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氷上で華麗で過酷な競技フィギュアスケート。
すべてのスケーターをリスペクトしています。
羽生結弦選手の演技で涙がこぼれます。
フィギュアスケートは素晴らしいですね✨
素人ブログですので間違いなども多いです
気付いたら訂正しています✨

フィギュアスケートとは関係のない
個人的な振り返り記録です。
久しぶりに続きを書いていきますね✨

母について。
母は昭和19年生まれ75歳です。
母の父親、つまり祖父が台湾へ駐在員として赴任した時に生まれたので台湾生まれですが、生粋の日本人です。
母の母親、つまり祖母は、新聞記者をしていた両親の元に生まれましたが、生後間もなく戦争で両親が亡くなり九州の遠い親戚の家に引き取られ育ったそうです。
母は5人兄妹の2番目。
生きていくためには、何か手に職をつけることが必要だったため、母は美容師の資格をとりました。そして九州の理容院で働いていました。港近くだったため外国の方も多く訪れている店だったようです。周囲は華やかで、開放的な雰囲気もありました。
ですが生真面目な母は、遊ぶ時間があるようなら小説を読んで過ごしていたい地味な少女でした。
その頃、そんな母をよく連れ出してくれたのが、生後すぐに両親を失った祖母を引き取り育ててくれた家の末娘レイコでした。レイコは母よりも10ほど年齢が上で、真っ白な肌、美しい手足。つぶらな大きな瞳をしていて、その美貌は巷でも評判だったそうです。その上レイコの両親は大学教授。美しく賢くそして優しく、すべてに恵まれていたレイコを母も姉のように慕っていました。

「それがまさか、姐さんになっちゃうなんて」
母がふふっと笑いながら話してくれました。
レイコの恋した相手はヤクザだったのです。もちろんレイコの両親が許すはずはなく、レイコは家を飛び出してしまいました。
いったいどうしているのか、騙されていないか。母はとても寂しく思っていたそうです。
それからしばらくした頃、薬剤を買いに、たまた繁華街がある街へ行った時でした。
レイコと偶然再会したそうです。
「レイコちゃん!」
「久しぶりねー、元気だった」
ますます美しくなったレイコ。
元気そうでした。
せっかくだからとご飯を食べたり、映画を見たりして昔と同じように過ごしたそうです。
ただ一つ変わったことといったら、どこのお店に入ってもタダだったのです。
レイコが恋したヤクザが所属している組は九州でも大きな組織だったようでした。一緒に繁華街を歩いていると「姐さん」「姐さん」と強面の男たちが慌てて頭を下げるので驚いたと母は言いました。店で支払いをしようとすると「姐さんからいただけません」と固辞される。相手もかなりの地位にいるようでした。レイコの話しによると結婚式には、ひばりさんも来たそうです。本当かどうかは定めではありませんし、そっくりさんかもしれません。親戚が1人も参列しない結婚式は一般人には想像がつかないほど盛大な式が行われたようでした。
レイコとはそれ以来連絡は取れていないといいます。幸せだといいなと母は微笑みました。

母が46才の時に父は亡くなりました。
悪いモノはすべて、あの世へもっていってくれたのかもしれません。

発毛のスペシャリストとして勤めていた会社を辞めてから、自宅で温熱療法のサロンを始めた母。父の病を少しでもよくできたらということがきっかけで出会った民間療法でした。なるべくお金をかけずに、本来人間がもつ自然治癒力を高め、健康に過ごせる身体づくりの手伝いをしたいと思ったようです。
サロンはほとんど趣味(人助け)だったため、利益はなく、それでは生計が立たないため、家政婦やビルの清掃、さらにヘルパーの資格も取得。母は父の死を紛らわすためか、ヒマさえあればよく働きました。
そうすると不思議なことに、母人生最大のモテ期が到来したのです。
ビルの窓を拭いていれば社長に声をかけられ、
家政婦としていった先の息子に声をかけられ
不思議なほど、あちこちから声をかけられるのです。しかも裕福な身元のしっかりした男性からばかり。まるで、これまでよく頑張ってきたね。これからは楽に生きていいんだよ。神さまが新しい出会いをプレゼントしているようでした。

