なぜ日本政府はアウンサンスーチーというこんな反ミャンマー、恨日政治家に多額の経済援助をするのか?理解に苦しむ。日本はミャンマー人の不幸拡大を進めるアウンサンスーチーをなぜ支援し援助するのか?不可解である。

 

 


「仏教徒によるイスラム少数民族への凶暴な暴力に沈黙するアウンサンスーチーの冷酷無比。  」

 

2015-11-12 10:13:00
テーマ:政治


アウンサンスーチーの民主化を担うイスラム教徒大量虐殺、民族浄化の仏教徒。

 

●仏教徒とイスラム教徒が激突し殺害が繰り返される現実。深刻なロヒンギャの弾圧問題。
 バングラディシュとの国境地域ラカイン州に定住しているイスラム教徒の少数民族。人口は定かではないが約80万人~130万人と推定されている。かつてはミャンマー国内部族の傭兵や商人として国境関係なく往来してきた経歴をもっており、現在でもロヒンギャの居住区域はバングラディシュとミャンマーにまたがっている。ロヒンギャの宗教はイスラム教徒であり仏教徒が多数派のミャンマー人と対立する原因になっている。
 このロヒンギャに対してミャンマーの考え方はロヒンギャは隣国であるバングラディシュの「ベンガル人」であり自国民ではない不法移民という立場を取っている。また居住しているラカイン州でも「存在しない人々」と呼ばれるなどミャンマー人からは排斥される存在になっている。

 

ミャンマーの北西部、黄色の部分のベンガル湾に面したラカイン州がロヒャンギの多く住む地域である。


西側のバングラディシュと隣接している。

★1982年の市民権法でロヒンギャは正式に非国民であるとし、国籍が剥奪された。そのため、ロヒンギャの多くは無国籍者である。
「現在も、ラカイン州では仏教徒であるアラカン人とイスラーム教徒であるロヒンギャの間で死者の出る衝突が頻発しているが、次代を期待されるアウンサンスーチーはこの問題についての解答を留保しているため、ロヒンギャ側は不満を露わにしている。」(★以下はWikipediaより抜粋)
  一方でバングラディシュもロヒンギャを自国民であるとは認めていない。
  そのためロヒンギャは地理的な国を持たないだけでなくどこにも帰属する国籍のない無国籍者となっている。日本にもロヒンギャが200人あまりいるが日本政府はロヒンギャの国籍をミャンマーとしている。
  アウンサンスーチーは深刻な人権弾圧が明らかなロヒャンギ問題についてまったく積極的な発言をしない。それはサフラン僧の仏教徒、イスラム弾圧の先頭に立つ過激派僧侶組織こそがアウンサンスーチーの民主化を支持する政治闘争の手駒、政治マシーンになっているからだ。軍事政権の民主化弾圧、人権弾圧を激しく非難してきたアウンサンスーチー自身やアウンサンスーチーを支援してきた西側諸国だが、いま仏教徒によるロヒャンギ虐殺については黙して語らない。
  言い換えればイスラム教徒のロヒンギャを惨殺したサフラン僧の血濡れた手によってアウンサンスーチーの民主化の旗は掲げられているのだ。

 

●アウンサンスーチーを支持したロヒンギャへの弾圧で虐殺されたり難民化して国外流出。仏教徒との衝突が頻発。
 1988年、ロヒンギャがアウンサンスーチーらの民主化運動を支持したため、軍事政権はアラカン州(現ラカイン州)のマユ国境地帯に軍隊を派遣し、財産は差し押さえられ、インフラ建設の強制労働に従事させるなど、ロヒンギャに対して強烈な弾圧を行った。ネウィン政権下では「ナーガミン作戦」が決行され、約30万人のロヒンギャが難民としてバングラデシュ領に亡命したが、国際的な救援活動が届かず1万人ものロヒンギャが死亡したとされる。結果、1991年~1992年と1996年~1997年の二度、大規模な数のロヒンギャが再び国境を超えてバングラデシュへ流出して難民化したが、同国政府はこれを歓迎せず、UNHCRの仲介事業によってミャンマーに再帰還させられている。
2012年6月、ロヒンギャ・ムスリムとアラカン・仏教徒の大規模な衝突が起き、200人以上が殺害された。そのほとんどがロヒンギャであった。さらに13万~14万人のロヒンギャが住処を逐われ[24]、政府は避難民キャンプに幽閉した。
2015年現在、膨大なロヒンギャの国外流出と難民化は留まるところを知らない。
(以上はWikipediaより抜粋)


