インドからの仮釈放

テーマ:

インドからの仮釈放の日が着々と近づき、うれしさのあまりブログも手につかない状態です。実は今回の引越しは20何度目かなのです。



数ヶ月にわたる海外旅行の準備なども、前日にやっとパッキングする私です。

思えば、はじめて外国人と暮らしたのはスイスにホームステイのときでした。

まだ、15歳でした。海外とは縁のない家族だったので、海外に行くときはいつも一人でした。

高校時代は、アメリカに留学。
小さいころからあこがれていた留学です!勉強をがんばってアメリカに渡米するチャンスを得ました!

16歳のわたしは一人で、アメリカのド田舎の、近所でも狂った老人のしきる悪名高い家庭にホームスティにすることに。もちろん最初は何も知りませんでした。





その老人は自身を世界でたった7人しかいない超能力者で、イエスの生まれ変わりか、何かと思いこんでいました。森の奥深くにあるその家で、ろうそくをともしながら、夜な夜なマンツーマンで変な話をたくさん聞かされました。洗脳しようとしてたんだと思います。

かし、16歳とはいえ、私も頑固者です。

どうしてもその老人のことを、イエスの生まれ変わりや、超能力者だと信じない私に、しばらくすると老人は、毎晩わたしの部屋の前を夜中に猟銃を持って無言で脅しにくるようになりました。

彼はいつも私に言っていました、自分の考えを信じないものは容赦なく、猟銃を使うと。リビングにあるガラスと棚のなかにあるいくつもの猟銃を指差しながら。。。。





いまでも、毎晩、真夜中にリビングの猟銃の戸棚をあけて、家の一番奥にある私の部屋を猟銃を抱えながら老人が廊下を歩くミシミシいう音を覚えています。老人はいつもそこで、何分間もわざと立ち続けるのです。

わたしはいつも冷や汗をかきながら枕を胸の上において、息を殺していました。叫び叫び叫び夜も眠れずに、わたしはアメリカに来て2週間ですぐに5キロもやせてしまいました。
こうやって、脅すことによって、彼はわたしを意のままに操ろうとしたのだと思います。

シャワーも、週に2回、髪の毛を洗っていいのは週に1回、学校の給食よりまずい料理を毎日、紙皿、紙コップで食べるような最悪の家庭でした。

日に日に、命の危険さえも感じていたので、なんとか助けの電話をかけようと必死でした。もちろん家からは電話はかけられません。老人がいつも見張っているからです。

その家は、深い森の奥にあって、一番近い家でもダッシュで森のなかを20分は走らないといけませんでした。その老人はいつもわたしのことを監視していましたから、犬の散歩をしてくるといっては外に出させてもらうのですが、娘にわたしをいつも尾行させていました。

そして、何度目かの散歩のさい、森のなかの曲がり道になったところで、わたしは今だっ!とおもい、ダッシュしまくり、1件の家に飛び込んで、ワナワナ震えながら訳を手短に話し、電話を借りました。

幸い、留学エージェントの人がすぐに駆けつけてくれました。私は、着の身、着のままで家を出たのですが、そのままその家には、断固として一歩も近づきませんでした。

その後、エージェントが調べたところによると、その老人は退役軍人で、ベトナム戦争かなにかで、どこか体か頭かをおかしくし、そのあたり一帯で有名な頭の狂った老人だったらしいのです。

その老人は70だったのですが、4度結婚しており、わたしが留学していたときの奥さんは36歳で、いい人でしたがちょっと頭が弱い感じでした。そして、70歳なのに12歳のかわいい女の子がいました。(わたしをいつも尾行していた子です。)二人とも彼が超能力者だと心から信じていました。

あのまま、あの老人の家にいたら、きっと変な事件が起こっていたと思います。。。。
今わたしはここにいなかったかもしれません。


今になって留学斡旋業者に対して思いますが。。。。。







もっとちゃんと調べてから、ホームスティ先決めろ!






結局、事件を大きくしたくなかったのか、とりあえず、そのエージェントの家にもらわれることになりました。そこの家ではとても楽しかったです。ちょうど、半年がすぎるころでしょうか。私は初めで、最期の恋をしました。しかし、失恋してしまいました。

失恋による悔しさから、わたしはそのホームスティ先の家を2泊3日の黒魔術で、全焼にさせてしまいました。わたしもあの老人とあんまり変わりなっかたようです。。。その家族の中で唯一心の中で嫌いだったホストファーザーも、その家事が原因で意気消沈してしまい、ほどなくして死んでしまいました。その地方はアメリカでも有名な黒魔術の地方でした。

これでまた、私は着の身着のままになってしまいました。

再び、行くところのなくなった私は裏表のすごくある牧師家族の家へもらわれていきました。

そんなアメリカでの一年でした。


いま、こうやって書いてみると、かなりトラウマチックな留学体験だったはずなのに、本人は
あまりへこたれてませんでした。結局アメリカの高校は優秀な成績をGETし、無事卒業しました。

帰国後は、日本の高校も通算2年間で卒業しました。

そして、数ヵ月後イギリス人と出会い、婚約。京都の大学に入学しました。
休み休み6年大学に通いながら、京都の古寺に住んだりもしました。その後は、このイギリス人との婚約を解消し、大学を卒業したその次の日には上海へ引越し!




上海でもいろんな人と住みました。一時は絵を描いていたこともありました。

6年間の上海生活。


日本人留学生の女の子、

スウェーデン人のケチな女性アーティスト、

フランス人の日本オタク、

イタリア人のおもしろい女性、

金城武に中国語を教えていた上海人の不細工な俳優、

中国人グラフェィックデザイナー(恋人、トニーレオンにちょっと似てるドキドキ)、

日本人の私以上にバカなOL
(必見!彼女のブログ)、 ←クリック


上海だけでも6年のうち、10回の引越し。

言うまでもありませんが私は引越しが大好きです。

主人も喜んでいるようです。







今年のクリスマスはチントも上海で豪遊です。







もう、わたしの頭の中は。。。。














インドからの仮釈放が決まってからあまりのうれしさにココ最近、思考停止気味です。

ブログにもオチがつけられません。。。。。。


何はともあれ、上海にいったら、毎日漢方バスにはいって、あかすりをしてもらい、

水牛のクシで顔中なでてもらい(漢方のグワサーといいます)、体中の

毛穴という、毛穴から、インドでたまった、わたしの心と体の中の汚れを落とすのに

しばらくは専念するつもりです。


上海では生まれ変わった
加勢大周のよう
な気持ちで毎日を謳歌していくつもりです!




みなさんも、どうかどうか、楽しい毎日を、快適な毎日を一生すごせますように。。。。





獄中より
  ア~メンキスマーク