2014年12月23日(火)

Sat 141129 10年前の記憶 40日で最も印象的だった街 到着(夏マルセイユ滞在記1)

テーマ:ブログ
 今からちょうど10年前の2004年12月23日、いろいろ悩んだ今井君は、8年続けた「代ゼミ四天王」を、この際サッサとヤメちゃおうと決意。「東進に移籍する」旨を代ゼミのヒトにお伝えした。そこから年が明けて最終授業の2月8日まで、クマ助としてはマコトにツラいスッタモンダが続いた。

 スッタモンダを漢字で書くと「擦った揉んだ」。何だかイヤな感じであるが、あの時の移籍の「擦った揉んだ」がどのぐらいのものだったか、今ではもう懐かしい記憶であるから、今さらここにその詳細を書こうとは思わない。

 しかしクマ助の全ての授業に監視の職員がはりつき、問題発言をしないかどうかを常にチェックされた顛末は、臆病なクマ助のココロに深い傷を残した。10年経過した今もなお、キツい北風の夜なんかには、傷がズキズキ痛むのを感じるのである。

 2004年と言えば、今年の受験生諸君はまだ小学校3年生か4年生の頃。いやはや月日の流れるのは、唖然&茫然とするほど速い。あの年18歳で今井君の教室にいたヒトビトは、今年すでに28歳、人生の絶頂期を迎えているはずだ。

 10年前のクマ助は、ココロの傷を早く癒そうと、最終授業の翌日 ☞ 2月9日朝、成田空港からヨーロッパ放浪の旅に出る。その詳細は、右の「旅行記」欄から「ヨーロッパ40日の旅」をクリックして熟読してみてくれたまえ。
航空券
(ミュンヘン経由でマルセイユに向かう)

 ドイツ☞イタリア☞フランスと40日も放浪すれば、印象的な街にもたくさん出会う。一都市に滞在してそこから周辺の街に小旅行を繰り返すスタイルも、あの旅で定着した。アヴィニヨン、ライプツィヒ、ジェノヴァ。ガイドブックでは扱いのあまり大きくない街も、その印象は十分に強烈なものがある。

 その中で「どうしてももう1度訪ねてみたい街」だったのが、マルセイユである。何度も書いている通り、今井君は北国の港町の出身。リスボンとかマルセイユとかアムステルダムとか、ちょっと哀調を帯びた港町の雰囲気にテイストがピッタリ合ってしまうのは、やむを得ないことである。

 前回の滞在から10年が経過して、「今年の夏の旅はマルセイユにしよう」と思い立ったのは、以上のような事情であった。前回は、大規模デモに遭遇したり、デモのせいで交通機関がすべてストップしたり、デモに参加する高校生大集団とともに電車の中に長時間閉じ込められたり、治安の極端に悪い一角に入り込んだり、ロクでもない記憶しかないのだが、それでもやっぱりマルセイユが大好きである。
旧港1
(ファロ公園からマルセイユ旧港を望む)

 2014年夏のクマ助は、そのマルセイユに2週間滞在しようと思い立った。マルセイユのホテルにずっと腰を据えて、ここからエクス・アルル・アヴィニヨン・カシス・シオタ・エグモルト・ニームなど、周辺都市への小旅行を繰り返そうと予定を立てた。以下が、その詳細一覧表である。

 8月30日 羽田→ミュンヘン経由→マルセイユ20時40分着
 8月31日 ファロ  コートブルー線  ミラマス
 9月1日 エクサンプロヴァンス
 9月2日 ノートルダム・ド・ラ・ギャルド  カランク
 9月3日 ラ・シオタ  カシス
 9月4日 ヴェネツィア(は? 何ですって?)
 9月5日 ル・ペロー  ネリー&アイリーン
 9月6日 ニーム  ポン・デュ・ガール
 9月7日 アルル  レ・ボー・ド・プロヴァンス
 9月8日 バロン・デ・ゾフ  アヴィニヨン
 9月9日 バロン・デ・ゾフ(シェ・ジャノー)
 9月10日 エグ・モルト  ニーム
 9月11日 フォンフォン&シェ・ジャノー
 9月12日 マルセイユ16:10発→パリ経由→羽田へ
 9月13日 羽田16:30着
ノートルダム
(マルセイユ、インターコンチネンタルホテルからノートルダム・ド・ラ・ギャルドを望む)

