✳️じーちゃんが植えた

自宅の桜の樹の下で。

 

毎年、春の日の晴天の下、

桜満開の中で行われるお花見の雰囲気も

とても素敵ですが、

 

時折、雨に濡れる

静かな桜の風景も

人間の喧騒にまみれる風景と対比として、

桜の儚さをより感じられることが出来、

こちらもまたとても美しいと思います。

 

雨も桜にとっては生きていく上で、

恵みの雨ですから。

 

花を咲かせた時にだけ、

自分の枝木の傘の下に集まり、

一喜一憂している人間を見て、

桜はどう感じているのか聴いてみたいですね。。。

 

樹木や動物達は何も変わらず、

何十年、

何百年、

何万年、

何億年、

と脈々と生き続けて来ています。

 

命ある生命体として、地球上の大先輩です。

地球を1つの会社に例えると、

46億年の歴史の中で、

地球上に存在する動植物達が社員として、

地球が1つの会社だとすると、

ずっと事業を継承して、

結果的に会社を潰さずに存続し続けて来ているんです。

 

『実るほど、頭(こうべ)を垂れる、稲穂かな』

という言葉がありますが、

これは、

『立派な人ほど謙虚な姿勢である』

という事を意味していますが、

 

今の人類はどうでしょうか・・・!?

 

地球の46憶年の歴史の中で、

たった、僅か、

 

ここ1万年

 

の間に、

『食物連鎖』と言う次元の中だけで、

頂点にのしあがってきた、

 

『実るほど、頭を垂れない稲穂』

 

になってしまった

人間達を見て、

地球や大自然が、

嘲り微笑んでくれているうちは良いですが、

最近の人間本位な行動がこれ以上続くと、

いくら寛容な大自然と言えども、

怒らせてしまうと、

地球上で一番の後輩と言ってもいい人間なんか、

あっという間に消えてしまうと思うのです。。。

 

会社で言えば、クビになってしまうのではないでしょうか・・・。

 

あらゆるウイルスは、

地球上で何億年も存在し続けて来た、

心臓も脳みそも持たない、

遺伝子の設計図のような物で、

まるで意志があるように蔓延しているように見えますが、

生命体ではないのです。

 

僅か1400グラムの重さしかない、

人間の脳みその力では、

ウイルスの事については、まだはっきりとした事が良くわかっていない、

地球上の大先輩であり、上司であり、正体不明の未知の存在なんです。

 

そのような存在に対しては、

畏敬の念を持って接しなくてはいけないと思いませんか?

 

そんな存在であり、

大先輩である存在を敵扱いして勝てる見込みありますか??

 

『敵を知り己を知れば百戦危うからず』

 

になぞって考えると、

未熟な己で正体不明の相手を敵にして、何ができるでしょうか、、?

そもそも、敵とか、勝てるとか、

負けるな、とか言う観点が、

あまりに無知で目先しか見てない尺度ではないでしょうか・・・。

 

何万年~何億年も共栄共存してきた

動植物が生きる森林を伐採し、

工業化された家畜場を建設し、

その中では成長ホルモンや薬漬けにされた鳥や牛達を、

無慈悲に殺生しています。

 

安かろう、悪かろう、

それでも、良かろう、

という理念の元、

何億年と続いてきた森林を伐採し、

心の無い工場の中で、

薬漬けにされた動物達を、

大量に安く食べるために、

強制的に産ませ、殺しているのです。

 

安かろう悪かろう、

と言うことを知りながら、

『お金』

と言う、

こちらも突き詰めれば、

見えない存在のような物、

紙幣はある意味、紙切れです。

そう言った、

資本主義の価値観に支配され、

上記にも書きましたが、

 

安かろう悪かろう、

でも、

それで良かろう、

と言う、

安易な目先の価値観を優先させてしまっているのです。

 

上記のような悲惨な理念が

食品の工業化を産み、

 

森林を伐採し、

ウイルスの運び屋とも呼ばれるコウモリ

を含むたくさんの動物の棲みかを奪い、

生態系のバランスを崩し、

本来、

均整を取っていた動植物との距離感を

無慈悲に縮め、

人間から遠い位置にあったウイルスの居場所を奪い、

変異させたのは誰ですか!?

