予算が出た後の長い週末 | ミクロネシア連邦 ポンペイ州観光情報

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青年海外協力隊@ミクロネシア。

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Peace/Travel/Freedom


ついに私の配属先である観光局にも

2010年度の予算が出た。




ポンペイで働き始めてからのこの3カ月、

私が一番数多く発した英単語は間違いなくbudget(予算)だ。

ポンペイの年度初めは10月なので、

かれこれ7カ月、一年の半分以上を


私の同僚たちは

予算なしで過ごしたことになる。

日本ではまるで考えられない。




この7カ月の間彼のしてきたことは「ひたすら待つこと」。

抵抗するわけでも辞めるわけでもなく、


ただただ静かに耐えていた。

「待っていればきっと誰かがなんとかしてくれる」という発想は

援助慣れした体質から来ているものだろうかと、

正直苛立ちを禁じえない時もあった。




だが、7カ月ぶりに、まるで賞状授与のように恭しく

給料明細が配られる様は微笑ましく、

また、給料が出たおかげでオフィスも俄かに活気づいてきた。




そして嬉しいことに、

予算が出たお祝いに初めて同僚たち(ボス除く)と


飲みに行くことになった。




ここポンペイでは仕事終わりに

同僚と飲みに行くという習慣がほとんどなく、

どちらかというと親戚同士で集まって

サカオを飲むことが多いようだ。




私はサカオがあまり飲めないし、

お酒を飲みながら同僚と一度話をして、

彼らが何を考えているのかもっと深く知りたかった。




日本では仕事が終わった後は

同僚同士で飲みに行くものだと言い続けて三カ月、

ついに飲み会が実現することになり、私はこの日を心待ちにした。




当日はお祝いだ!ということで15時に職場は解散。

みなシャワーを浴びに帰るというので、

なぜ飲みにいくのにシャワーを浴びるのかよくわからないが、

私も何となくシャワーを浴びて、同僚の迎えを待った。




迎えにきた同僚の一人は、

なぜか散髪までしている気合いの入りぶり。


まず最初に連れて行かれた場所は、彼らの親戚の家だった。

猛烈にブレッドフルーツと豚をバーベキューしていて、

そこで腹ごしらえをすることに。




すきっ腹で飲むのは良くないと言われ

最もだと納得したものの、

ちょこっとしたおつまみで

ゆっくり飲むという夢はあっさりと破れた。

けれど屋外で豪快に焼かれた

ブレッドフルーツと豚にかぶりつけるのは、

間違いなく日本では味わえない、ポンペイで暮らす楽しみの一つだ。




お腹いっぱい食べた後は、

一人半ダースずつ缶ビールを買い込んで車へ乗りこんだ。

そして走り出すやいなやみなでビールを開け、

そのまま郊外にあるサカオバーへ繰り出した。

(ポンペイは飲酒運転OK!)

そして、私はビール、彼らはサカオ&時々ビールで飲み会がスタートした。




そんなに大勢の人と飲んだことがあるわけではないが、

ポンペイの人はあまりお酒が強くないと思う。

しかも元々酒を飲む文化がなかったせいか、

飲み方を知らないというか、

自分がコントロールを失うまで飲むような印象。





私の同僚にしても、

いい大人が大学生のコンパ並みのスピードで杯を重ねていく。


そして酔いがまわるごとに、同僚たちは悪態をつきはじめた。




・あんなアホ上司の下でやってられるか!


・日本人ボランティアのここが変


・結婚観、恋愛観、恋人のこと


・本当は英語、しゃべりたくないんだよね

(ミクロネシア人は小学校の時から英語教育を受けているので、


大部分の人は英語ペラペラ)


などなど、本音トークが止まらない。




私も酔った勢いで、

「予算が出なかったせいで、この4カ月ほんと無駄にしたよ!」とつい愚痴が。

すると、同僚が

「そんなことないよ。空港にも行ってるし、電気代も稼いで来てくれたし、

立派にやってるじゃない」と、のたまった。





この言葉に思わず、

「私はそういうことするためにここに来たんじゃない!」

と叫ぶと、

「じゃあ何しに来たの?

なに?うちのオフィスを変えようとでも思ってるの?」

と、改めて突っ込まれて、

「私は発展途上国の人々のために働くボランティアなんだよ」、

とは言えず、少々冷や冷やした。




彼らの中に自分たちが「発展途上国」に属しているという


認識がないのは当然だし、

このカテゴリ自体がそもそもこちら側が勝手に決めたこと。

しかし私と彼らのミスマッチング、これは今後埋まっていくのだろうか?




11時頃に1次会は終了。

酔っぱらた勢いで、若者二名と私はそのまま海沿いの道に車を走らせた。

夜のポンペイは真っ暗で、特に海は何も見えない。

ただ強い潮の香りがして、遠くにほの白い船の灯りが見えた。

毎日通る良く知った道が、まるで違う表情を見せていた。




疾走するピックアップトラップの荷台で

同僚の一人がタイタニックのディカプリオなみに立ち上がり、

向かい風を浴びながらが叫んだ。




「Nothis is impossible for us!

