。わかっていても、それを「いいところ」だと認められない。)


だめな自分を認められない。

(だから頑張ってしまう。)


「自分はだめだ」と常に思っているが、

だめなことを「認めて」いるわけではない。


「自分はだめだ」ということはわかっていても、

「だめでもいい」とは思えない。


要するに、自分自身を認めていないのです。肯定していないのです。



先日のカウンセリングで、「自己イメージ」が低いことが、諸々の原因ではないかと言われました。


自己イメージ?なんだそりゃ。


・・・・自分なりに考えた結果、

「自分はこうだ」というイメージ。。


ドジッ子だとか、要領が悪いとか、

人の良いところを見ようとするとか、人のことを嫌いにならないように努力できる、とか。


自己イメージが高いというのは、

「自分はこうだ」というのを、認めている、肯定していること。


ドジッ子だけどいいさ。要領が悪くてもいいさ。それが自分だもの。


ということなのかなぁ。


難しい、自分を認めると言うこと。

うつになるのは突然。


階段を踏み外したように、奈落の底に落ちる。


手に力が入らず、薬を飲むのもやっと。



かかったことのない人にはわからない辛さだと思う。



奈落の底に落ちたときは、正直、何をしても、何を考えても無駄。


うつが通り過ぎるのをひっそりと待つしかないのです。



でも、うつ状態になっているときは、

こころや体が「休め」という合図を出しているときだと私は思っています。


だから、こころも体も休む。


なにもしない、なにも考えない。それでいいのです。



鬱状態のときは、そんな気楽なことを考えるのは不可能なので、

元気なときに、「休め」のサインなんだよって、自分に言い聞かせておくといいのかなぁ。


頓服があれば頓服を飲んで、

気持ちがごちゃごちゃでも、何も考えられなくてもいいから、

楽な姿勢をとって、じっとしていましょう。


それが、何年かうつと付き合ってきた私の、解決方法です。