中村創 の水族館いいっすね

今日中村創 が紹介するのは海遊館です

建物の高さと水槽の並び方が、海遊館の特徴だ。
5400トン水槽は8階建ての高さを利用して深さが9mもある。
この水槽を太平洋の大洋と見立てて、その周りに13本の水槽が並ぶ。

日本の水族館としては独特の順路は、8階まで上がっておき、そこから太平洋の水槽の周りをグルグルと降りる。

本州ではここでしか飼育されていないジンベエザメとオニイトマキエイ(マンタ)、9mの深さを上から下まで歩けば、観たい角度から観ることができる。
オニイトマキエイの通り道では、正面で宙返りを見せてくれるし、ジンベエザメは、見下ろせば、名前の由来となった甚兵衛模様を、下からは一反木綿のような白く広い腹側を見上げることもできる。
全ての水槽で深さが魅力。
アシカが浅い海に住んでいるのではないことも実感する。
そう、水中世界というのは三次元の世界なのだ。

天保山のウォーターフロント再開発プロジェクト「天保山ハーバービレッジ」の中心的施設として1990年7月20日に開館した。

日プラ株式会社が新開発したアクリルガラスを使用することで、これまでにない巨大水槽を実現した。
ジンベエザメが遊泳する「太平洋水槽」を含む14の大水槽を造るため、年間世界生産量の1.5倍(当時)にあたるアクリルガラスが使用された。
海遊館以降に造られた水族館の大型水槽はほぼ全てがアクリルガラス製になっている。

建物外観の特徴になっている三色の色分けは、地と水と火の結合を模したもの。
外壁に描かれた魚の壁画はアメリカ在住イギリス人デザイナーのサージ・アイヴァン・シャーメイエフの手によるもの、またケンブリッジ・セブン・アソシエイツ環境開発研究所を率いて建物全体の設計を担当したのは、その息子のピーター・シャーメイエフである。

2008年2月26日に、開業以来の入館者数が5000万人に達した。
6317日(約18年)での達成は、国内では最速。
入館者の約6割がリピーターである。

施設の保有・運営は大阪市の第三セクターの大阪ウォーターフロント開発が隣接する商業施設「天保山マーケットプレース」や「ホテルシーガル」とともに行っており、大阪築港再開発事業としては成功をおさめている。

2007年9月に大阪市が財政再建の一環として運営会社の所有株式25%のうち22%を近畿日本鉄道に売却する合意に至ったが、最終的に大阪市議会の反対により断念させられた。
異例の市議会による売却議案への反対の主な理由は大阪市の説明不足とされているが、何が説明不足だったのかについては明らかにされておらず、当時の大阪市政の混乱ぶりを象徴する一件とされる。

ネーミングにまつわるエピソード

「海遊館」の名称を決定したのはタレントの上沼恵美子である。
(上沼自身がテレビ番組でよく語っている。

海遊館の開業前に名称を一般募集したが、そのほとんどが全国の水族館でありきたりな「マリン~」のような類で、「海遊館」は1票だけであった。
票の多い「マリン~」に決まりかけた時、海遊館名称選定委員会の一員であった上沼が「(当時インテックス大阪で行われていた)夢工場というイベントが大した内容でもないのに異常な盛況となったのは、『夢工場』と聞くと頭に漢字が3つ印象に残るからである、水族館の名称として全国にいくらでもある『マリン~』ではなくインパクトのある『海遊館』にした方が当たる」と述べて反対し、最終的に「海遊館」に決定した。

ホームページより抜粋