●ロヒンギャと仏教徒の対立で死者も出る事態をなぜアウンサンスーチーは放置するのか。 
 2012年11月5日 AFP】
 ミャンマー西部で仏教徒とイスラム教徒が衝突している問題をめぐり、アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)氏は3日、自分の「道徳的指導力」を行使していずれかの側を支持することはしないと語った。
 ラカイン州の衝突では、6月以降10万人以上の住民が避難を余儀なくされている。先月も衝突があり、新たに約3万人の住民が避難した。また、これまでに双方でそれぞれ数十人が死亡し、数千戸の住宅が放火されている。
 ミャンマーに暮らすロヒンギャ人80万人は、政府をはじめ国内の多くから、近隣バングラデシュからの不法移民とみなされている。活動家らは、激しい差別により、ロヒンギャ人らはいっそう疎外されることとなっていると主張。国連(UN)も、ロヒンギャ人を世界で最も迫害されている民族の1つと位置づけている。
 http://www.afpbb.com/articles/-/2910748?pid=9784866
 「AFP」

 

●英領植民地時代の遺産である民族間の怨讐から生じる差別と迫害。ロヒンギャ今後の課題。
 国際社会と人道主義団体には、ミャンマー当局の追放を助長させないためにも感情論に走らない冷静な対応が求められる一方、「人間の安全保障」の観点からすれば、英領植民地時代の遺産である民族間の怨讐から生じる差別と迫害は明らかであり、ロヒンギャの身柄保護と人道支援が急務であるというジレンマに陥っている。この難しい局面を打開するためには周辺諸国の協力が必要だが、比較的マレーシアがロヒンギャの流出に同情的なのに対し、タイ、バングラデシュ、インドネシアなどは、国連やNGOの批判に取り合わず、ロヒンギャの正規受け入れを拒否し続けている。一方、人権団体アムネスティ・インターナショナルは、「まずは、ビルマ(ミャンマー)国内におけるロヒンギャの人権が確保されるべき」と主張している。(以上、Wikipediaより抜粋)
 
 
●イスラム教徒であるロヒンギャ排斥、弾圧を加速させている民主化運動の高まり。
  ビルマ国内のロヒンギャ排斥の世論は、英領植民地期の20世紀初頭から強まったインド人移民への歴史的な排斥感情を基に成り立っている。
 こうした反インド人(ムスリム)感情を基盤に、独立後はムスリムがビルマで人口を増やそうとしているのではないかとみなす仏教徒側の恐怖心が重なり、さらにロヒンギャの場合は前述のように肌の色や顔つきの異なりを理由とする人種差別的な感情も覆いかぶさったのである。

 皮肉なことではあるが、ビルマの政治体制が2011年3月に軍政から民政に変化した後、この国では言論の自由が認められるようになり、それにつれ宗教的な言説も「自由化」され、一部の過激な仏教僧侶が宗教としてのイスラムと国内のムスリムを激しく攻撃する説法を行うようになった。それは典型的なヘイトスピーチである。
 この種の説法は軍事政権期(1988-2011)には治安を乱すものとされ、たとえ僧侶であっても投獄された。しかし、いまはそのようなことはない。宗教の政治利用は憲法で禁じられているにもかかわらず、ヘイトスピーチ同然の反イスラム説法への取り締まりは殆どおこなわれていないのが現状である。
 一般仏教徒の中には、悪意に満ちたこのような説法の影響を受け、ムスリムを襲うような行為に走る事態も国内で生じている。国内メディアもビルマ人の多数派世論を意識し、僧侶らの反イスラム説法の問題を批判的にとりあげることを躊躇している。
 現実を知れば知るほど、ロヒンギャ問題の解決への道はみつからなくなる。この問題を人権問題として認識するUNHCRやいくつかの国際NGOが、彼らに対する物質的な支援を長期的におこなっているが、そのような援助行為すら、ビルマ国内の仏教徒から反発を受けているのが現実である。

 http://synodos.jp/international/15523
 2015.11.06 Fri ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか 根本敬 / 東南アジア近現代史

 

