幸福は自然な在り様だ。

あなたは何も得る必要はない。

ただ、幸福である。


しかし、日常的に幸せを感じることができる時間は少ない。

あなたは疲れている。

あなたは夢を見ている。

あなたは誰かに怒っている。

あなたは老いに苦しんでいる。

あなたは年収を気にしている。

あなたは人間関係に悩んでいる。。。etc



いずれ、あなたは自分以外の何かに気を取られ、幸せであることを忘れてしまっている。

幼い頃。あなたは何を得るでもなく幸せだった。


しかし、学校教育で学び、経済的観念を覚え、競争社会に身を落としていく中で。


あなたは得ることで幸せになれると、今では確信している。

何も得なくて幸せだったものが、得ることで幸せになろうとしている!!


これがどれほど無意味な努力であるか、考えてみるといい。



実際のところ、私たちは得ることで幸せの幅を狭めているのだ。


他者と比べる必要がなかった頃には、他者より抜きん出る社会の常識は必要なかった。
しかし、他者に劣等感を感じるようになってしまった。

華やかな社交界を体験しなければ、農村で一生暮らすことに抵抗はなかった。

一定の生活水準を得たがために、それを守ることに一生懸命で、気づけば60歳を過ぎていた。
青春は二度と戻らず、今では死の音が近づいている。

持ち家を持ったが、ローンの心配をしなければいけなくなった。


数え上げればキリはない。


全てあなたが得ようと試みたのだ。


あなたは得ることで幸福が去る。

私はここで、これ以上得るなとか、捨てなさいなどと言うつもりはない。

なぜなら人は一度何かを得ると執着するからだ。


今度は捨てたものへの後悔が残る。


断捨離などは一時的なものだ。


断捨離にハマった人間は、一時的に味わった開放感に満足し、今度は断捨離に執着する。

ただそれだけのことだ。

捨てるという手段を「得る」ことになる。











ただ、ありのままでいればよい。

ただ在りなさい。


あなたは座る。

呼吸をする。

精神が落ちてゆく。

鎮座する。

定まりながらも流動的な感覚を味わう。




幸福は自然な在り様だ。

何も得ずとも、この世は天国だ。