Sun 161113 正しい読解力を思う/青森の大盛況/司会者は元生徒/金萬/青森の懇親会 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 161113 正しい読解力を思う/青森の大盛況/司会者は元生徒/金萬/青森の懇親会

 こんなふうにして「五能線の旅」は終わったわけである(スミマセン、昨日の続きです)。感慨があまりに多岐にわたりすぎて、なかなか簡潔な文章にまとまらない。

 こんな濃密な1日を、「100字で要約しなさい」などという理不尽な要求が、日本の読解力教育の現場では、日常的に繰り広げられるらしい。国際的な学力調査で、「日本の子供たちは科学や算数数学は上位、でも読解力はイマイチ」という結果が出ると、マスコミのヒトビトは早速これに飛びつくのである。

「論理的な読解力が必要」という専門家の意見がまずあって、それに続いて「論理的読解力の養成に向けた、全国の先生方の日々の取り組み」が2つ3つ紹介される。

 中でも「新聞を読む」という行動は、ほぼ無条件にプラス評価される。昨日もNHKニュースを眺めていたら、「新聞の社説やコラムを100字で要約させています」という中学校の国語の授業が紹介されていた。

 ストップウォッチを持った国語の先生が、「よおし、始め!!」と号令をかけ、生徒諸君は一斉にペンを走らせる。マジメに取り組む中学生の映像ばかりがピックアップされて、そのまま「みんな真剣に取り組んでいました」「成果が上がっています」という結論になる。
青森1
(青森の大盛況 1)

 しかし今井君なんかは、何でもかんでも「急いで読めば読解力がつく」とはとても思えないのである。ましてや「みんな真剣に」という表現の「みんな」の部分には、大きな疑念を持たざるを得ないし、映像としてピックアップしてもらえずに切り捨てられた生徒諸君のほうに、大きなシンパシーを感じるのである。

 そもそも、先生がストップウォッチをチラつかせる姿が、ワタクシは大キライである。「速けりゃいい」という読解って、正しい読解と言えるのか。「急げ急げ」という姿勢が、上質な読解力を醸成できるのか。「簡潔に簡潔に」「100字が限度」みたいな教育で、子供たちの心が豊穣なものに育つのか。

「論理的」というコトバは、ほとんど孫悟空の如意棒みたいに伸び縮みして、21世紀日本の教育において、平時忠の「平家にあらずんば人にあらず」よろしく、「論理的にあらずんば読解にあらず」という勢いである。

 しかし諸君、文章を書くヒトビトの中には、「そんなふうに読んでほしくない」と思っている人が少なくないはずだ。大急ぎの読解を嫌悪する作家が書いた作品を、意地でも大急ぎで読解しようとするのは、作品それ自体に対する侮辱にならないか。
青森2
(青森の大盛況 2)

 音楽でも絵画でも、彫刻でも詩でも、その辺は全く変わらないのである。論理を超絶したところに作者の思いがトグロを巻いているような作品に、「急げ&急げ」と無闇に論理のノコギリを引き、論理のマサカリを振り下ろそうとするなら、実はそこにある論理、あんまり上質の論理ではないというか、むしろナマクラ論理のソシリを免れないような気がする。

 筆者が好き放題のことを好き放題の手法で書いて、「食った&食った」と叫ぶ大食漢や、「飲んだ&飲んだ」とワメく酔っぱらいよろしく、「書いた&書いた」と大満足しているところに、「急げ」「簡潔」の旗印を掲げ、ストップウォッチを片手に飛び込んでくる。そんなの、ただの野暮なオジサンにすぎないじゃないか。

 もしもホンモノの読解力をつけたければ、まずストップウォッチなんかなしに、好きなものを好きなだけ時間をかけて、楽しんで読みまくりたまえ。ついでに、書きたいことを好きなだけ時間をかけて、楽しんで書きまくりたまえ。

 ストップウォッチに縛られた読解力なんて、窮屈でたまらない。「始め!!」「ヤメ!!」の号令にビクビクする記述なんて、そんなおっかなびっくりは何の栄養にもならない。好きなように読みまくり、好き放題に書きまくり、読んでも書いても、「おお、楽しかった!!」という叫びを日々続けるようにしたまえ。
金萬
(秋田名物「金萬」。20個ぐらいは軽い)