●ミャンマー仏教徒に「イスラム嫌悪」を説く高僧が出現 。
 ロヒンギャ族に対しては、彼らは古くは15世紀から傭兵や商人として定住したベンガル系移民の末裔だが、82年、当時の軍政は、彼らをバングラデシュからの「不法移民」として国籍を剥奪し、さらに88年、ロヒンギャ族がアウンサンスーチーらの民主化運動を支持したことから、軍政による財産没収や強制労働などの弾圧が常態となり、加えて、仏教徒住民による攻撃も頻発するようになった。

とりわけ2009年と12年の宗教暴動では多くのロヒンギャ族難民が小船で海に逃れたが、数百人が洋上で漂流したまま行方不明になっている。

西部ラカイン州に偏っていた両教徒の衝突は、だが、今年に入ると、全国に広がりだした。3月、中部メイッティーラ市で店員と客の喧嘩に始まった暴動は、双方の住民が刃物や棒で襲い合い、43人が死亡し、1千戸近いイスラム教徒の家やモスクが焼き払われる結果となった。これをきっかけに反イスラム暴動が中・南部15カ所に拡大、一旦は沈静化したが、4月には南部オッカンで、また5月には北東部ラショーで、多数派の仏教徒住民がイスラム教徒の商店やモスクなどを襲う事件が続いている。

◇◇ イスラム攻撃は弱い者いじめ

 ミャンマーではじつは、仏教徒対イスラム教徒の対立は、この国の民族・宗教対立の主要なものではない。独立当時、英国植民地支配下でキリスト教徒となった者も多いカレン族、カチン族、チン族をはじめ、ワ族、シャン族、モン族などの少数民族は、ビルマ族仏教徒主導の国造りに異を唱え、武装組織を創設してビルマ族に迫り、一時はビルマ族中央政府は当時の首都ラングーンを統治するのが精一杯の状況にまで追い詰められた。
これがその後の軍政維持の主要な一因だが、紆余曲折を経ながらも、各少数民族武装勢力を次々と下し、12年初頭までに10の主要少数民族武装勢力と停戦合意に達し、唯一残ったカチン独立機構ともごく最近、停戦合意の兆しがうまれている。

このようにそれぞれに州を構成し侮れない武装勢力をもつ有力な少数民族との緊張が薄れたなかで、いま、弱小で、もともと同化志向のイスラム教徒に、攻撃の刃が向かっているのである。

http://www.youtube.com/user/altermagazine
「オルタのネットワーク」


●民主化を支持する国民大多数の仏教徒。アウンサンスーチーはロヒンギャを擁護できない現実。
 アウンサンスーチーといえば、ロヒンギャ族の窮状をめぐる彼女の言動には落胆の声もあちこちで上がった。人権侵害というなら彼らほど暴虐にさらされている人々もないわけだが、サフラン僧が先導しての虐殺行為をとがめることもなく、口をつぐんでいるからだ。悲しいかな、彼女も政治家だ。政治家は選挙で負ければすべてを失う。国民の9割を占める仏教徒からの支持が弱まることを恐れて、ロヒンギャ族を表立って擁護することができずにいるのかもしれない。

バラク・オバマ大統領は、ミャンマーが軍政独裁から民主化に舵を切ったこと祝福した。かつてイランや北朝鮮とともに“暴圧政治の前哨基地”と呼ばれたミャンマーが、西側諸国の差し伸べた“友好の手”を握りかえしたことを讃えたのだ。しかし前述のように、いまだに政治犯の多くは拘束されたままだし、ロヒンギャ族は歴史上のユダヤ人やガザ地区のパレスチナ人のような人道危機にさらされながら、黙殺されたままだ。

軍政が真の民主化を認めるのかどうかは、2015年の総選挙の結果を見てからでなければわからない。しかし、アウンサンスーチーはかつて外国人と結婚していたことがあり、それを理由に大統領になる資格はないとされている。見通しは明るくはないのが実情だ。

そして中国も、虎視眈々とこの国を狙っている。「中国に欠けているもの、それはカリフォルニアの西海岸です」と、ミャンマーを代表する知識人のひとりが語っている。「内陸部の諸省から外海に出られる出口を求めているのです」。ベンガル湾に接するラカイン州は、ムスリムへの迫害がどうあろうと、まさしくその出口たりうるのだ。

米国の元上院議員のトム・アンドリューズは、ロヒンギャ族の惨状をこう語っている。「彼らのために立ち上がり、声を上げる者はミャンマー国内にはいません。ですから国際社会がこの虐殺行為に目を注ぎ実態を暴くことで、彼らの処遇改善を訴えつづけることが今こそ大切なのです」。

