Wed 091230 センター試験で失敗した諸君へ 豪胆に、握り飯を3つむさぼり食いたまえ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 091230 センター試験で失敗した諸君へ 豪胆に、握り飯を3つむさぼり食いたまえ

 これを書いている時点で、1月16日午後11時である。世間は、特に今井宏どんの生活している予備校の世界は、センター試験一色。まるで世の中がセンター試験を中心に回っているかのような錯覚に陥るほどである。

 だとすれば、今井どんのブログも、センター試験の英語に関する感想とか所見とか、「あきらめるな」とか「がんばれよ」とか「悔いのないように全力を尽くせ」とか、せめて大学受験に関わる何らかの発言をしなければならないのかもしれない。

 それどころか、予備校の先生方の「熱いメッセージ、おくりまーす♡」「受験生に♡勇気♡与えたい♡」みたいなブログの多くは、おそらくキットカットとかカツ丼とかウ・カールの写真を掲載して「あがるなよ」「夢はきっとかなう」「最後まであきらめないでね♡」とか、素晴らしい声援を送っているのである。

 それなのに、来る日も来る日もウィーンだのブダペストだの路面電車だの話ばかりで、今井どんだけが何だか完全に浮世離れしているようである。もっとも、「世の中がセンター試験を中心に回っている」という発想自体がすでに浮世離れしているのであって、そんな極楽トンボみたいな発想では本当は困るのである。

「あがるなよ」とブログで力説しても、あがるものはあがる。「夢はかなう」とか無責任なことを言っても、努力の伴わない夢なんかが下手に叶ってしまっては、努力したヒトが困ってしまう。キットカットやカツ丼で夢が叶うほど、世の中は甘くない。

 ブログやtwitterで「勇気をもらった」「勇気を与えたい」などと涙声で言っているのを聞くと、その程度のことで勇気や感動を貸し借りor売り買いして、そんな軽薄な感動や勇気でこの世の中を戦いぬく気でいるんですか?と尋ねてみたくなる。

 貸し借りしたり、もらったり与えたり、お金で買える神社のオマモリよろしく軽々しく行き来するような勇気なら、別にもらわなくてもいいのである。まして「入学試験ですべてが終わる。あとはいくらでも遊べるんだ」などと考えている受験生(それどころかそう教える親や先生もいる)には、気難しい今井カニ蔵は熱いメッセージなんか絶対に送りたくない。

 ただ、一応は予備校講師のブログなのだから、「少しは受験についても書いてほしい」というヒトも少なくないはず。そういうヒトのために、アーカイブでこの時期オススメと思われる過去の記事を右の欄に列挙しておいた(正確には、余りの「浮世離れ」を心配してくれた人物が、協力者として列挙してくれた)。受験の話を読みたいというヒトは、是非どんどんクリックしてみてほしい。

(ウィーン、美術史美術館前のクリスマス市)

 特に、センター試験で思わぬ失敗をしたヒト。今井どんはあなたの味方である。「解答欄を一つずつずらしてしまった」などという、ワザとらしい愚劣な言い訳をする必要はない。要するに、あなたは日本での人生を左右するおそらく一番大切な試験で失敗してしまったのであって、まことに残念ながら、もう取り返しはつかない。

 取り返しのつかない失敗をしてしまった直後のあなたは、もう誰も愛することができない。涙を拭いてくれるヒトも、もう誰もいない。そこにあるのは深く暗い深淵だけで、慰めの言葉はすべてこの上なく空虚に響くだけである。

「夢は叶う」はずだった。「あきらめなければ、夢は実現する」はずだった。「最後までキミを全力でバックアップ」してくれるはずだった。しかし、あんな下らないマークシートの塗り絵で失敗したあなたを支えてくれるはずのすべては、きれいごととともにあっという間にあなたを見捨ててしまった。ニセモノほど、逃げ足は速いのである。

 だから、まず、とにかくタップリ腹ごしらえをしたまえ。あなたはまだ若いのだから、たくさん食べて、食べられるだけ食べて、それでも吐き気がしたらいくらでも吐けばいい。吐いた後の始末ぐらいはちゃんと責任をもってすることにして、とにかく飽きるほどムシャムシャ食べたまえ。

 クマさんが横にいて、黙って見ているから、1年かけた努力の記憶も、父や母の落胆の表情も、先生や友人の慰めの言葉も、全部ムシャムシャ飲み込んでしまいたまえ。そういうものがすべて栄養になって、10年後、20年後、今より遥かに深刻な絶望の中のあなたを、笑顔でしっかり支えてくれるはずなのである。

(クリスマス市、イノシシ肉とチーズを挟んだハンバーガーが人気。要するに、食ったヤツが勝つのである)

 今井どんは2度目の東京大学に合格できなかった日々、ムシャムシャ、ハグハグ、自分でもあきれるほど、際限なく食べた。闇や底や深淵は、のぞき込めばのぞき込むほどいくらでも深く、いくらでもめまいを誘うものであって、その深さは年齢を重ねれば重ねるほど深く無限になっていく。センター試験での失敗で体感するその深淵は、残念ながら苦笑するほど浅いものである。

 17日の午前から午後にかけて、「センターリサーチ」を提出しながら右往左往するあなたは、誠に残念ながら、これからの長い人生でおそらく最も利己的で打算的で、もっとも醜く損得勘定のソロバンに没頭するあなたである。

 しかし本来、そんなことで夢中になったり、そんなことで絶望したり、そんなことで有頂天になったり、そういうことをしてはならない。あなたがその程度の浅薄な人間であることを、10年後に思い知って愕然とするだけである。

(ハンバーガー屋台のオバちゃんと、クマどんのぬいぐるみ)

 センター試験で失敗して絶望しているなら、あなたは「志望は叶えられないかもしれない、しかし、夢は全く傷ついていない」と豪語して、胸を張って、真っ黒い海苔をタップリ巻いたデカイ握り飯を、少なくとも2つ、出来るなら3つでも4つでも、深呼吸しつつむさぼり食って、「自分は絶対負けることはない」「すぐにでも逆転してやる」と誓いたまえ。「夢は必ず実現する」というのは、そういう豪胆な若者だけが言えることなのである。