 それは旅でも同じこと、人生でも同じこと。旅の終わりに「では、その旅を100字で要約しなさい」とか、「アナタの人生は結局どんな人生でしたか、100字でまとめなさい」「始め!!」「ヤメ!!」なんてのは、愚劣すぎて話にもならない。

 何より大事にしたいのは、あまりにも豊かで、大っきな容器からドロドロ止めどなく溢れ出すほどの豊穣さである。読書でも旅でも日々の生活でも、一番大切なのは、その類いの濃厚な豊穣さ。教師として必要なのは、ストップウォッチを捨て、生徒に原稿用紙のマス目を忘れさせることである。

 今井君の発想はそんなふうだから、公開授業はいつでもたいへんな人気であって、氷雨の降る12月の青森でも、約130名の受講者が集まった。対象は中3生とその保護者、主催は先週日曜の札幌と同じ「練成会」。青森高校と弘前高校の志望者が中心で、最初から最後まで大爆笑はとどまるところを知らなかった。

 司会者は、今井君の元生徒。15年ほど前、札幌の代ゼミでサテライン画面を凝視していたとおっしゃる。ちょっと事情があって、授業料も自分で稼いで支払っていたとのこと。元気いっぱいの司会ぶりを眺めていると、今井君のコンセプトをマコトによく理解してくれていることを実感する。
孤独な金萬
(孤独な金萬)

 青森での公開授業は、おそらく10年ぶりである。ついこの間まで青森には大きな加盟校さんが存在しなかったから、今井君が呼ばれることもなかった。

 10年前は別の加盟校さんの主催であったが、遅刻してきた男子2名が延々と私語を続け、周囲の熱心な受講生に迷惑をかけているのを見て、厳しく叱責した。私語ぐらいでどうしてそんなに叱責されるのか、納得がいかない様子だったが、あの時の彼らもすでに30歳近い。時の経つのはマコトにはやいものである。

 今回の主催は、北海道を代表する名門・練成会。さすがに生徒指導も行き届いていて、私語なんか最初から最後まで全く見かけなかったし、懸命に耳を傾け、爆笑を繰り返し、板書しないことでも積極的にメモをとる姿勢も素晴らしい。最高の公開授業になった。

 15時開始、16時40分終了。大満足の生徒諸君とウルトラ満足の保護者の皆さんは、期待を遥かに上回る感激を口にしつつ家路についた。今井君もいったんホテルに帰って、秋田で購入してきた大好物の「金萬」をつまみ、懇親会への英気を養った。
プリズナー
(懇親会で、マコトに旨い赤ワインをいただく)

 17時半、懇親会は青森市内でも屈指のお寿司屋「秀寿司」にて。青森の日本酒「田酒」と「豊盃」をたっぷり用意してもらっていて、司会者を含むオジサマ5人で約2升がカラッポになった。

「豊盃」と書いて、「ホーハイ」と読む。青森の民謡に「ホーハイ節」というのがあって、そのホーハイに漢字を当てたら「豊盃」ということになった。諸君も後で「ホーハイ節」をググってみたまえ。なかなか陽光に恵まれない津軽の暗い冬を笑い飛ばすかのような、異次元の明るさに満ちている。

 寿司に刺身に天ぷらに、津軽の食材を楽しみ尽くした後は、当然のように2軒目へ。「ワインの旨い店」ということで、いかにも通の隠れ家っぽいお店に導かれたのであるが、諸君、ここで出してもらった赤ワインが、文句なしに素晴らしかった。

 こんなに楽しい懇親会が待ってるんじゃ、また是非とも青森に来なきゃいかんね。いやいや、誤解しないでくんなまし。今井君が楽しみにしているメインは、あくまであの大爆笑の公開授業なのであって、懇親会はあくまで+αであるのだが、たとえ+αだって、やっぱり大きければ大きいほど面白いじゃないか。

1E(Cd) Wand & Berliner:SCHUBERT/SYMPHONY No.8 & No.9 1/2
2E(Cd) Wand & Berliner:SCHUBERT/SYMPHONY No.8 & No.9 2/2
3E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
4E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
5E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.1 & No.4
total m65 y1935 d19640