「トラウマ。」
キツい思い出が心に影を落としたり、そのもの、似たものを見るだけで嫌ンなってきたり、
日常のフとした時に、過去にあったこと、いやなことに、
いつの間にか焦点を当ててしまうことがあります。
もちろん、無意識にです。
ふ~っと、ボーッとどっぷり浸ってしまって
「ああ、自分にとってあの出来事はトラウマになっているな」などと思います。
辛かったことの自動再生モードに、心がつかまってしまいます。
ところで、先日知って驚いたことがありました。
トラウマはもともとドイツ語で、Traumって書くらしいです。
「夢」という意味らしい。
トラウマ=夢?
急に、トラウマという言葉の重みに違和感を覚えた瞬間でした。
夢。まぼろし。
実体なし。
悩む時はご飯が喉を通らないくらい
気持ちが囚われてしまうこともあります。
しかし。
ある時
「過去はどこにあるのですか?」
と、ある脳の専門家に聞くと答えが返ってきました。
「過去は、どこにもありません。」
過去は、無いらしいです。
過去は、記憶の中にだけ存在します。
記憶はもちろん消えないし、痛みはたまに疼くかも知れないです。
また、肉体を伴って生きている以上、過去が常に現在を脅かすことも、あると思います。
しかし、記憶そのものの「色彩」、もう少しいうと「方向性」がガラリと変わる時がやがて来ます。
ガラリと変わった時、痛みは矛盾がない力の源に変わります。
痛みが癒えるきっかけや瞬間や過程を味うチャンスを、
神様がわざわざプレゼントしてくれたのかも知れないです。
冬の景色が、春を迎えて、彩りをまとうように、
胸を締め付けていた、凍り付いていた時間が、雪解けの様に息を吹きかえす様に。
力が抜けて、心から未来のことをワクワク考えられる時が必ずやって来ると思います。
やがて思い出しもしなくなって、たまーに「あんなこともあったっけな」
なんて余裕かませられる様になった頃には、しっかり痛みは意識の筋肉になってると思います。
私のトラウマは…
小4の時に好きだった人に電話で告白をしようとした時のことです。
電話をかけた後、モジモジし、まさに「好き」と口に出そうとしたその瞬間
親が買い物から帰って来て、電話をガチャ切りしてしまったことです。
掛けられた方も、訳が分からないですね(笑)
ずいぶん経ってから、お互い笑い話になりましたけれども。
電話での告白は絶対に止めようと心に誓った記憶があります。
今日もありがとうございます☆+。
:.゜ヽ(´∀`)ノ .:
添付は、渋谷で見かけた『発電床プロジェクト』
歩いた時の衝撃を、電気に変えるもので、東京駅でも同時に実験が開始されているらしいです。
熱いですね。
新エネルギー大好き。
