幼い頃、両親の仕事の関係で外国の現地校で学んだ。

そこは日本で言う幼稚園から小学校までの学校で私立だった。

 

朝礼ではその国の国家と校歌を歌った。

共通言語は英語で、友人との会話は現地語。そして国の共有言語の授業もあった。

教育内容は日本よりも進んでいた。

 

幼稚園の年長では英単語を習う。九九も習う。

英語で理科と地理の授業を行っていた。

1クラス25人に教員は二名。教員は女性で乳飲み子を抱きながら授業をしていた。

 

友人との会話は遊びもありながら議論も多かった。

年長者との交流も日本よりあった。

人懐こい国民性だったと思う。

 

そんなに知的なのに、彼らは古くからの身分制度に縛られながら生きていた。

将来的には兵役の義務があり、学校では行進の授業があった。

 

最近、日本にミサイルが向かって飛んでくることが多いので

戦争について考え、ニュースを調べてしまう。

日本は平和すぎて戦争がどんなものか、飢えがどんなものか、

すっかり忘れているかのようだ。

犯罪が非日常。戦争は非日常。

日本人は勤勉だといわれているが本当にそうだろうか。

平和に甘んじていないだろうか。

与えられた情報を疑わず、何かを意見することを許さない土壌がある。

 

かつて住んでいたあの国は、犯罪は日常、飢えは日常、戦争もすぐ隣にあった。

抑圧されていた分、常に危機感と隣り合わせで、警戒を怠らなかった。

だからこそ、あの国の人たちは教育熱心で、勉強を重んじていた。

勉学を軽んじてはいなかった。

自らを守るためにいろんな情報を手に入れて、自ら吟味していた。

 

平和ボケしている今の状況がとても怖い。

日本のニュースはどの局も同じような意見ばかりで差がない。

外国のニュースを見る方が勉強になったりする。

 

日本では愛国者というと嫌悪感を催す人が多いらしい。

外国人が聞いたらびっくりするだろう。

自国を誇ることが嫌われる国があるなんて信じられないだろう。

一度外国で暮らしてみたらわかるが

日本人であること自体、自らのアイデンティティになっているものなのだ。

普段自覚することはあまりないだろうけれど

私たち日本人は、日本人というだけで個性の塊なのだ。

 

私は髪を染めない。黒髪のままだ。

節目には和服を着ることを好む。

和食を楽しみ、四季を楽しむ。

日本の美術品を誇り、日本各所の観光地を楽しむ。

 

そのために日本は平和であってほしいし、

他国から日本の文化が蹂躙されるのを良いこととは思わない。

 

もっと日本人であることを、楽しみ、誇るべきだと思う。

日本を守るための警戒を怠ってはならないと思う。

 

他者の目を気にして迎合しているうちに

日本の大事なものが失われることがあるとしたらとても悲しいことだと思う。