2012年01月11日(水)

Mon 111212 ミロ助くん グエル公園でガウディを思う(バルセロナ滞在記7)

テーマ:ブログ
 「難しいことを述べるかもしれないから、覚悟したまえ」と前置きはしたものの(スミマセン、昨日の続きです)、何しろ筆者は愚かなウワバミであり、臆病なクマさんである。やっぱり、慣れないことはしたくないから、今日も今日とて愚かしいバルセロナ散策を続けたい。読者諸兄は、その愚かさを冷たく嗤っていればそれでいい。「嗤う」は、同じ「わらう」でも、「あざけり笑う」「嘲笑する」「冷笑する」の意味である。
ミロ美術館
(モンジュイックのミロ美術館)

 モンジュイックの丘、フニクラからゴンドラへの乗り換え口のそばに、小さな「ミロ美術館」がある。美術館嫌いの今井君も、このぐらいの小規模美術館は大好きだから、「ミロだけは必ず見に行こう」「ミロ助には挨拶していこう」と決めていた。
 キライなのは「1週間あっても見て回れない」という悪趣味な巨大美術館であって、東京でも根津美術館や松濤美術館なら大好きなのだ。絵画でも彫刻でも、立ちん坊で楽しめる時間は、体力から考えても集中力から考えてもせいぜい2時間。それ以上の時間を強要してくるのは、美術館というより、貴重品を保管する倉庫か金庫の一種にすぎない
 理想的だと思うのは、上野・国立西洋美術館の常設展示。2時間じっくり見て午後5時、まだ見残した展示室が1室か2室あって、「でも今日は疲れたから、ちょっとバーにでも寄って帰るか」という余裕こそ、美術館の醍醐味である。
ミロ助
(ミロ助)

 「ミロ助」と名付けたのは、美術館入り口に展示されているコイツである。ミロの貴重な作品を「コイツ」呼ばわりしたり、キテレツ大百科のコロ助クンみたいに呼ぶのはマコトに申し訳ないが、今井君の頭の中では、コイツはどうしてもミロ助クン。ミロ美術館で2時間を満喫したけれども、やっぱり一番気に入ったのは、結局このミロ助クンであった。
グエル公園1
(グエル公園 1)

 さて、いよいよ大嫌いな「フヤケタ野郎」、装飾過剰のガウディどんと本格的に初対面となる。モンジュックの丘とミロ助を逍遥したのが土曜日。グエル公園を訪ねたのはその翌日の日曜日である。ホテル近くのカタルーニャの駅から地下鉄3号線で10分、レセップス下車。ここからグエル公園まで徒歩10分ほど。日曜の街は閑散としていた。
グエル公園2
(グエル公園 2)

 建築というものは、原則的に野ざらし雨ざらしであるから、誰がどんな素晴らしい構想とデザインを駆使しても、メンテナンスが不可欠である。まして、こんな広大な公園で、そこいら中にトカゲさんやドラゴンさんのオブジェなんか置きまくれば、メンテナンス担当者の苦労は並大抵ではない。
 無用と思われる突起やクボミだらけの異様な列柱が立ち並ぶ洞窟。直線がドロドロに溶け出した窓とドアと梁と柱。100年も前に作られたものだから、腐食と風化と融解の餌食になるのは、すでに時間の問題である。というより、作者は風化と溶解を前提に、作品を無造作に放置したようにも思える。
グエル公園3
(グエル公園 3)

 芸術のうち、最も時間の侵食を受けやすいのが建築である。繰り返すようだが、何しろ野ざらし&雨ざらしが前提の芸術なのだ。
 次が文学、特に小説は固有名詞に頼る部分が多いから、あっという間に「訳注だらけ」「脚注だらけ」になって、文学を文学として読むことは困難になる。脚注とは、古びた文学空間に張り巡らされるクモの巣のようなものである。
 絵画と音楽は、時間の侵食に粘り強く耐える。絵画は美術館や富豪の応接間の奥に厳重に保管され、風雨からも害虫やカビからも守られて、ヌクヌクと200年300年の長寿を楽しむ。音楽と演劇は、スコアまたは台本という抽象的存在として生きるから、その長寿のスパンはもうワンランク上である。
グエル公園4
(グエル公園、有名なトカゲさん)

 スペイン人の家族連れに混じってグエル公園を暢気に散策しながら、今井君が延々と考えていたのは「もしガウディが建築家ではなく画家として生きたなら、どんな作品を残したか」ということであった。ミロもピカソもダリも画家なのに、ガウディだけは建築家。そこに何か必然性があるのか、単なる表現形式の違いとして済ませていいのか、という問題であるね。
 ミロの本質は、「瞬間の固定」である。一瞬で消え去る夢や幻想や熱情や、劣情を含む情欲や、侮蔑や怒りや絶望やエクスタシーを、あえて限定的な2次元平面に固定する。その際にミロが用いる武器は色彩と平面の分割である。あるいはその方法を一歩進めて、時間の切れ端を3次元空間に固定すれば、彫塑作品になる。それがミロ助だ。
 クマ蔵にはよくわからないが、ピカソでもダリでも、その方法論はほとんど変わらないように思える。夢や熱情や絶望のせいで溶解した直線と歪んだ空間を、それぞれの方法で画面にしっかり固定する。言わば彼らは、固定の熱情に憑かれた芸術家である。
グエル公園5
(グエル公園 4)

 ところがガウディの情熱は、むしろ正反対に「流動性を放置する」方向に向かう。流動性の最も普遍的な形式は腐食・風化・融解と、その結果としての崩壊であるから、ガウディは固定の芸術としての絵画や彫刻に向かわない。
 彼が建築を選んだのは、決して「建築の才能があったから」「建築の天才だったから」などということではなくて、熱情そのものが野ざらし&雨ざらしを志向したのだ。オシャレな人なら、「崩壊のベクトル」とか、まあその種の言葉遣いをするところであるね(詳しくは、明日に続きますです。スミマセンね)。
グエル公園6
(グエル公園 5)


1E(Cd) Sonny Clark:COOL STRUTTIN’
2E(Cd) Kenny Dorham:QUIET KENNY
3E(Rc) Ewerhardt(o) コレギウムアウレウム:HÄNDEL:オルガン協奏曲集
4E(Rc) Collegium Aureum:HAYDN:SYMPHONY No.94 & 103
5E(Rc) Elly Ameling & Collegium Aureum/BACH:HOCHZEITS KANTATE・KAFFEE KANTATE
total m60 y1696 d7653
最近の画像つき記事
 もっと見る >>

Ameba芸能人・有名人ブログ

芸能ブログニュース

    ブログをはじめる

    たくさんの芸能人・有名人が
    書いているAmebaブログを
    無料で簡単にはじめることができます。

    公式トップブロガーへ応募

    多くの方にご紹介したいブログを
    執筆する方を「公式トップブロガー」
    として認定しております。

    芸能人・有名人ブログを開設

    Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
    ご希望される著名人の方/事務所様を
    随時募集しております。

    Ameba芸能人・有名人ブログ 健全運営のための取り組み
    芸能ブログニュース