「何かを表現したいのなら、それを生きること。」
これは、ある会社経営者の、そのまた知り合いの方が先日おっしゃっていたことです。
シンプルですね。
最近、たて続けにあるパターンを目の当たりにしました。
他人の状態については的確に言い当てて、落ち込みに共感して、回復を祈って、回復の喜びを共有
…している様に見えたのですが、いざ自分の番になると、訳が分からないことを
言い出して、尻尾をまいてさっさと消えてしまった人。
「なんだったんだろうね」と関係者一同ポカンとしました。
その人が表現したかったことが、チリになって力なく消えてしまった様な気になりました。
まるで、最初からなかったかの様に。
その人は、結局その人が表現していることに、生きていなかった…。
目を向けたくない、辛いこと、心が裂れそうなこと、ありますけど
逃げることもありますけど
逃げても逃げても、やっぱりなーんにも解決しないし
事実はひとつ
考え方はふたつ
その人からたくさんの尊い光を見せてもらい、助けてもらい、
共有できたことは確かな事実です。
その人が見せてくれた闇と光の世界を、両方キチンとありがたく拝見して
私はしないよって小さな決心して
ありがとうしようと思います。
『人に待ってるのは、運命ではなく、選択です』ってメモを先日発見しました。
なぜか文体が丁寧でしたが…いつ書いたんでしょうね、私(笑)
突拍子がない出来事に、理解に苦しむこともありますが、
理解に苦しむ選択を受け入れるのも、理解なんだなって思いました。
そう考えると、こころがフラットになって、すーっと風通しが良くなった気がしました。
