変化のパラドックス
改めて今、過去の私を振り返ってみると、私は、「もっと心安らかに生きられる社会を創りたい」「安心なコミュニテーション環境を創りたい」と、自分の外側をコントロールしようという力が入っていたんだと思う。
「それじゃあ、いつまで経っても心安らかに生きられないよね」と過去の自分に言いたくなった。だって、心の安らぎや、安心感というのは、外側に働きかけて、がんばって獲得するものではなく、自分の内側から自然と湧き出てくる感情なのだから。
「相手にコントロールされないように、自分をコントロールする」ということの背後には「相手にコントロールされてたまるか!」というパワーがあって、結局「相手が自分をコントロールしようとするパワー」とぶつかり合って、自分のパワーを消耗しちゃうんだよね。
「じゃあ、どうしたら、心安らかに生きられるのかあなたはわかったの?」と過去の自分から問われている気がするので、今の自分から過去の自分に伝えたいと思う。
過去の自分へ
自分を変えようとか、相手を変えようとしないで、「あるがままに気づく」という体験から、だんだん心と体が緩んできて、気がついたら安心していたという感じかな。
私の場合は、親からの支配がきつくて、「支配されない自分になりたい」「自分の親みたいにはなりたくない」と、「自分を変えたい」と思っていたから、逆方向に力が働いて、変化を妨げることになっていたんだなと思う。
そうではなくて、「私は親から支配されていた」「私の親は、私の個性よりも世間体を重視していた」「悲しかった。嫌だった。そう思っている自分が確かにいた」「今でも支配的な人と関わると体に力が入ってしまう」と、「確かにそうだった」「確かにそんな自分がいる」と、あるがままに気づいていくだけで、そういう自分を「なんとかしようとしない」ということをしていったら、だんだん安心していった感じ。
これは、「変容の逆説的理論」っていうのだと、ゲシュタルト療法のトレーニングコースで学んだけど、理論として知っていることと、日常の暮らしの中で体験していくこととは、まったく別のことだと思う。
知識を学ぶことも、面白いなと思うけど、やっぱりわたしは、暮らしの中で、体験として習得していくことで、「生きているって面白い」と思えるようになってきて、そういう自分の体験をアウトプットすることで、インプットしていきたいんだなって思う。そして、それが、わたしの生きるチカラになってくれて、ストレス解消法にもなっていることに今アウトプットしながら気づいた。
今の自分を表現するきっかけをつくってくれてありがとう。あなたあっての私。あなたがいたから、わたしがいる。これからも「わたしらしさ」を大事にしたいと思う。