声を上げるためにまず必要なのは、虐げられた人々がそこにいることを知ることだ。ミャンマー最西部に古くから住むイスラム教徒が、今ジェノサイド(民族浄化)の的になりつつある。それをひとりでも多くの人に伝えたくて、この記事を私は書き上げた。人類史上に迫害の汚点がここまでまたひとつ付け加えられることを許してはならない。
http://gqjapan.jp/column/story/20150607/ashin-wirathu
“宗教戦争”最前線──イスラム教徒を虐殺するミャンマーの怪僧。
注意・このミャンマー現地レポートには凄惨な写真が含まれております。閲覧注意。

 

 

2013年3月、
ミャンマー
中部の都市メイッティーラで仏教徒とイスラム教徒の対立から虐殺が発生した。モスクと、そのまわりの建物が焼き尽くされた惨劇の跡/左:969運動を率いる高僧アシン・ウィラス Getty Images (left center), AFP-JIJI (background)


●アウンサンスーチーのロヒンギャ大量虐殺(ジェノサイド)許しがたい沈黙。
過酷な状況は、130万人いるロヒンギャの市民権の否定から、移動・雇用・教育・医療への厳しい制限、そして彼らの故郷であるラカイン州でロヒンギャの家族に対し「子供ども2人」までの制限を課す差別的な法律まで、広範囲に及ぶ。
数十万人が家から追い出されてきた。ロヒンギャの町や村は、略奪を重ねる暴徒によって跡形もなく破壊された。政府は2014年、何世代にもわたってミャンマーに住ん​​でいるこのイスラム教徒少数民族は「ベンガル人」として国勢調査に登録すべきだと主張し、「ロヒンギャ」という言葉の使用さえも禁止した。
仏教徒過激派がロヒンギャに加えた暴力はもちろんのこと、国家の支援を受けてロヒンギャを抑圧しているのに、非難するどころか、完全に認めようとしない。スーチーは問題を解決するではなく、問題の一部になっている。
では、スーチーは、こうした問題の中でどのような立ち位置なのだろうか? 
そもそもの話として、彼女の沈黙は許しがたい。僧侶アシン・ウィラトゥ(別名「ビルマのビン・ラディン」)に触発された仏教徒過激派がロヒンギャに暴力を加えているのはもちろんのこと、国家の支援を受けてロヒンギャを抑圧しているのに、非難するどころか、完全に認めようとすらしない。スーチーは問題を解決するのではなく、問題の一部になっている。
ロンドン大学の法学教授で国家犯罪イニシアティブのディレクター、ペニー・グリーンは、イギリスの「インディペンデント」紙に寄稿した論説で、「ジェノサイド(大量殺害)に沈黙することは共犯に等しい。だからアウンサンスーチーも共犯だ」と見解を述べた。「巨大な道徳的・政治的資本(有権者からの支持、信用)を手にしている」のだから、ミャンマーの野党指導者スーチーは「ビルマ人の政治的・社会的な世論の特徴ともいえる下劣な人種差別とイスラム恐怖症」に挑戦できたはずだと、グリーンは主張した。

彼女はそれをしなかった。その代わり、彼女は過去数年間、――軍が彼女の大統領選出を可能にする、あるいは彼女の出馬を認めた場合 ――2016年に大統領に選出されるために必要な票をもつミャンマーのマジョリティである仏教徒に擦り寄った。そのため、ロヒンギャに犯した暴力を軽視し、迫害の加害者と被害者に対して見せかけだけの平等を提言してきた。
例えば、2013年のBBCのインタビューでは、スーチーはインタビュアーのミシャル・フサインに「イスラム教徒が標的にされていますが、仏教徒も暴力にさらされてきました」と語り、恥ずかしげもなく「双方」への暴力を非難した。
しかしミャンマーでは、仏教徒は悪臭を放つキャンプに閉じ込められることはない。ロヒンギャはキャンプで「徐々に飢餓、絶望、そして病気で倒れていく」。ヒューマン・ライツ・ウォッチは「民族浄化」​​と呼び、ミャンマーの人権状況に関する国連の特別代表が「人道に対する罪に相当する可能性がある」と述べているが、仏教徒は犠牲者ではない。仏教徒は国からを逃げようとしてボートに群がって乗り込み、そうしている間にもハンマーやナイフで暴行を受けてもいない。単刀直入に言えば、仏教徒は大量虐殺(ジェノサイド)に直面していない。
http://www.huffingtonpost.jp/mehdi-hasan/aung-san-suu-kyi-silence-rohingya_b_7575022.html「アウンサンスーチーがロヒンギャ問題について沈黙している。その理由は許しがたいものだ」

