テレビが昔から嫌いだったわけ | のんびり・ゆったり

のんびり・ゆったり

私のプログへご訪問、ありがとうございます。アラカン主婦の独り言をプログに書いています。

 真実を報道せず、政府などに重寝入ったテレビは今も嫌いですが、私は昔からテレビというものが嫌いで、家族の食卓の時でしか目にすることはありませんでした。

 

 学校で流行っていたら、お話を合わせるために見ていましたが、本当にただそれだけでした。

 

 学生の頃は父親が大音量でナイターを見ていて、あまりの声の大きさに覚えたものがぶっ飛びました。

 

 高校時代にとても美人なAちゃんというお友達ができました。その友達に誘われて駅ビルに買い物に行ったのですが、そこでテレビの生放送の収録をやっていました。駆け出しのアイドルのような女の子のトーク番組でした。Aちゃんが『見に行ってみよう』と言ったので、テレビの生放送は初めてだったので、興味津々に見に行きました。

 

 次の日に登校したら、『コマーシャルの前にAちゃんが大きく写っていてすごく可愛かった』という話題でクラスが溢れかえっていました。

なんでも私のような不細工な女が隣にいたから余計にばえたとか!

 

 高校生の私は奥二重というかほとんど一重で見栄えがしない、今以上のブスでした。

 

 自分の知らないところでテレビに撮られて、後で知ることほど怖いものはありません。そういった準備もしていなかったので、いつも綺麗な格好をしているAちゃんと比べると、駅ビルだからと貧乏くさい格好できてしまった私はいい恥でした。

 

 この時、テレビには『ちょっと撮っていいですか?』とか断りはないのかなあ、肖像権はどうなっているのかと思いました。

 

 でもAちゃんのことが好きだったので、そんなことも忘れかけていたある日、また同じようなことがわかりました。

 

 通っていた高校はサッカーが強くて、国立競技場まで行ったのですが、サッカー部に好きな人がいるという可愛いBちゃんが初戦から応援に行きたいと言い出しました。本来なら準決勝あたりから学校の用意したバスで行けばいいのですが、AちゃんもBちゃんもいくというので、高校生の思い出になればと私も参加することになりました。

 

 その時、初戦から準決勝の辺りまで、Aちゃん、Bちゃん、私がまたコマーシャル前にテレビに映し出されることになってしまいました。Aちゃんが綺麗でBちゃんが可愛いのでこうなってしまったのかと思いましたが、顔にコプレックスのある私はテレビに出ていたと言われるだけで嫌な気持ちになりました。しかも生放送で録画もしてないので、自分が全くどんなふうに写っていたのかわからないのです。きっとAちゃんとBちゃんのいい引き立て役になっていたと思います。

 

 準決勝、決勝と進み、流石に全校生徒が応援に行ったので、狙い撃ちするテレビはなかったですが、思い入れが激しい私は初戦から見ているので準決勝で負けてしまった時、思わず泣いてしまい、涙と鼻水でグジュグジュになった姿を何かの雑誌のカメラで撮られたのが嫌でした。その写真はどうなってしまったかわかりません。

 

 今はどうか知りませんが、昔のテレビには肖像権がありませんでした。テレビマンに『どうせ写って嬉しいだろう』という思い上がりのようなものがなかっただろうかと感じます。

 

 女子大生の時はテレビのアンケートが来ましたが、走って逃げました。テレビに出たい人ばかりではないということを理解していないと思いました。

 

 バブル期を経て、おパンツが見えそうな格好で踊っている姿を見たり、日テレで胸丸出しの女の子たちが大晦日に集まる番組を見たり、そうした時は数字が取れればいいのかなとテレビに情けなさを感じていました。

 

 今はろくに真実も報道せず、視聴率が落ちていることを棚に上げ、『そうは言ってもテレビは日本人にとって特別なもの』と言って憚らない業界人のコラムを見ると笑いしか出てきません。

 

 元々西側プロパガンダの機器でしたから、今後も真実など報道しないでしょう。

 

 懐古主義のフジ、非常識な日テレ、受信料取って嘘ばかりのNHK。テレビなんてなくなっても全く困らないのに、なぜ受信料までとって、この世に存在しているのでしょう?

 

 夫さえテレビを見なかったら、全部処分して、NHKの受信料を払いたくないです。

 

 テレビも追い詰められているならば、真実を報道するなど生き残る道を考えたほうがいいと思います。