ひとつひとつ絆をつないで | フィギュアスケート応援(くまはともだち)

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氷上で華麗で過酷なスポーツ。がんばるすべてのスケーターに敬意を✨⛸✨
羽生結弦選手の演技で涙がこぼれます。
情報発信目的ではなく思いを綴るブログです。正しい情報を欲しい方は公式サイトなどでご確認ください

プロローグの放送まであと2日

SOI初日まであと6日となりました

今日はTVガイドの発売日です

3月31日発売のQuadruple Axel 2023

の表紙と逆側からのお写真になっていて、

店頭で並んでいたら壮観だな

なんて思っています。

Quadruple Axel 2023 サンプル画像より

今回のnotte stellataでは、キャストも羽生選手の

意向があったように感じています。その中で

ふと、思い出したのは本郷理華さんのこと。

理華さんが仙台市出身なのは、もちろん

よく知られていることですけれども

お母様の本郷裕子さんの存在がなければ

吉田年伸さんと奥様の阿部奈々美先生は

出会っていなかったのですよね。

本郷裕子さんが誘った懇親会で同席した

ことが縁となって、夫婦になった。

その後、阿部奈々美先生の教え子に

羽生選手がなり、その羽生選手のエッジを

ずっと研磨し続けているのが吉田さん。

吉田さんについてはBBMの山口真一さんの

記事やコラムでご存知の方も多いですよね。

北京直前では日刊が無料会員記事で

特集していました。

 

羽生選手のエッジの研磨は

吉田さんが長年されていらっしゃいます

 

クリケットで練習されていた頃でも

国際宅配便で月に2回ほど1、2足を研磨

していたという吉田さん。

 

ですが2020年。世界中がコロナで

閉ざされた時、海外渡航だけではなく

物流にも大きな支障が出ました。

国際便の個人でのやりとりがほとんど

できなくなっていましたよね。

羽生選手専用の研磨マシーンがある
という吉田さんの技術。
 
スケートする上で大切なエッジ。
2020年、日本に戻って練習すると
決断された理由の中に
吉田さんの存在は大きかったのでは
ないのかと勝手に想像しています。
 
2012年ニースが終わった後
羽生選手は、阿部奈々美先生や吉田さん
の元にしばらく姿を現すことがなく、
連絡がないままで、2人は怪我もあり
療養しているのかなと思っていた
そうです。そんな時に
クリケット移籍をニュースで知った
阿部奈々美先生の衝撃。
 
まだ17歳だった羽生選手
仙台から離れたくない
家族から離れたくない
自分だけ逃れたくない
さまざまな思いを抱えて
いらしたと思うのです。
 
「これからもよろしくね」
 
そう伝えていた阿部奈々美先生の顔。
 
どんな言葉を伝えればいいのか
思いが深すぎると、辛すぎると
何も言えなくなりますよね
 
でも決断しなくてはいけなかった
どうにもならないほどの
大きな流れの中で
 
なんだか涙がでてきてしまいます。
 
そして羽生選手が2012年カナダに移ってから
数ヶ月後、吉田さんの元に羽生選手から
研磨の依頼が届きます。
 
吉田さんが奈々美先生に相談したところ
意外にも後押ししてくれた奈々美先生。
 
そして国際便ではなく、自らスケート靴を
もって吉田さんの元を訪れた羽生選手。
奈々美先生には言わないでくださいよっ
ていいながら、自分の近況を伝えたそうです。
それはつまり、伝えてほしいということ
だと吉田さんは感じたようです。
 
羽生選手はあんなに饒舌なのに
奈々美先生には
言葉できない思いがあふれている
ように思えました。
 
そして吉田さんがエッジを見て、
どんな練習をしているのか伝わる日々。
羽生選手の依頼がきっかけになって
研磨の仕事の依頼も増え
北京五輪ではアイスホッケー日本代表の
帯同まですることになった吉田さん。
 
そして、今、仙台で練習されている羽生選手
 
 notte stellataでは東日本大震災で
犠牲になられた方だけではなく

見えないたくさんの傷を抱えた人へも

思いを届けたい、そして

つながっていくひとつひとつの

絆を大切にしたい

そんな思いすら感じられたのでした。

 

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✨空室が出たかを、すぐチェックできるように

 

 

 

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