Mon 230213 マキノを目指して敦賀に到着/1年かかって進歩ゼロ/人生に酔う 4322回
しかしまあ、こうして散りモミジまで満喫すれば(スミマセン、前回の続きです)、「10年に1度の当たり年」と言われた2022年の京都の紅葉とも、いよいよお別れが近づいた。
11月29日、吉田山「茂庵」のランチを終えた後、真如堂から黒谷 → 岡崎あたりまで、冷たい雨の中の真っ赤な散りモミジを眺めながら散策を続けた。
常に大混雑の永観堂より、少し寂寥感のある真如堂の方がワタクシの好みに合うので、いやはや振り返ってみればこの10年、ほぼ毎年欠かさずに、真如堂の紅葉を定点観測してきた。写真でご覧の通り、グラデーションも散りモミジも、「10年に一度」の名に恥じない見事さだった。
(11月29日、京都・真如堂の紅葉 1)
11月30日、今回の旅もいよいよ最終日を迎える。翌日はもう12月、さすがに12月になっても「まだ晩秋」と言い張るのは依怙地すぎるから、晩秋の京都の旅は11月30日で打ち切り、翌日にはすごすご東京に帰還しようと考えた。
そこで諸君、晩秋の締めくくりに、ワタクシは「マキノのメタセコイヤ並木を眺めてこよう」と思い立った。メタセコイヤの紅葉は、サクラやヌルデはもちろん、カエデよりも少し遅めに始まるから、11月30日あたりがちょうど見頃。というか、赤く美しく熟しきった頃である。
(11月29日、京都・真如堂の紅葉 2)
実は昨年も、ほぼ同時期の京都で「メタセコイヤ!!」を思いついた。昨年の紅葉はちょっと黒っぽくチリチリ葉っぱが縮んでしまい、眺める方としては少なからず欲求不満だったが、「メタセコイヤ並木なら、締めくくりにいいだろう」と考え、敦賀行きの新快速電車に乗り込んだ。
ところが諸君、うまくいかない時というのは、何をどう頑張ってもうまくいかないものである。あくまでこれは前年の話であるが、新快速が山科のトンネルを抜け、琵琶湖の西岸を走り始めた頃から一天ニワカにかき曇り、さっきまで晴れていたお空から激しい雨が降り始めた。
もう一度しつこく繰り返しておくが、これはあくまで前年2021年の話であり、コロナどんもまだ「第5波」の頃だった。しかしこんなに激しい雨の中、何もないマキノの駅で電車を降りていいものだろうか。駅前は吹きっさらし、もちろんメタセコイヤの並木道も吹きっさらしだ。
(11月29日、京都・真如堂の紅葉 3)
何もない駅に下車し、激しい雨に打たれて途方に暮れる。マコトにありがちな経験だ。ワタクシの中では、2014年春のプローチダ島がその最たるもの。ナポリ沖に、イスキア島と並んで浮かぶプローチダ島の港で下船した途端、島は激烈な風雨に襲われた。
あの時は、ナポリに帰還する船が大揺れに揺れ、危うく転覆しそうな危機に襲われたのだったが、そのレベルの風雨の島に単独で取り残された今井君は、ホントに何もないプローチダ港で、低体温症の危険が迫るのを如実に感じたものだった。
港に着いたのが、お昼頃。ナポリに帰る船の出航が午後4時過ぎ。あの4時間をどう過ごしたか、今でもハッキリ記憶しているが、まず島の中を一周する地元の乗合バスで1時間。一般家庭の軒先で震えながら1時間、小さい港の端から端まで4回往復して1時間、滅多に入らないケーキ屋で1時間。何とか体温を35度台にキープした。
(11月29日、京都・真如堂の紅葉 4)
あの苦い経験があるから、前年2021年のワタクシは「何もない駅に勇を鼓して降り立つのはとにかく危険」と判断。そのまま新快速電車に身を託して、終点の敦賀駅までじっと座ったままでいた。
だって諸君、敦賀はさすがに交通の要衝だ。むかしむかし越前や若狭から京都にサバを運んだ「鯖街道」だって、おそらくこの敦賀あたりが起点じゃないか。
今井君が幼少期を過ごした秋田市土崎港は、江戸時代には北廻船の重要な港として繁栄した。コメ・木材・銀と銅、江戸や上方に送り出す物品はなんぼでもあった。
そういう繁栄の名残は、住人たちの珍しい姓に伺える。今井君の友人にも、越前屋くん・能登屋くん・越中屋くん・加賀屋くん・越後屋くん、名残の残る苗字のヤツがワンサと存在したが、播磨屋くんや尾張屋くんなどの少数派に、「敦賀屋くん」も何人か混じっていた。
だからワタクシは、21世紀の敦賀の繁栄について、いささか信頼を感じていたのである。どんなに激しい風雨の中でも、敦賀にさえ到着すれば、何とか生き延びられる。だって敦賀は交通の要衝、鯖街道の起点、敦賀屋君や敦賀屋さんたちの祖先の故郷なのだ。
(2022年、間違いなく最高の紅葉を満喫した)
そういうワタクシの淡い期待は無残に打ち砕かれて、2021年11月末、敦賀駅に降り立った今井君を待ち受けていたのは、どこもかしこも厳しくシャッターを下ろしたシャッター街の姿だった。
もちろん、どこかに巨大イオンモールか何かがあって、どうにかしてそういうショッピングセンターに行き着けば、凍えるような日本海の風雨から逃れられる。それは分かっている。有名な敦賀ラーメンで温まることだってできるだろう。
しかしやっぱり今井も常識人だ。今の自分のシュールな有り様に呆然とするのである。プローチダ島の経験から、アタシャいったい何を学び、どんな進歩をしたというんだ?
