自分にできることがあれば | フィギュアスケート応援(くまはともだち)

フィギュアスケート応援(くまはともだち)

氷上で華麗で過酷なスポーツ。
がんばるすべてのスケーターに敬意を✨⛸✨
羽生結弦選手の演技で涙がこぼれます。
情報発信目的ではなく思いを綴るブログです。
正しい情報を欲しい方は公式サイトなどでご確認ください

おはようございます。

朝から、あたたかな思いに胸が熱くなる記事が

配信されましたね🥹

❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️❄️

2021年7月に東京で開催された「東北ハウス」で

震災から10年の思いを、メッセージとして送って

くれたことを思い出しました。

image

2021年7月「東北ハウス」メッセージ動画より

メッセージ書き起こし

「宮城県仙台市出身の羽生結弦です。
震災当時は16歳でした。  
仙台市内のスケートリンクで
練習中に大きな揺れを感じ、
スケート靴のまま避難しました。
あの日街中の電気が消え、
真っ暗の中、
満天の星空がありました。
いまでも忘れることのできない、
普段は見えない無数の光がありました。  
多くの方々が苦しみ、
そして避難所生活を送っている中で、
自分だけがスケートを続けても
いいのだろうか?

こんなことをしてもいいのだろうか?
そんな風に悩んでいました。
悩みながらも日本各地で
開催されたチャリティーの
アイスショーなどに
参加させていただき、
スケートを続けてきました。   
その中でたくさんの方々に
「頑張れ」という声をかけて
いただきました。
当時の僕は、その「頑張れ」を
ちゃんと受け止めきることが
できませんでした。
 
それよりも仙台市出身の
スケーターとして、
これまで頑張ってきた日本代表
というスケーターとして、
何か被災地に気持ちを届けたい、
何かの思いを届けたい、
そんな気持ちでスケートを続けました。
ただその何かはモヤモヤしたまま
わからずにスケートを続けてきました。  
その翌年、3月に怪我をしたまま
試合を迎えました。
自分だけの力で進もう
としていた自分に、
皆さんの「頑張れ」という声で、
力を与えてくださいました。  

その時、ようやく分かりました。  
 「僕は一人でスケートを
しているわけではない、ひとりで
生きているわけではないんだ」
と。  
だからこそ、僕は皆さんの
「頑張れ」と共に、一生懸命
頑張ってその思いと力を
スケートで発揮することが、
皆さんへの恩返しになるんだ
と気付きました。  
そう信じてソチオリンピックを迎え、
夢を叶えることができました。
金メダルを手に被災地に訪れると、
たくさんの笑顔が待っていました。
その当時、僕は自分は被災地に
直接的な支援をできた訳ではないし、
直接的になにかできたわけ
ではないと悩んでいました。 
平昌オリンピックでも、
二大会連続の金メダルを
手にすることができ、
また被災地を訪れると
たくさんの笑顔が待っていました。
 2011年3月11日
あの時の満天の星空は
いつもそこにあるのに
気付くことができませんでした。
その星たちと同じように
一人ひとりは小さな光かもしれませんが
笑顔という満天の星空に似た力を
いただきました。  
 僕ひとりでは何もできませんでした
こうやってたくさんの方々に支えられて
金メダルを取ることができました。
そしてそのメダルがみなさんが
前を向いて少しでも進む力に
なれるように願っています。
あれから10年
ひとりひとりは小さくても
満天の星空のように
みんなで集まれば
一つになれば
大きな力になると信じています

僕もその小さな光のひとつに
なれるようこれからも努力し続けます」

メッセージ書き起こし終わりimage

羽生選手はひとりではできないことも

みんなが集まって大きな光になることを

知っていらっしゃるのだと思うのです

そして苦しい思いをされている方たちに

「なにか」動けるようになるきっかけに

なれたらいいなって。その思いは

故郷だけではなく、同じように震災に

遭われた地域の方々への「想い」となって

寄り添っているように感じます。

より深く、より優しく、より暖かく

能登半島チャリティー演技会が

成功しますように。

そして、わたしたち自身も

小さな光となれていたら・・。

そういう機会をくださったことに

感謝したいなって心から思うのです。

ひとりだけに背負わせることなく

「ともに、前へ」

フィギュアスケートランキング


🌈公開されている記事、写真、また個人的に会員登録している素材サイトのイラスト、画像などを使用しています。不都合があればお知らせください。🌈意訳がある記事は複数のアプリを使用し良い部分だけを抜粋。素人による個人的なブログのため正確性にかける部分もあります。掲載内容は参考程度にしていただき決定や判断はご自身の責任でお願いいたします。

 

いつでもおかえり仙台ができるように