前編では、ビートたけしの長男・篤さんが週刊文春の取材に答える形で、1986年当時を振り返り初告白したことについて書きました。

お巡りさんに注意されながらも、取材のゴール目指してたけしの家に張り付いていた33年前の私…そして数日後!

中から出てきたのが長男の篤クンでした。

一瞬目を疑いましたが、近づいてその顔を確認すると、間違いなくたけしの子供でした。
目元がたけしにそっくりで、所作もどことなく父親を感じさせます…。

この手の取材では、小中学生への直接の問い掛けは固く禁じられています。
声を掛けることも出来ず、私は少し距離を置きながら篤クンの行動を見続けるしかありませんでした。

篤クンにはこのときの自分はどのように映っていたのでしょうか?

あの時の取材では、たけしの大久保2丁目の自宅のほかに、軍団のメンバーのアパートや立ち回り先にも取材をかけました。

ダンカンが住んでいた中野坂上のアパート、ガダルカナルタカが住んでいた新宿2丁目のマンション、軍団がミーティングを行う四谷3丁目の居酒屋…とにかく、成果はほとんどありませんでしたが、足を使った取材だったと記憶しています。

取材で印象に残っているのが、たけしが知人に漏らしていた次の言葉です。

「将来どうなるかわからないけど、A子(専門学校生)のことは一生面倒を見る!」

芸人としてのイメージとは違う、たけしの知られざる顔を見た瞬間でした。

「離婚については父と母の問題で、僕がとやかく言う立場にありません…考えてみたら、こんなにも父と真剣に向き合ったのは人生で初めてのことかもしれません」
『週刊文春』の取材にこう答える篤さん。

あの33年前の冬の日。
少しだけ距離を置いて歩いた大久保通りの光景が、まるで“北野映画”のようにフラッシュバックしてきます…。
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