 

●結論●

「彼女の不断の努力を称えるため、また平和的手段によって民主主義、人権、民族和解を達成しようと努力している世界中の多くの人々への支持を示す」
 これは1991年、アウンサンスーチーへノーベル平和賞を与えた時のノーベル賞委員会の声明である。アウンサンスーチーはあらゆる人間の抑圧や弾圧と闘う象徴として世界から賛嘆された。
 だがいまアウンサンスーチーはミャンマー国内のイスラム民族浄化のジェノサイトと化しているロヒャンギに背を向けたまま選挙に勝利し大統領を超える権限を手にしようとしている。
 民主化を支えるミャンマーの圧倒的多数の仏教徒の支持なくしてアウンサンスーチーの権限も立場もなにもない。
 だがそれはミャンマーの「民主主義、人権、民族和解を達成しようと」する努力を無視したままであっていいのだろうか?
 少数民族問題、とりわけロヒンギャ問題は簡単には解決できないだろう。
 しかしアウンサンスーチーは仏教徒さえも被害者でもあると擁護し、仏教徒がロヒャンギに加えた暴力、虐殺の事実すら認めようとはしない。
 非現実的な理想主義で何事も解決するものでないことはその通りである。
 しかしアウンサンスーチーの態度を見ているとミャンマー国民そのものへの愛情を微塵も感じることができない。ロヒンギャへの同情や労りの言葉もなければ仏教徒への自制を促す言葉の欠片もない。

 仏教徒を批判しロヒンギャを擁護すればアウンサンスーチーの率いる政党「国民民主連盟」が仏教徒の多い国民からの強烈な反感を買うのは明白だ。このことをアウンサンスーチーは極端に恐れ沈黙しているのだ。
 あるいはアウンサンスーチーにとって国民は仏教徒だけであり他宗教、少数民族は眼中にはないのだろうか?
  アウンサンスーチーにとって国民は自らの権力闘争を勝ち抜くための手段にすぎないのだろうか。
 アウンサンスーチーにとって人間は統治の対象であり救済の対象ではないのだろうか?
 今回の選挙でアウンサンスーチーはミャンマーを民主的に再生する「母」として熱狂的に支持され歓迎されている。
 だがアウンサンスーチーの素顔は新しくミャンマーに送り込まれた冷徹な英国人統治者、なのかもしれない。
 
 虐殺に沈黙する事は共犯に等しい。
 最近の世界のマスコミもこのような言葉でアウンサンスーチーを非難しはじめている。
 アウンサンスーチーはおそらく今後憲法上の規定で大統領にはなれな胃が、自ら断言しているように傀儡の大統領を指名し実質的な最高権力者としてミャンマーに君臨すると予測されている。
 
 【ヤンゴン共同】ミャンマーの次期政権を主導する見通しとなった野党、国民民主連盟(NLD)の党首アウン・サン・スー・チー氏(70)は10日、外国メディアとのインタビューで、次期大統領は何の権限もないと明言。自身の大統領就任を禁じた憲法規定に合わせるために任命されるにすぎないとして「私が全てを決定する」と強調した。
 国家元首の大統領ではなく、自身への権力集中にこだわる姿勢は、「権威主義」や「違憲」との批判を招く恐れもある。

 アウンサンスーチーのめざす民主化とはいったい何なのか?
 貧困、差別、暴力を見て見ぬふりをするアウンサンスーチーの民主化は非人道的な権力者の独裁とドコが違うのか?
 ミャンマーで政治権力者をめざす動機と目的はいったいドコにあるのか?
 すくなくとも行き場がなく暴力にさらされ虐げられた人々の救済でないことだけは確かなことのようだ。

http://ameblo.jp/imoseyama/entry-12094665760.html
「拙ブログ バックナンバーより」

 

 

 