 この一覧表でどうしても異様に見えるのは、9月4日の「ヴェネツィア」であるが、何を隠そう、もちろんそれはイタリアのヴェネツィア、ゴンドラと運河のヴェネツィア、ルネサンス期に「東地中海の女王」であったヴェネツィアであって、他の何者でもない。

 「マルセイユに滞在してヴェネツィア小旅行」は、普通に見れば不可能にも思えるだろうが、ヒコーキというマホーのジュータンを用いれば、別に難しいことはない。

 マルセイユからヴェネツィアまでの飛行時間は1時間&チョイであって、東京から倉敷、大阪から柳川といった感覚にすぎない。東京に滞在した欧米人が、ふと京都や札幌を訪ねるのと同じことである。

 そういうスパイスを旅の真ん中に挿入して、ますますこの2週間は活気づきそうである。8月30日夜、今井君はいつものスーツケースを引きずり、いつものリュックを肩に引っ掛けて羽田空港に向かった。
ホテル
(ホテルの正式名称はHotel Dieuである)

 スーツケース君とは2007年12月のニューヨーク以来のお付き合い。リュック君は、あの2005年春以来、全ての外国旅行にオトモしてくれた親友である。このごろ羽田からの出発が圧倒的に多くなって、旧友・成田空港どんがちょっと心配だが、羽田がこんなに便利になっちゃったんだから、一般客の立場として、そんなことも言っていられない。

 羽田からミュンヘンまで12時間。ミュンヘン空港のラウンジでゆっくり乗り継ぎ時間を過ごし、マルセイユまで1時間ちょっと。マルセイユ到着は21時ごろになった。

 夏のマルセイユは、日没が夜9時近くなる。上空で大きく旋回したヒコーキの窓から、夏の夕陽に照らされたマルセイユの町並みがキレイに眺められた。10年前に連日走り回ったビュー・ポール(旧港)にも、無数のヨットがひしめきあっているのが見えた。
旧港2
(マルセイユ、ビュー・ポールの風景)

 空港で荷物が出てくるのを待っているうちに、夏の陽もトップリと暮れて、タクシーに乗り込んだ頃にはすっかり夜の雰囲気。10年前のこの街の治安の悪さを知っている身としては、少々不安がなくもない。

 しかし夜道をゆくタクシードライバーは、自慢げにマルセイユについて語ってくれる。やがて右手に圧倒的な夜景が広がり、彼は右手で夜景を示して「This is Marseille!!」と小さく叫んだ。確かに、自慢したくなる気持ちも分かる美しい夜景であった。

 13連泊するのは、インターコンチネンタルホテル。眼下にはビュー・ポール、正面にはマルセイユの象徴「ノートルダム・ド・ラ・ギャルド」が眺められる絶好の立地である。

 もともとは、治癒する見込みのない重病の患者さんを収容した18世紀の「施療院」。美しい風景も、遥かな山の上の教会とマリア様の像も、そういう施療院であるからこそのもの。ホテルの正式名称「Hotel Dieu」とは、その辺の事情を反映しているのである。

 部屋に案内してくれたホテルスタッフも、ライトアップされたノートルダムの眺めが心からご自慢の様子。空港からホテルまで、マコトに穏やかな夏の南フランスの雰囲気に包まれ、「昔の治安の悪さはどこに消えちゃったんだ?」と、目を白黒させる初日のクマ助なのであった。

1E(Cd) Backhaus(p) Böhm & Vienna:BRAHMS/PIANO CONCERTO No.2
2E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM 1/2
3E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM 2/2
4E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPHONY No.1
5E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPHONY No.2
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