晩秋の京都でノンキにジャズ喫茶あたりででも、ぬくぬく時間を潰していればよかったものを、わざわざマキノのメタセコイヤ並木を思いつき、しかし初冬の氷雨に襲われ、凍える風雨を避けて鯖街道の起点に立ち尽くしていた。
(11月30日、なぜか敦賀の駅に到着)
その今井君を救ってくれたのが、駅前から徒歩5分、「昼もやってます」という居酒屋「まるさん屋」だった。いやはや助かった。午後3時の街で行き場所を失った時、孤独な中年や初老の男子を救ってくれるのは、いつだって「昼もやってます」「ノンストップで元気に営業中」の居酒屋なのである。
あの時は、早速フグ鍋を注文した。仕事のない日なので、熱燗の大徳利を2本飲み干した。帰りは特急サンダーバードで一気に京都まで突っ走るんだから、少しぐらい泥酔しても問題は皆無だった。
しかし諸君、いま読者の皆さまに開陳しているのは、あくまで2021年の今井君の行動である。あれからまるまる1年、さすがに進歩のない今井君だって、プローチダやマキノや敦賀の経験から、何ごとかを学び取って然るべきである。
(敦賀駅前「まるさん屋」。2年連続して、この店に救われた)
翌2022年11月30日、丸1年の人生経験を豊かに積み上げたワタクシだ。さすがに同じ過ちを繰り返すことはないに決まっている。あんなに美しい紅葉を満喫した賢明な高級オジサマが、まさか同じ過ちに足を突っ込んだりはしないだろう。
そこでワタクシは、「今年こそはマキノのメタセコイヤ並木の紅葉を眺めてこよう」と思い立ち、マコトに優雅に京都の宿を出たのである。怪しいデジャヴュ感覚に襲われつつも、京都の駅から敦賀ゆきの新快速電車に乗り込んだ。マキノまで、1時間ほどの旅である。
山科のトンネルを抜けて、大津の街を右の車窓に眺め、美しい琵琶湖の向こうには近江富士。少し雲りがちになって、デジャヴュ感が少しずつ高まってきたけれども、繰り返すようだが諸君、1年の経験と学習で賢くなった今井君、まさか同じ過ちを繰り返すことはありえない。
(若狭ふぐ、てっさ。ぶつ切り気味の歯ごたえが素晴らしい)
やがて電車は堅田を過ぎ、近江今津を過ぎ、おやおや、とうとう雨が降りだした。雨はいかにも冷たそうな氷雨で、右の車窓の琵琶湖は重い灰色に沈み、近江富士は雨の向こうに姿を消した。
反対側の左の車窓は、比叡山から比良山系の険しい山並みにかわったが、急激に激しくなる風雨の向こうに、比良山の中腹まで暗く煙っている。途中駅で電車の切り離しが行われ、マキノ・敦賀方面には前4輌だか5輌だけしか行かないのである。
京都を出発する頃には満員だった車内に、すでに他の乗客の姿はまばらである。「マキノなんかで降りるヤツがいるのか?」と、苦しい自問自答が始まる。何もない駅に降りるなどという危険を冒すより、この場合、一気に終点の敦賀まで行くべきなんじゃないか。
というわけで、マキノの駅を通過。デジャヴュ感はますます強く、すでにデジャデジャ&ヴュヴュヴュというか、普段「デジャヴ」と発音している人にとってはデジャデジャ&ヴヴヴというか、要するにこの1年、今井君には何の進歩もなく、何の学習効果もなかったわけである。
(若狭ふぐ、てっちり。オイシューございました)
やがて新快速電車は、午後2時の敦賀駅に到着。重く垂れ込めた日本海の灰色の空も、その空から降り注ぐ霧状の氷雨も、すべてこの1年365日の経過を忘却させる相似形のもの。「相似どころか、合同だ!!」、まさに中学数学の華々しい活躍を見る思いだった。
そういうことなら、せっかくの相似、せっかくの合同だ、「この際、全てを一致させてしまおう」と固く決意。昨年と同じ店、昨年と同じお酒、昨年と同じフグ鍋を注文して、「こりゃすげー、進歩も成長も完全にゼロ、これほど徹底したアホは、まさにこの世に皆無だろう」と、我があまりにシュールな人生に、ふと酔いしれるのであった。
1E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
2E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL
3E(Cd) Argerich:SCHUMANN/KINDERSZENEN
4E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.1
5E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.4
total m25 y75 dd28025