「アウンサンスーチーは英米の工作員。「ミャンマー民主化」を叫ぶアジアのチンドン屋。」
★ビルマ人の涙ぐましい努力をすべてぶち壊しているのが、極悪女 アウン・サン・スーチー。
 亜細亜を白人支配から解放した大東亜戦争後、ビルマの歴史はビルマ人が再び國を取り戻すための涙ぐましい努力で彩られています。リーダーであるメ・ウィンは鎖國を命じました。そのために経済は停滞してビルマは最貧國に落ちました。ネ・ウィンはデノミと徳政令もやりました。
 なぜわざと貧乏になる政策をしたのかと思いますよね? 貿易を止められた上に徳政令では経済と金融を握っていた華僑やインド人には何のうまみもなくなって、ビルマから出て行きました。
 残るは警察と軍隊を握る山岳民族です。やさしいビルマ人は山に帰れとは言わず、共存を訴えました。その証としてビルマ人の國を意味する「ビルマ」を「ミャンマー」に変えました。これがビルマからミャンマーに変わった理由です。
 植民地支配の遺した負の遺産を誰のせいにするでなし、國名も変え、貧しさに耐えつつ平和的に解決しようとしたのです。素晴らしではないですか! それを世界各國のメディは軍事独裁政権として経済制裁を課したのです。なぜかは後ほど。
 そういうビルマ人の涙ぐましい努力をすべてぶち壊しているのが、極悪女 アウン・サン・スーチーです。スーチーは植民地時代の支配階級だった山岳民族やビルマ人不満分子を糾合し、政権奪取を狙いました。メディアが崇めているスーチーの正体とはこんなものです。とにかくメディアに騙されないで!!! 真実を知ってください。
 この筋書きを裏で描いたのが英國です。ビルマにまともに独立されては、自分たちがやった行いが世界にばれてしまいます。また一定の影響力も遺したい。独立に尽力したリーダーの一人である、スーチーの父親を英国はぶち殺しました(メディアではスーチーの父親は日本軍と戦ったとしていますが、まっ赤な嘘です)。娘のスーチーを英國に連れて行き、英國人と結婚させました。そして、似非(えせ)民主化運動の旗手としてビルマに送り返したのです。
 英國は各國に圧力をかけ、ビルマを悪者に仕立て、経済制裁をしました。ビルマはしかたがなく支那と結びつきました。支那もビルマを食い物にしました(これについてはまた後日にでも)。
 私は決してミャンマーとは言いません。ビルマと言います。スーチーに騙されない。メディアにも騙されない。スーチーが何を意図してありもしない従軍慰安婦を批判したのかは知りません。欧米のアジアに対する大東亜戦争時のひどい仕打ちを隠したい欧米の意思がまだ働いているのかもしれません。
 スーチーは悪人です。ほんのちょっと真実を学べばわかることです。
http://www.soepark.jp/soepark/2013/02/post-3029.html
「ビルマと呼ぼう、スーチーの嘘を知ろう(二月四日の日誌)」

 

★差別に苦しむ少数民族のカチン族を見放す。独裁国家シナ企業の開発事業を支持。 
  スーチー女史は昨年4月に国会議員となって以降、あれほど激しく行っていた政権批判を封印するようになりました。
  少数民族(カチン族)武装勢力と政権側との対立について、少数民族側はスーチー女史からの支援を待ちましたが、彼女は「政府が対処する問題だ。私は議会の民族委員会のメンバーではなく、干渉すべきではない」と述べ、少数民族側をがっかりさせました。
  スーチー女史は議員就任の前後、「少数民族の権利擁護」を最優先課題の一つに掲げていたにも関わらず、そんな対応をしたわけですから、彼らが失望するのも無理からぬことです。
  カチン族の活動家は、「彼女の関心は少数民族の苦しみよりも、賞をかき集め大統領になることにある」と批判しました(産経新聞2013.1.31 19:16)。
  
   また、昨年11月、ミャンマー中部で、支那企業と軍系企業との合弁による銅山開発事業の中止を求める僧侶や住民らを警察が強制排除した問題でも、スーチー女史は彼らを失望させました。
  テイン・セイン政権(テイン・セイン大統領は華人)の要請により調査委員会の委員長を務めたスーチー女史は、政権と支那に配慮し、今年3月、「開発を続けるべきだ」との報告書を公表したのです(毎日新聞2013年03月13日19時14分)。

  いずれも、“民主化運動指導者・スーチー女史”に対するミャンマー国民の期待が大きく裏切られた出来事でしたが、このあたりを突っ込んだ日本のテレビがどれほどあったでしょう?

http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1369.html
「ぼやきっくり」


自宅軟禁というが広大な敷地と豪邸。庭で訪問してきたヒラリークリントンと散策会談。庭に支援者を呼び込んで禁止されている集会を拓くなどやりたい放題。この屋敷の裏は広大な湖となっておりまるで高級別荘地である。これで軟禁?????


