こんにちは。
タイトルの通り、今回は私が苦手なことをひたすら書き連ねていこうと思います。
↓どんな凸凹なのか
忘れ物が多すぎる
これは恐らくADHD傾向に由来する不注意なのですが、忘れ物がヒドイです。
小さい頃からよく忘れ物をしていました。
学校生活での主な忘れ物一覧
・鍵
・教科書
・筆記用具
・宿題
もちろん、何もしていなかった訳ではありません
対策自体はしていました
対策
・鍵→首に掛けるためのグッズを使用(それでもなくしたけど頻度は減った)
・教科書→隣の席の人に借りるor授業についていけそうなら諦める
・筆記用具→友だちに借りていた
・宿題→中学時代は、言い訳をするためのノートをつくっていた※後述
宿題の対策については、我ながら回りくどいことをやっていたなと思い返していて感じたので、書き起こしてみることにします。
中学生時代に私が通っていた学校では、「自習ノート」といって、ノートに何らかの学習を毎日1p以上やってくる決まりがありました。
そんな毎日持ってくるノートでさえ、忘れてしまうことがありました。
実際にやったのに机の上に置きっぱなしだったことが多かったのですが、何故だか本当にやっていないことも…。
しかも、毎度のように「机の上に置きっぱなし」と言い続けると、流石に嘘だと疑われかねない。例えそれが事実であったとしても。
もっと言えば、本当に忘れてしまった場合、同じ日に2日分を埋めると、筆跡で忘れたことがバレる。
そこで、優等生でもあった私は、こんな言い訳をしていました。
「別のノートに間違えてやってしまいました」
これで通用したのは、当時の学業成績が良かったのも無関係ではないと思います。授業態度も一番良かったんじゃないかな。
でもこの別のノート、ないと言い訳が通用しませんよね?
だから、予めつくっていたんです。
わざわざ土日などの時間のある時に余分にその「第二の自習ノート」を埋めていました。なぜって、筆跡で同じ日にやったことがバレてしまうから。なんでこんなことに頭を回してるんでしょうね?自分でも思います。
なんて狡賢。
裏を返せば、こんな手口を思いついて何度も利用していたくらいには、頻繁に忘れていたということでもあるのですが…。
マルチタスクは天敵
発達に凸凹がある人で、マルチタスクを恨まずに済む人はどれくらいいるのでしょうか。
私は典型的な超シングルタスクの人間です。
実は親の意向もあって現在は飲食店でバイトをしているのですが(他の発達凸凹さんには絶対におススメはしません)、定期的に情報が処理しきれずにフリーズしています。
また、発達障害があると、聴覚に問題はなくても、言葉を聞き取りにくい特性が見られることがあるらしいのですが、私もどうやらそれに当てはまるようで、例えば「●◎入れ、△やっておいて」などと聞こえてしまうことがあります。そして飲食店で素早い対応が求められるマルチタスクに追われていると、目の前の仕事に集中するあまり、適当に「ハイ」と返事をしてしまい、後から「?」となることもこともしばしば…。
厄介なのは、「聞こえて」はいることで、声が大きい方に対して「聞こえませんでした」というのもおかしいし、「聞いていませんでした」も失礼だし、そもそも聞いていない訳ではないのです。聞き取れないだけで
幸い、私が働いている飲食店は、こんなポンコツにすら優しい方が多いのでなんとかなっているのですが(だからやめると言い出せないともいう)、他の所で働いていたら地獄だっただろうと思います。
マルチタスクが苦手だと、実はノートテイクの時にも困ることがあります。
特に板書が早い先生だと…。
なぜなら、書く動作と、聞く動作を、同時に行うことに困難があるからです。
ノートテイクの時間を取ってくれる先生ならいいのですが、エンドレスで話し続ける先生なんかだと、聞くことに集中するか、全力で書くことに集中するかの二択に迫られます。なぜなら、聞きながら書くのができないから。
同じくマルチタスクが苦手な私の知人は、コールセンターでのバイトがこれができなくて苦痛だったと言っていました。
彼は現在自分の趣味に関わるwebライターをしているそうなのですが、こういった好きなことに打ち込めるシングルタスクの仕事が適職なのだと感じます。
手先がビックリするくらい不器用
