「イルジメ」ヨン、ウンチェ、ポンスンの恋愛所感その1
アンニ・ヨン・ハセヨン。
えぇ、お約束通り、ヨン(イルジメ)とウンチェの恋路の巻き、です。
とはいえ、ここのところ、「イルジメ」からやむなく遠ざかっており、も一回見直してから、細かい部分もつめて書きたいなぁと思っています。(あくまで野望のみ。できるのか??苦笑)
今回は、少し理屈っぽい解説です。ご期待に添えないかもしれませんが、この2人の恋路に関して気になっていたことなので、思い切って書いてしまいます。始めに断っておきますが、これは「私はそう感じた」というレベルのもので、そうかなぁ?と感じる人もいるかもしれません。ひとつの考え方、感じ方と思って、読んで頂ければと思います。では、行ってみよう!
で、大抵のドラマでは“親世代の恋愛が子供達の恋愛をつぶす障害”として扱われます。こうなると、「血筋」の問題ではなくなってしまう。どんな親に育てられたから、どんな恋愛をするに至るのか、そういう人としての生き方の部分ではなく、「障害」という部分にスポットが当てられ、ドロドロしたものになっていく。それが悪いとは言いませんが、何処か釈然としないところがありました。が、「イルジメ」に関しては、親世代の恋愛をそういう安易な発想で使われてはいないんです!
ということを、頭にとめておいて、ここから強引(?)な論を展開します。
「イルジメ」の親世代の恋愛の構造は、子供達の恋愛に色濃く反映されているように思うのです。
私の中では、
タン=ギョム
ウォノ=ウンチェ
セドル=ポンスン
という構図と、
タン=ウンチェ
セドル=ヨン
ウォノ=イルジメ
という構図が、どうしても重なるのです。
上の構図をA、下の構図をBとして、ひとつずつ説明しますね。
シフがいないじゃん!という方、もっともです。シフはまたもう少し考えさせて下さい。
タンを挟んだウォノとセドルの恋愛は、ギョムを挟んだウンチェとポンスンの恋愛に似ているように感じます。ここで、ヨンでもイルジメでもなく、ギョムとしたのは、この恋心が幼少期の出会いを軸にしていることがあります。ウンチェはイルジメの中にギョムを感じ、ポンスンはヨンの中にギョムを感じて、恋をしたと思うのです。しかも、ウンチェはそもそも、ヨンに惹かれる部分もありました。梅の木の上での出会いですね。ヨンがヒマ組で悪行をしている様を目にするまでは、明らかにヨンにギョムを重ねて恋をしていた。
残念ながら、ヨンはあえて軟派な男を装い、ウンチェに嫌われるように振る舞うわけですが、これがなければ、ウンチェは確実にヨンに想いを寄せ続けたと察せられます。でもまぁ、ウンチェはなんとなくず~っと、ヨンのことは気になり続けるんですね。単に悪いだけのヤツじゃない気がする、そんな感じで、気になるけれど、イルジメ=ヨンとは結びつかない。最終的には、結びついたのか、それはちょっと分からないのですが、とにかく、ウンチェはギョム=イルジメに恋をした。
話を戻します。
また、逆に、タンのウォノへの想いも、表面上では捨てられた憎しみを抱いているように見えて、実は消せない思い出として心の奥底に大切にしている。おそらくお互い、初恋だったのではないか、と思ったりして。身分の違いによって叶わなかったけれど、互いにとても大切に心にしまっている初恋。
で、タンとウォノのキスシーンが第1話に出てきます。ウォノの家の庭で、梅の花咲く中で、ゆっくりとカメラが惹いていく、美しい映像。実ははじめ、この2人の関係を説明するのに、キスシーンまでいるのかなぁと思っていたのですが、これって、のちに出てくるウンチェとイルジメの目隠しキスシーンにとてもよく似ているのです。場所も同じイ家の庭で、季節も同じ梅の季節で。
今後、引き裂かれる運命にある2人の、密やかな逢瀬と接吻。思い出としていつまでも心に残るだろう美しいキスシーンです。
でも、長い時間がタンのセドルに対する思いを変えていったように、ヨンとポンスンの関係は穏やかに変わっていきそうな雰囲気があります。
「俺は 心に思った人を まだ忘れ切ってない。しばらくかかると思う。もしかして 一生想い続けるかも。それでも俺と行くか?」
ヨンはポンスンにこう言うわけですが、この関係は、セドルとタンが出会った当初の関係に当たるのではないかと思うのです。
どちらの愛が正しいとか、そういう問題ではなく、愛にはいろいろな形があって、いずれも、その人に大きな影響を及ぼすということですね。
監督が、「イルジメとウンチェの愛については“悲恋”というものを描きたかった」と話していました。
この「悲恋」と、「血筋」「育った環境」も絡む構図Bについては、おってアップします。
まず、ここまでで。アンニ・ヨン。