Everything will be all right!!」




とてもいい言葉だけど、なぜか違和感が。

それを体現出来るのは、努力している人間に限られるんじゃなかろうか。

彼らが言うと、何だかひどく投げやりな感じがした。




更にもう一人も、いかにも酔った感じで叫んだ。




「チヒロ見なさい。

これが私たちの国なの。

本当に美しいと思わない?

私は日本に行っている間、

自分の国に帰りたくてしかたなかった。」




酔って芝居がかった彼らに、

冷や水を浴びせてやりたくなった。

そこで私はずっと聞きたかったことを問うてみた。




「私はミクロネシアが好きだし、

いいところだと思うよ。

でもずっと今のままではいられないよ。

そのうちに経済援助が打ち切られて、

世界中から見放されたらどうするの?」




すると、案外真面目な答えが返ってきた。




「この国にたくさんの資源があることは知っている。

でもこの国の人々は使い方がわからないんだ。

僕は将来的には外国で教育を受けたいと思ってる。

僕には、そしてこの国には教育が必要だ」




じゃあそうやって、

留学した後はどうしたいの?と尋ねると

帰って来た答えは「良い家庭を作りたい」。


あまりにも意表をつかれ、しかもあまりにもポンペイ人らしい答え。

そんな彼らの答えを非常に愛しく感じる反面、

なぜそこでもっとハングリーになれないのだというもどかしさも感じずにはいられなかった。




シーサイド・ドライブの興奮冷めやらぬまま、

私たちはオーストラリア人の経営するバーへ。




ところがそこで同僚の一人が

元カノが別の男性といるところを目撃してから事態は思わぬ方向へ。

その状況を目の当たりにして荒れる同僚。

もう今日は飲んでやる!、とばかりに

次から次へとテキーラを空ける。

そしてその後当然酔いつぶれて撃沈。

なぜミクロネシアに来てまで酔っ払いの世話をしなければならないのか。

変なデジャ・ヴを感じながら私は本日の解散を提案した。




しかし彼らの荒れっぷりは止まらず、

そのままポンペイ唯一のクラブ、フラミンゴへ。

一晩中飲み明かした後、私たちは深い眠りに落ちた。

「この週末はもう十分だ」という合意の元に。




目を覚ますと既に昼過ぎ。

そして、なぜかそのまま海を見に行くことになった。

若い彼らはすでに復活。




「パーティーはまだ終わらないよ」




また大量のビールとサカオ、

そしてお弁当にと、


ボール入れた大量の白米と魚やらスパムの缶詰めを持って

彼らの友人たちとともに私は再び車に乗り込んだのだった。


日本で行ったらさしずめ新宿で飲み明かし、

そのまま始発電車で湘南へでも繰り出すようなノリだろうか。




その日は怖いほどの大雨。

ピックアップトラップの荷台ではほとんど喋れないほどだった。

だが、酒がこぼれては笑い、

誰か荷台ですべっては笑い、

写真をとっては笑い、

煙草の火をさかさまにつけては笑った。




到着したのはオーワという地元民向けの海水浴場だった。

ただこの日は残念ながらゲートのカギが閉まっている。

そこで裏口のようなところからこっそりと侵入した。




当然私たち以外には誰もいない。

体を温めるため準備運動の代わりにウィスキーを回し飲みした。

静まりかえった海水浴場で、

私たちは飛び込み台から次々とダイブした。

水は程良く冷たく、泳ぐほどに体内の精気が蘇るようだった。




オーワの立地は変わっていて、

そこに辿り着くまでは草深い山道なのに、

ついた途端に突然開けて海になる。


後ろ手には山、眼前には蒼い海、

建設工事が途中で頓挫してしまったようで、

砂浜に置き去りにされたブルドーザーが終末感を掻き立てた。




澄んだ水にゆったりと浮かびながら灰色の空を眺めていると、

心地よい寂寥感がじわじわと広がって行った。

聞こえるのは同僚たちの歓声や歌声だけで、

まるでこの世の中には私たちだけしかいないような気さえした。




その後大きなヤシガニが見つかり、

みんなでおおはしゃぎでカニをとった。




カニが逃げれば笑い、

誰かがつまずけば笑い、

そして何とか二匹捕獲したところで


日が暮れて私たちは帰路についた。

長い影が砂浜に落ちていた。




家に帰りつくと、同僚の一人は


カニをさばきながら意識不明的な睡眠状態に。




もう一人は眠さに耐えきれず家に帰るとタクシーを呼んだのだが、

やっときたタクシーが豪雨のため脱輪。

疲れ切った中びしょびしょになりながらみんなで何とか車を引き上げると、

彼もまた自分の家へとすごい速さで消えて行ったのだった。




まるで喜劇のような終幕。

そして私もその日は泥のように眠った。




月曜日の午前中、出社してきたのは

私とGMだけだったのは言うまでもない。




若者はどこの国でも刹那的で衝動的。

でも、だからこそ時に大人の心を震わせるのでしょう。

一緒にいると、日々教えられることがすごく多く、

そのたびに彼らに近づき、理解したいと感じます。




ミクロネシアに来て、今さら青春のようなことをした週末でした。




写真は、オーワで片方行方不明になってしまったサンダル。

ホスト・マザーが買ってくれったものだったのですが、

波の強い時があり一瞬で流されてしまいました。

その日はそのまま裸足で過ごしました。