モントリオールジャーナルの記事です 2019GPF | フィギュアスケート応援(くまはともだち)

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氷上で華麗で過酷なスポーツ。
がんばるすべてのスケーターに敬意を✨⛸✨
羽生結弦選手の演技で涙がこぼれます。
情報発信目的ではなく思いを綴るブログです。
正しい情報を欲しい方は公式サイトなどでご確認ください

興味深い記事があったのでご紹介します。
YUZURU HANYU THE LEGEND OFJAPAN
LEJOURNAL DE MONTRÉAL
ざっくり意訳していきます
シドニー・クロスビー、セリーヌ・ディオン、エルトン・ジョンでさえ及ばない

羽生結弦が3月にベルセンターに到着すれば日本から何百人ものサポーターやメディアの代表を連れてくることが期待されています。
 すでに日本で伝説となっているこのスケーターは、リンクに入るとすぐに見たこともないような現象を引き起こします。  
それは1960年代のビートルズマニアに似たような何かです。先週のトリノのパラベーラでの羽生は最新の例として役立ちました。
ピエモンテ州のトリノで行われたグランプリファイナル。販売された27,000枚のチケットの半分以上が日本人によって購入されました。 
水曜日の朝、羽生結弦のスケートを見るために、彼の何千人ものファンが会場を占領していました。 また約30人のプロのカメラマンたちがレンズを通して羽生を終わりなく追いかけました。
これは簡単なトレーニングのためだけです!
この大会で公認されている300のメディアのうち、半分がアジア列島のメディアに付与されました

 サテライト“YUZU“
この熱狂はサポーターたちの現実またはイメージとなって周り続け、免れることはありません。
 2011年3月11日。この日付は日本の歴史の中で最も強力な地震マグニチュード9.1の地震を思い起こさせます。 太平洋岸で津波が発生し、18,000人以上の死者と行方不明者の悲劇を引き起こしています。その時、羽生は自分の故郷のアイスリンクでトレーニングをしていました。地震が起きた時、スケート靴のままリンクから逃げる以外、彼にはできませんでした。羽生の家は壊れ、数日間彼は家族と避難所で過ごしました。
そして羽生は被災者と被災地への継続した支援を続けています。
特筆べきこととして、ソチとピョンチャンオリンピックで得た褒賞金を羽生はすべて寄付していることがあげられます。
羽生はどこへ行っても神です。
彼のコーチの一人ジスラン・ブリアンはこう明かしました。彼は日本の伝説のようになりました。 被災地に希望を与える羽生のことを誰もが称賛しているとジスランは語りました。
彼がドラマティックな星の元に生まれたことは、否定できないでしょう。
 2018年2月17日、羽生は平昌冬季オリンピックで1000個目となるゴールドメダルを獲得していました。 
(ざっくり意訳終わり)
フランス語で、さらに読み取りにくい部分など省略したりしているので正確性にかけるため参考程度にしてくださいね✨
“YUZU”の周りをサテライトのようにファンやメディアが循環してるって方が個人的にはイメージに合うのですが、難解でしたので、このような意訳にしました💦
いかがでしたでしょうか?こちらは2019ファイナル後の記事。このあと世界選手権2020がモントリオールですごい人数を連れてくる!それはセリーヌ・ディオンさえも越すような人気だと記事にしています。さらに、人柄にも触れていて、ジスランが羽生は神(みたい)だ!って自慢そうに話している姿が目に浮かびますよね。
ファイナルのメダルセレモニー待ちの時に、仙台ボーイどこ?ってジスランが佐藤駿選手を探していて、羽生選手が「ここにいるよ」って手を挙げたシーンも思い出しますね✨


動画貼らせていただきます✨🙏✨

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