「驕り」「卑下」「誇示」「気負い」・・を脇に置いて・・ | 吾輩は吾輩である。

吾輩は吾輩である。

これ以上でもこれ以下でもない、湧いてくるものそのままに・・

・・その場ととともにある、

その場の人と楽しむ、心通わす・・

 

うん、なんかそんな感じ・・かな(^^♪

 

 

以前、全盲の弁護士、大胡田先生の講演を聞いたとき、

「心をはどこにあるのか?」という問いに対して、

「心は人と人との間に存在するもの」っていう見解を示した、

精神科医だったか、哲学者だったか・・の話をしてたと記憶してるんだけど・・

 

・・なんだかね、真偽、正誤のほどはともかく、

大胡田先生が言ったからこそなのか、なんだかそんな気がするような・・

言葉や理屈以上に伝わるものがあった気がして。

 

「驕り」「卑下」「誇示」「気負い」etcにどっぷりハマっていては、

なかなか心通わすことが難しく、苦しいか、せいぜい一時的な優越感に浸れるぐらいか・・

 

でも、自覚したそれらを脇に置く、あるいは、

人に差し出すように告白すること・・これは「迷い」や「怖れ」といったことも一緒だろうと思うけど、

人との間に心芽生えさせる「種」となりうるかもしれない・・

 

うんウインク