後藤新平宅跡と、仏聲寺と、大須観音と ~愛知県名古屋市の史跡・寺院 | 九州下町おやじの珍道中

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20204月上旬の名古屋市内の歴史散策の続き。

 

洲崎神社」「石神神社」をお参りした後は、「大須観音」に向かいました。

 

 

洲崎神社・石神神社・廣井城跡とのレポ

 

 

 

 

 

洲崎神社」ですが、先日2022年2月上旬に前を通る機会があったので、鳥居の周囲をよ~く見ると、ありました!「廣井城跡」「三霊神社遺跡」「堀川初開削の地」「天王﨑港跡」の由緒書き。

前回訪問時は、どこを見ていたのか!?というくらいの場所、朱の鳥居脇にあったんですよね…恥ずかしい…(^^;

 

 

 

廣井城跡

天文年中まで城主中村氏。以後、社家が廣井村を支配しました。

 

 

三霊神社遺跡

徳川慶勝公の建立。

 

 

堀川初開削の地

慶長15年、この地に祈願祭を行い、開削しました。

 

 

天王崎港跡」でもあるんですね。

 

 

 

洲崎神社」から若宮大路を南側、向かい側に渡ってから歩道を東に進みます。

 

 

 

 

右手のビルの前に、「後藤新平先生旧居跡」と刻まれた石柱がありました。

 

 

 

 

由緒書き「後藤新平宅跡

安政4年(1857)岩手県奥州市に生まれ、福島県須賀川医学校卒業後、招かれて来名。明治14年(1881)愛知県病院長兼医学校長となり、明治16年、内務省に転ずるまで、ここに住んでいました。

 

 

 

明治15年、岐阜で自由党総裁の板垣退助が刺客に襲われた時、ここより人力車で馳せつけ応急手当をしたと言われています。

後に、内務大臣、伯爵となり政界で活躍しました。

 

 

後藤新平は、名古屋に住んでいた時期があったんですね…

この散策でみかけた「愛知医学校跡」でも、後藤新平の名が出ていましたが、「洲崎神社」の北側、堀川沿いに「愛知医学校」はあったそうですから、ここから近いですもんね…

 

 

愛知医学校跡のレポ

 

 

 

 

後藤新平と言えば、日本の鉄道を整備した人物でもありますよね~お医者様だったのか…

それも、板垣退助が襲われた時、応急手当もしたとは…全然知らんかった…汗

 

 

 

後藤新平宅跡」の碑を通り過ぎ、すぐの路地で右折。一つ目の四つ角の右に、古そうな御宅があります。こちらは、「佛聲寺」。古民家のような雰囲気がありますね。

 

 

 

 

若宮大路に戻り、更に東に矢場町方面に進み、若宮南交差点で伏見通りを渡ります。

すぐ右の路地に入り、暫く進むと、朱の立派な建物が見えて来て…こちらが「大須観音」。

 

 

 

 

境内に入り、十二支守り本尊奉安所。

 

 

 

 

伏見通りの方に進むと、人形供養塔があって…

 

 

 

 

由緒書き「人形供養祭」。確かに、簡単には処分難い雰囲気がありますよね…可哀想、抵抗感が…

 

 

 

 

台石のプレート。人間の人形への愛着の表現が記されています。

 

 

 

 

伏見通り側の鳥居の近くには、「郷土芸能 大正琴発祥之地」という石碑が!

 

 

 

 

大正琴発祥の地碑」の由緒書き。

明治45年、大須の住民森田五郎氏が八雲琴をもとにして小型で手軽な二弦琴を作り上げた時、重陽の節句であったことから菊琴と名付けられ、更に弾き易く改良されたものが現在の大正琴の原形と言われています。

 

 

 

昭和2年、一人の少年がこの楽器の虜となり、以来58年間改良に改良を加えながら、大衆芸能と言われるまでに育て上げて来ました。

初代菊琴誕生し75年を迎え、森田五郎氏を偲びその功績を顕彰するとともに、大正琴の発祥の地を明らかに後世に伝えるために建立されました。

 

大正琴は、名古屋が発祥なのか~これも知らんかった…

 

 

 

幟に南無大師遍照金剛とありますので、弘法大師像になるようです。

 

 

 

 

大須観音の本堂。ホント、大きくて立派!

 

 

 

 

石段を乗って…

 

 

 

 

提灯もやたらとデカい!

 

 

 

 

鐘楼。

 

 

 

 

鐘楼の足元には、「大須観音」の由緒書きがありました。

当寺は、元々尾張国長岡庄大須郷(今の岐阜県羽島市大須)にあり、開山は能信上人。

元享4年(1324)後醍醐天皇の勅願により長岡庄に北野天満宮を造営、元弘3年(1333)能信上人をその別当職に補し、「北野山真福寺寶生院」という寺号を賜りました。

 

 

 

能信上人は、観世音菩薩の霊夢を見たので、後村上天皇の御代に至り、朝廷に詔によって、ご本尊と仰ぐこととなりました。

 

御本尊の霊験は年とともに海内に響き渡り、第2代住職は信瑜上人、第3代住職は任瑜法親王がおつぎになり、寺領も1万余石に及び、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃6ヶ国の真言宗寺院を末寺としました。

 

戦国の世となっても、織田信長公も寺領500石を寄進、徳川家康公は、名古屋を建設経営するに当たり、慶長17年、第一に、当寺を、この地に移されたのであります。

 

 

へぇ~大須観音は、今の岐阜県羽島市にあったのか~これもまた、知らんかった…(^^;

 

 

 

本堂の石段脇には、仏様が並んでいて…

 

 

 

 

本堂に向かって右ての堂宇。

 

 

 

 

その右手には、大須観音通り商店街が続いています。

 

 

 

 

鐘楼の奥には、何やら、御堂のような建屋があるんですよね。

 

 

 

 

こちらは、からくり時計「宗春爛漫」。尾張藩7代藩主徳川宗春公をテーマにしたもので、白牛にまたがり大須を練り歩く「宗春公」、宗春公が愛した花魁「春日野」、精巧に再現した尾張山車から出現する「浦島太郎」や「唐子」など約6分間の演技を披露します。

 

 

 

徳川宗春公と言えば、8代将軍徳川吉宗公の質素倹約の対抗した人物で、派手な衣装を身にまとい、商業や芸能を推奨し、名古屋を活性化させた方ですね…

 

 

 

台座部分のプレート。

 

 

 

 

鐘楼の下には、観音様でしょうか、いらっしゃって…

 

 

 

 

手水舎。

 

 

 

 

本堂正面の門も大きい!

 

 

 

 

中には、仁王様がいらっしゃいました!

 

 

 

 

この門は、仁王門になりますね。

 

 

 

 

仁王門を出て、左手には、大洲仁王門通り商店街があって…

 

 

 

 

後藤新平宅跡」「仏声寺」「大須観音」と回った後は、大須の商店街を散策してみました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

後藤新平宅跡

愛知県名古屋市中区大須1-4-7付近

 

 

 

仏聲寺

愛知県名古屋市中区大須1-4-19

 

 

 

大須観音(真福寺 寶生院)

愛知県名古屋市中区大須2-21-47

 

 

 

 

大須観音

 

 

宗春公なくして、名古屋の発展はなかった!?

 

 

 

 

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