 

人間が自然を汚しておいて、

逆ギレしてどうするつもりでしょう!?

自然に対する畏敬の念を忘れてはいけない、

と、

宮崎駿さんと言う日本の偉大な方が、

もう何十年も前に、

「風の谷のナウシカ」

と言う作品を通して、子供にでも分かるように

世の中に発信して下さっているのに、

なぜ世の中は、悪い方に転がっているのでしょうか、、?

 

人間はどれだけの毒を、

海や大気中にバラまいて来たんでしょうか?

 

マイクロプラスチックが世界中の海を汚染し、

二酸化炭素によってオゾン層を破壊し、

海や山や動植物は、

人間の吐き出した毒に対して

マスクすら付ける事が出来ない、

と言う簡単な発想が出来ないのでしょうか??

 

地球の大自然や動物達が、

人間の出し続ける毒に対して、

マスクをしなくてはいけない!

と思った時にはどうなりますか?

先にも書きましたが、

動植物はマスクすらかけられないんです。

そうすると、

毒を出す元凶を駆除せざるを得なくなるのは当然の流れではないですか?

逆の立場に立てば、簡単に想像がつくことでしょう。

 

小学生の頃に学びましたよね!?

相手の立場に立って考えなさい、と。

 

1人1人が問題の本質を見抜き、

考え、行動を起こしていかないと。。。

引き返せないポイントを越えてしまいます。。。

 

宮崎駿さんの予想した未来に対する警告が、

現実の物になっていると思いませんか??

 

オウムを駆除しようとして、

巨神兵を使っても、解決には至らないんです。

そもそも、巨神兵によって1度地球は滅びてるんですから。

そして、そもそも、

猛毒の「瘴気(しょうき)ガス」

を出す腐海の森を生んだのは、

人間が垂れ流し続けた毒によって生まれた、という事を忘れてはいけません。

 

テクノロジー×資本主義(お金)×支配欲(権力)

=地球を滅ぼしかねない兵器・・・

いや、地球が滅ぶ訳ではないのです・・・。

人類が自滅するのです。

 

世界中の核兵器を一度に爆発させて

地球上を焼野原にしたとしても、

太陽系のバランスが崩れない限りは

何億年かすると、地球は元に戻る力があるのです。

 

人間なんて宇宙の悠久の時の流れの中では一瞬の瞬き程度の

時間すら生きていないのです。

 

だから、常に謙虚な気持ちを持つことを

忘れてはいけないのです。

 

風の谷のナウシカを観て

何かを感じた方なら、

今こそ自分がナウシカのような心境に立って、

世の中を見て、出来る事を

 

『行動』

 

に移す事が、情報戦争も含めた現代のコロナ渦の収束、

私は、息が終わる、と書く、『終息』よりも、束ねて収める、と書く、『収束』だと思います。

『end』ではなく、『control』だと思います。

 

地球上で食物連鎖の頂点に立つ存在の責務として、

バランスをコントロールするという責務は当然の事だと思うのです。

 

先ず、己の問題、

増えすぎた人口をどうコントロールして行くか、

アンコントローラブルに陥っている

テクノロジーをどうコントロールして行くのか、

そして、

敵、ではありませんが、

己を取り囲む周囲の存在、他者との適切なバランス、

地球全体の生態系のバランスを取る事が急務と思われます。

 

幾度の産業革命は興してきましたが、

もう十分です。

 

次は、

人間の

 

『精神革命』

 

を興さないと、

人類の未来は無いと感じています。

 

それはつまり、

資本主義に代わる価値観を見出す事です。

私利私欲やテクノロジーを全部捨てろと言っているのではないのです。

それらを意志の力でコントロールして、

謙虚に生きる事、

そして、

食物連鎖の頂点に立つ責務として、

地球規模のバランス能力を計算し、

行動に移す事、

そこにはもちろん、

自分自身をしっかりと愛し、他者をも愛する力、

『愛し愛される力』を各々が自分と向き合って付ける事、

そして、同時に、

他者を尊重し、共栄共存の道を歩む事、

この理念を忘れずに進んで行かねばならないと思っています。