ですが鈍感な母はまったく気付かないのです。
近所のお友だちの桃子さんが癌で苦しんでいるから、少しでも力になりたいと、毎日お見舞いにいき施術する日々。末期癌の苦しみを知っていたので、少しでも和らげたいと思っていたようでした。桃子さんの旦那様も、病がよくなるならどんなことでもしてあげたい。これまで仕事ばかりで家庭を顧みなかった、ようやく定年退職を迎え、これから桃子とたくさん旅行に行こうと思っているんですと真剣に病と向き合っていました。
闘病の末、桃子さんは亡くなってしまったのですが、亡くなる少し前に、母の手をとり
「主人をよろしくお願いします」と伝えてきたそうです。母は「もちろん(ご近所ですから)」と答えました。それを桃子さんの旦那様は、違うようにとらえたようでした。

ほどなくして、母の元へ「東京にきてくれませんか?」と誘いがかかりました。
発毛スペシャリストをしていた頃、定期的に開催されていた勉強会(全国から集まって数日間ホテルで講習を受ける本格的なもの)で出会った方が、母の人柄と実力に惹かれて、新店舗立ち上げの時は手伝ってほしいと約束をしていたそうでした。東京に世界最新の発毛マシーンを設置した発毛サロンをオープンするということ。
薄毛で悩む女性も増えていて、ぜひ困っている方のために手伝ってほしい。
そんな言葉に母もほだされていきました。
また娘たち3人もそれぞれ悩みを抱えていて、家族で一緒にしがらみのない土地で暮らすことを望んでいました。

母51歳で東京に再就職。
波乱万丈な人生だと思います。

神さまはやっぱりいらっしゃるのかもしれません。運命がまた新しい扉を用意してくれました。

母が勤めたサロンは、日本国内に一台しかないマシーンが評判となり、著名人も通うサロンとして評判になっていきました。口コミから、取材やメディアへも取り上げられました。母の元へも女性週刊誌がやってきて、写真付きで記事が紹介されたりしました(内容は名前しかあっていないという女性週刊誌のいいかげんさを知りました)。ラジオ局にも呼ばれて、水沢アキさんと話したりしたそうです。あちこち出張する機会も増え、母の周囲は急激に華やいだように見えました。
ですが母はまったく変わらず。
困っている方のために、ひたすら学び還元する。ただそれだけだったように思います。
そして、休みの日は月に一度、鎌倉にある長谷寺を訪れ、父のため、または亡くなった友を思いながら写経をして過ごしていたそうです。

そんな母に月に一度連絡をする男性がいました。桃子さんの旦那様です。
「主人をお願いします」
と頼まれ「もちろん」と答えてすぐに引越してしまった母に、最初は年賀状、それから半年に一度、3か月に一度というように少しずつ2人の距離は近づいていきました。お互いに大切な伴侶を亡くし寂しい思いもよく分かっていたのでしょう。遠距離でのお付き合いを10年以上続け、
桃子さんの旦那様が70歳、母が60歳の時に再婚しました。

世の中は何が起こるかわからない。
母を見ていると本当にそう思います。

今は夫婦2人穏やかに過ごしています。
そんな母を、昨年FaOI仙台へ連れていきました。
すっかりアイスショーの世界に魅了され
少女のように目を輝かせていた母。
今年はSOIとFaOIに一緒に行く予定でしたので本当に残念に思っています。

人生は何が起こるか分かりません。
自分のためではなく
誰かのために生きていると
いつか神さまがご褒美をくれるの
そう信じさせてくれたのは
母の存在があるからかもしれません。
今、ツライことがあっても
必ず意味があるのだと
人のために、何かのために生きることが
大切なんだなと思うのでした

to be continue→

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