中学時代、何よりも苦手な教科は家庭科と技術でした。
厄介なことに、これらの教科はどうしたって実技を伴うのです。
調理実習で包丁を持てば危ないと班のメンバーに言われ、編み物は時間内に終わった試しがない。
ノコギリが上手く扱えず、何故か自分より力の弱い子が切れたものが切れない。
そして見兼ねた友人が助っ人に入ってくれるまでがテンプレート…。
そんなわけで、どんなにテストで頑張っても、実習がある限り5段階評価の4が限界でした。
知覚推理も無関係ではないでしょうが、今思えば、これはDCDの可能性もありそう。真相はわからないけれど…。
勿論(?)、体育も得意な科目ではありませんでした。
でも、実を言うと、私の親から遺伝した運動能力自体は、決して低くないはずなのです。
50m走は8秒台前半で女子にしては早い方でしたし、長距離も苦手ではなく、持久走に出ればそこそこの成績を残していました。
それ以外にも、走り幅跳びや反復横跳びなどは突出していました。
だから良くも悪くも、周囲からの評価は、どちらかといえば「運動ができる子」だったのです。
でも、私が得意だったことを見て、気づいたことがないでしょうか?
そう、これらの運動は、一切道具を使っていないのです。
お察しの通り、道具を使う運動になったとたん、テンでダメになりました。
上り棒は登れない、雲梯をつかんでいられない、逆上がりができない…。
体力テストで一番嫌だったのはボール投げ。
本当に飛びませんでした。
中途半端に運動ができるイメージがついているせいで、「なんで?」といった奇異の目で見られることにも、また弱りました。
地図が読めない!
地図が読めません。
これは知覚推理関係で生じていそうです。
この傾向は小学生の頃から薄々気づいていました。
なぜなら、社会化のテストで地図の問題が解けないから。
そしてそれは中学生になっても続きます。
社会の問題で、相変わらず地理の問題だけ解けない。
極端な話、他の問題は全部解けていても、地理の問題だけができていなかったのです。
実際の生活での困りごととしては、極度の方向音痴が挙げられます。
私の母は、これを心配して私の車に勝手にカーナビを取り付けました。
過保護だけど、何も間違ってないのが悔しい。
道を覚えるのも苦手で、知っている道と道を繋げる応用もできません。
冗談抜きで、通ったことのある順番でしか、その道を通れないのです。
物がどこにあるのかわからない!!
完全に知覚推理関係だと思うのですが、私は、物によくぶつかっています。
なぜぶつかるかというと、私は
物がどこにあるのかよくわかっていないからです。
何言っているのかと思われそうですが、本当にわからないのです。
例えば、料理中の母親に「冷蔵庫の中にある(調味料)取って」と言われたとします。
そして冷蔵庫を開けます。
…ない。
「どこにあるの?」
「冷蔵庫の中って言ったでしょ、今開けてるでしょうが」
そしてもう一度全体をぐるっと見る。
…やっぱりない。
見兼ねた母親が、料理を一旦中断してこちらに来ます。
そしていとも簡単に調味料を手に取ります。
「ほら、あったでしょ、よく見な」
でも私は、確かにそこを見たはずなのです。
全体を細かく見て、冷蔵庫からピーと音が鳴るほどには。
それなのに見つけられない。
なぜこんなに詳細が書けるかというと、何度も繰り返された実話だからです。
対策としては、自分で同じ場所に置くしかありません。
また、私の父は定期的に掃除欲が高まって勝手に掃除をしてしまうのですが、この影響でどこに行ったのかわからなくなった私物もチラホラあります。違う場所に行ってしまうと、私が見つけられる確率はグーンと下がるのです。同じ場所に戻してくれたら、ただの良い父親なんですがね…苦笑
他にも、知覚推理が低いと、折り紙を折るときに説明書が何を言ってるかわかりません!悲しい!
まとめ
いかがだったでしょうか。
今思い起こせただけでもこれだけあるので、我ながらハードモードな人生送ってるなと思いました。自画自賛なのか自虐なのかわからない。
他にもありそうなので、思いついたらいずれ書こうと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました!