非日常は楽しいけど
それを通じて得たものを
日常に活かしていかなきゃね
というお話
MOMEDライブ in タイ
の配信をみて
めちゃテンション上がったのは事実
でも、非日常を味わって
テンション爆上がりして
サイコー!
ヤバーい!
ってなるのは当たり前なんだよね
1つ前の記事で書いたよ↓
HAPPYちゃんのMOMEDでは
ほかの人がやるイベントより
深く入れるっていうのは
あるかもしれないけれど
イベント良かったよね!
で終わっちゃ意味がない
時間が過ぎれば”祭りの後”
平凡な日常が待ってる
じゃあ
次の祭りを楽しみに頑張る?
違う
それじゃ普通のライブと一緒
MOMEDライブだからこそ
体験できること
それは
HAPPYちゃんにしかない
”体感"を直接受け取ること
たくさんの人で共振することで
その力を増幅させること
それらをガッツリ受け取って
HAPPYちゃんの体感とか
ピースフルな波動を
自分の身体にインストールして
平凡だと思い込んでいた日常が
実は非凡な瞬間の
感動的な瞬間の連続だった
って気づくことが大事なんじゃないか
と思った
なぜそう思ったかというと
これまで何回かHAPPYちゃんの
イベントに参加したことが
あったのだけど
当日のワクワクとかは
すごい一方で
終わった後の喪失感も大きくて
時間が経つにつれて
余韻も薄れていき
また日常に戻っていく
HAPPYちゃんに頼るだけ
イベントの力を分けてもらうだけ
じゃ意味がないらしい
じゃあイベントで
わたしは何を得たのだろう?
HAPPYちゃんは
何を受け取ってほしい
と思ってるだろう?
みたいな流れで
今回の結論に至りました
迷ったときは基本に立ち返る
HAPPYちゃんは
MOMEDというダンス(?
を生み出したけれど
その前からHAPPYちゃんは
ひとりで体感を味わっていたんだよ
MOMEDは
たくさんの人に分かりやすく
伝えるための
ひとつのメソッドに過ぎない
MOMEDというツールを通して
日常を身体全体で味わう
っていうのが目的だった
これを忘れていた
いま華やかな生活をしている
HAPPYちゃんだけれど
たぶん何もなくても
HAPPYちゃんの世界は
感動にあふれているはず
それを自分もやっていこう
ライブのアフタートークで
HAPPYちゃんは生きる希望
HAPPYちゃんを見ていると
無条件の愛を思い出す
という
ファンからのメッセージがあって
HAPPYちゃんが感動して喜んでた
わたしはそんな言葉、
まったく思いつかなかったんだけど
言われてみれば同じかも
絶望していても
HAPPYちゃんに救われたことって
たくさんあった
感謝しなきゃ
そしてわたしも
誰かにとって
HAPPYちゃんのようになりたい
癒されるばかりでなく
周りを癒せる存在に
こういうことに気づくきっかけが
MOMEDライブかもしれないね