対馬 | 事代主のブログ

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神社の伝承と遺跡をめぐり、真実の古代史を編集するのが目的です。

神功皇后が壹岐の次に向かったのは、対馬ということになります。

       

(長崎県) 対馬観光より

対馬

位置
 対馬(つしま)は、九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ島で、長崎県に属しています。博多港(はかたこう。福岡県)までは航路で132キロ、韓国までは直線距離で49.5キロに位置し、「国境の島」と呼ばれています。
面積
 南北82キロ・東西18キロ、面積は約708平方キロ(属島ふくむ)で、沖縄本島と北方四島を除けば、佐渡島・奄美大島に次ぐ大きさです。平成16年に島内の旧6町が合併し、長崎県下の市町村では最大の面積をもつ「対馬市」になりました。

対馬環境協会ホームページより

対馬の神功皇后の伝承は数多く存在するようです。

   

対馬最南端!浅藻漁港漁師のホームページ 


御紹介しますと

対馬市厳原町(いづはらまち)の南端・豆酘(つつ)

1.最初の上陸地

2.豆酘の行宮(あんぐう。天皇・皇后が移動の際に住む一時的な宮殿・建物)は、多久頭魂(たくずだま)神社境内にある神住居(かみずまい)神社というそうです。

3.豆酘には、皇后の重臣「雷大臣」(いかつおみ)をまつる雷神社があるようです。

内院(ないいん)・久和(くわ)

1.原町久田道(くたみち)の与良祖(よらのみおや)神社。皇后が神事を行い、凱旋後にも再拝した。

2.対馬市役所前の与良石(よらいし)は、もとはここが海岸で、皇后の輿を据えた。

陸路を阿須(あず)

1.皇后の笠が飛んだので「笠渕」(かさぶち)

2.皇后の裳が濡れ、切り捨てたので「截裳渕」(きりもぶち)

3.皇后の軍勢が平石で剣を研いだので「砥石渕」(といしぶち)

4.阿須の地名は、皇后の水先案内人(神)である「安曇磯良」(あずみのいそら)に由来。

5.赤島の八点島は、皇后が平穏祈願のため船を海に投じたところ、岩と化した。
 
6.鴨居瀬の住吉神社は、皇后の行宮。

7.豊玉町の千尋藻(ちろも)の地名は、皇后が馬糧の代わりに海藻を馬に食させたことに由来。

8.葦見の能理刀神社境内の仮殿神社は皇后の行在所。

9.葦見(あしみ)は、皇后が鷲を見て吉凶を占ったため、鷲見→葦見。

10.上対馬町の琴崎(きんざき)で皇后の船は2回目の嵐に遭遇。船が破損しますが、磯良(いそら)が大きなアワビを貼り付けて応急処置をした。

これらの伝承から判ることは、「魏志倭人伝」の三世紀には、倭には馬がいないと記載がありますが、神功皇后の四世紀後半には、馬がいたということになります。

また対馬においては、浜殿神社や豊玉姫 大己貴 事代主を祀る神社が多く、壹岐は、中臣鳥賊津大連命(なかとみのいかつおおむらじのみこと)と関係が深く、対馬は、安曇磯良と関係が深いということが判ります。

   

   対州馬 

この後いよいよ朝鮮半島に上陸します。

     


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