2020年4月中旬の休日、プライベートで、東京都台東区浅草・今戸から吉原、三ノ輪を散策して来ました。
この日のスタートは、都営浅草線・京成押上線押上駅からスタート。
押上駅から、桜橋通りを隅田川方面に歩いて行くと、墨田中学校の隣のマンションの敷地の入口に朱の鳥居を発見。こちらは「稲荷神社」。
朱の鳥居をくぐり、御社。
多宝塔もありました。
桜橋通りを更に進んで、桜橋に到着~スカイツリーも良く見えました♪
桜橋の下を流れる隅田川。この流れ、大好きなんだよな~♪
桜橋を台東区側に渡り、桜橋と、東京スカイツリー♪
桜橋を渡り、スポーツセンターと野球場の間を抜け、路地に入って行くと、お寺が見えて来ます。
こちらは、「称福寺」。
境内に入ると、「都史跡 亀田鵬斎墓」と言う石碑があって…
御堂。本堂のようです。
墓地に進むと、案内板のある墓石があります。
こちらは「亀田鵬斎墓」。
江戸時代後期の著名な儒学者で、宝暦2年(1752)江戸・神田に生まれ、名は翼、のち長興。字は穉龍、通称文左衛門、鵬斎・善身堂と号しました。
折衷学者井上金峨(墓地は港区青松寺)に学び、山本北山とともに荻生徂徠(墓地は港区長松寺)の古文辞学を排撃し、朱子学を批判したために、寛政異学の禁では異端の筆頭と目されていました。著書に「論語撮解」「善身堂詩鈔」などがあります。
文政9年(1826)75歳で没。墓石には「鵬斎亀田先生之墓」と刻しています。
「亀田鵬斎墓」に近づいて…「鵬斎亀田先生之墓」とあります。
その横には、「綾瀬亀田先生之墓」と刻まれた墓石があって…
こちらも、亀田先生の顕彰碑のようです。
墓所には、もう一つ、案内板がある墓石があるんですよね。
こちらは「柴田是真墓」。
幕末から明治時代に活躍した絵師・蒔絵師。文化4年(1807)橘町2丁目(中央区東日本橋)に生まれ、11歳の時に蒔絵師古満寛哉に師事して技術を学び、文政5年(1822)絵師鈴木南嶺について円山四条派の画技を修し、文政13年(1830)京へ上り、岡本豊彦にも師事しています。
浅草平石衛門町石切河岸(浅草橋1丁目)に居を定め、居宅を「対柳居」と名付け、没するまで、ここで数々の名品・優品を制作しました。
是真は、漆工技術の普及・発展を目的とした「日本漆工会」を創設し、「竜池会」(日本美術境界の前身)や、「東洋絵画会」の設立に尽力するなど、美術界の公的活動に貢献、後進の指導にも力を注ぎ、美術界の発展にも寄与しました。
明治24年(1891)85歳で没すると、ここ称福寺に葬られました。
柴田家の墓地には、2基の墓標があり、向かって左側が是真の墓で、正面には是真の法名「弘道院釈是真居士」が刻まれています。
台東区史跡。
「柴田是真墓」に近づいて…
その右側の墓石。一族の方のもののようです…
「稲荷神社」をお参りし、桜橋を渡って、「称福寺」をお参りした後は、「今戸神社」に向かいました。
その様子は、また後日。
稲荷神社
東京都墨田区向島4-24-21(向島ハイツ敷地内)
称福寺
東京都台東区今戸2-5-4
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見に行ったな~(^^)