★アウンサンスーチーの正体を知るミャンマー指導者層は彼女は「英国人」だと見抜いている。
 ある時、キン・ニュンに、「我が国での情報によると、ミャンマーはインド洋のアンダマン海に中国のレーダー基地建設を許可したというが、本当か」と訊いた。
  それに対して彼は、「そんなことはない。我々は中国と国境を接している。従って近所付き合いはする。しかし、中国の弟になるようなことは絶対にない」と答えた。
  またある時、キン・ニュンとアウンサン・スーチー女史の話になった。その時彼は、次のように言った。
またある時、キン・ニュンとアウンサン・スーチー女史の話になった。その時彼は、次のように言った。
 「彼女は、アウンサン将軍の娘だ。だから我々は、妹のように思って接している。しかし、彼女は夫も子供もイギリス人でイギリスに家を持っている。しかし、我々四千五百万ミャンマー国民は、この大地で生まれこの大地で死ぬんだ」

 日本外交は、国家戦略としてキン・ニュン第一書記の期待に応えるべきであった。それを、自分勝手で独善的なアメリカ国務省のオルブライト長官等のスーチー好きの意向に盲従し、機を失してしまったのである。まことに、戦略なき外交である。豪勢な大使公邸を造り、キャリア外交官を大使として送り込んでいるだけであった。

  さて、ミャンマーの民衆であるが、敬虔な仏教徒で極めて親日的だ。今朝の産経の論説にあるとおりの人々が、今も日本軍戦没者を慰霊してくれている。それ故、ヤンゴン郊外の日本人墓地にはミャンマーの人々に向け、生き残った兵隊達によって次のように書かれてた石がある。
 「あなた達は、我々が勝っているときも負けているときも、等しく親切に接してくれた・・・ありがとう・・・」

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=315
「西村眞悟公式ブログ」

 

★欧米へ「軍事政権への経済制裁をやめるな」というアウンサンスーチー。日本の援助も非難。
 概略を言えば、中国は国境紛争を抱えるインドを封印するためにパキスタンに核とミサイルを供与し、ミャンマーを通じてインド洋に進出しようとしていた。
  そして、こともあろうに、日本とアメリカは、親日国のミャンマーを中国に追いやっていたのである。そのミャンマーを共産中国に追いやる口実は、「民主化を弾圧する軍事政権はけしからん」というきれい事。これによって日本やアメリカは、最貧国のミャンマーを制裁し援助をストップしていたのだ。
  そして、このきれい事の結果が、ミャンマーを飲み込むが如き中国のインド洋への進出つまり我が国のシーレーンの危機と、さらに現在の東シナ海と西太平洋への進出を招いている。
  ミャンマーの反政府活動家のアウン・サン・スーチー女史が、「欧米はミャンマーに対する経済制裁を維持すべき」、つまり、援助するなと叫んでいる、と報じられている。
 彼女の自国に対する経済制裁の要求によって、どれほどミャンマー国民が苦しみ、中国がミャンマーを飲み込むに任せる事態を作り上げてきたのか。
  そして、これによってインド洋とアセアン地域に、如何なる不安定要因が生み出されてきたか。
  最も、このスーチーという教条的でバランスの崩れたイギリス女の要求に乗って、大切な親日国のミャンマーに援助停止と制裁を続けた我が国外交が劣悪だったのだが。これを身から出た錆という。
  ミャンマーでは育っていない、イギリスで育った。従って、ミャンマー民衆の思いと生活状況に関心がなく、ただ教条的に日本の援助を非難しているだけだと思い知った。
  さて、イギリスの分割統治という植民地支配がもたらした少数民族との武力紛争と民衆の貧困という結果を背負うミャンマーが、統合を維持してきた理由の最たるものは軍の存在である。
  ミャンマーは、「軍事政権」だからミャンマーとして存続してきているのだ。軍服ではなく背広を着ていても一党独裁の悪い政権はある。例、北朝鮮、中共。
  そのミャンマーの「軍事政権」が選挙を行い民主化の方向に努力している。
  我が国は、スーチー女史の教条主義に乗るのではなく、アメリカを説得し、現政権の努力を支援して見守るべきである。
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