Ikuya and the Town of Wonderland

Ikuya and the Town of Wonderland

毎週月曜~金曜 朝6時更新

 

皆は暫くの間、元老光が消えた暗闇を黙って見つめていた。

 

先程までの戦いの傷跡は跡形も無くなり、月色に光る森の中にフクロウの鳴き声だけが木霊している。

 

「・・・終わった・・・終わったワぁぁ!!」

 

突如として叫び声を上げたジンは、歓喜のあまり隣に居た捜査官を抱きしめるとその頬に暑苦しい口づけを落とした。

 

「とうとう終わりましたね!でもジンさん、キスはやめてください」

 

「だって、だって嬉しいんだもの!」

 

苦笑いする捜査官に構わず頬に何度もキスをしているジンの喜びが伝染したのか、周りにいる者も次々と歓喜の抱擁を交わした。

 

「さぁ支店長、櫻子の初チッスをあげるからに、遠慮せんでいいど」

 

櫻子が口をすぼめて佐久間に抱きつくと、彼は困ったような顔をして彼女の頭をポンポン撫でた。

 

「私、妻帯者なんですよ。例え冗談でも唇を重ねる訳にはいきません」

 

「まぁた真面目な返事して。まだ櫻子のジョークが通じないんだにか?」

 

「ジョーク!いやはやこれは、意地悪をする貴女にはお仕置きが必要ですね。ですから罰として、櫻子さんのここを頂きますよ」

 

きょとんとした顔で見上げてくる櫻子の頬に手を添えた佐久間は、もう片方の頬に唇を寄せた。

 

それはたった一瞬の出来事だったが、櫻子にとっては永遠に続くような時間であった。

 

自分の間近で優しい微笑みを浮かべている佐久間を見た彼女は、涙がこみ上げる瞳を隠すように彼の胸に顔を埋めた。

 

「罰にしては甘すぎるど・・・今度こそ奥さんに叱られてまうにな」

 

「その時はその時です。それよりも、此方を見ているメヅコさんの目が怖いのですが」

 

櫻子がふと顔を上げると、少しだけ頬を膨らませたメヅコが腕を組んでいるのが見えた。

 

「ズルイですよ佐久間さん、櫻子さんを独り占めするだなんて」

 

半分本気、半分冗談めかしてメヅコが言えば、櫻子は佐久間から離れて右の頬に人差し指を乗せた。

 

「支店長は左の頬にチッスしたから、メヅコさんは櫻子の右の頬にチッスする権利をあげるど」

 

「身に余る光栄でございます」

 

そういってメヅコは嬉しそうに彼女の頬に唇を寄せると、それを見ていたマルティンがピョンピョン飛び跳ねてきた。

 

「両頬は制覇されたから、僕は櫻子ちゃんの唇を・・・」

 

マルティンが身を乗り出した瞬間、櫻子の強烈な平手打ちが彼の頬を容赦なく直撃した。

 

「うわぁぁんまたぶたれたあぁぁぁ!」

 

じんじんする頬を押さえてマルティンが泣いていると、今度はそこに呆れ顔の紅がやってきた。

 

「まったく、マルティンはいつまでたっても懲りないわね。でも、今夜は本当にお疲れ様でした」

 

紅からの思いがけない頬へのキスのプレゼントに、マルティンは「わぁぁぁ!」と喜びの雄叫びを上げると興奮のあまりその場をグルグルと走り出す。

 

そして一番近くに居た郁弥に抱きつくと、ギョっとする彼に構うことなくその頬にキスの雨を降らせた。

 

「あぁまたマルティンさんに・・・っていうか、なんでいっつも男ばっかり・・・」

 

「いいじゃねぇか郁弥。だってオメめんこいんだものさ。へばワイもチュ~しちゃおう!」

 

マルティンから始まった郁弥へのキスの連鎖は、利吉、美夢、ジン、捜査官、佐久間、メヅコ、紅と続いた。

 

そうしていよいよ櫻子が郁弥の前へ引っ張り出されると、何故か二人の間に妙な緊張感が走り出した。

 

「櫻子お前はディープなキスやれよ。なんつったってトリ務めるんだしてな」

 

「ハリウッド映画じゃねんだして、夕飯時のご家庭が気まずくなるようなシーンはやらねぇど」

 

ゲラゲラ笑ってはやし立てる利吉をギっと睨んだ櫻子は、それから一つ咳払いをすると郁弥に一歩近づいた。

 

「まぁあれだ。郁弥、とりあえずお疲れ様だに」

 

「いやあの、無理しなくていいよ櫻子ちゃん・・・」

 

「やる!やるったらやるに!郁弥、目瞑れ、歯食いしばれ!気合いだぁぁぁ!」

 

まるで今から平手打ちでもするかのように覚悟の喝を入れた櫻子は、ガシっと郁弥の肩を力強く掴んで緊張でガチガチの顔を彼の頬に近づけた。

 

そんな初々しい二人の光景を皆が固唾を飲んで見守っていたが・・・

 

「みゃお!」

 

と大きく鳴いたみゃおくんが郁弥の肩に乗ろうと飛び跳ね、落下した小さな身体はタイミング良く郁弥の頬と櫻子の唇の間にムギュっと挟まれた。

 

「「みゃおくん・・・なんてことを!!」」

 

「みゃお?」

 

「「なんで今のタイミングで?!せっかくいい所だったのに!!」」

 

二人の間に挟まれて宙ぶらりん状態のみゃおくんは、ただ郁弥の肩に乗りたかっただけなのにどうして怒られているのか理解できなかった。

 

誰もがガックリと肩を落としてちょっとした絶望感を味わっていると、今まで沈黙を保っていた落ち武者がズンっと郁弥の前に立ちはだかった。

 

「では拙者がトリを務めましょうぞ!」

 

郁弥の両頬を掴んだ落ち武者は、ものの見事な早さで彼の唇に自分の冷たい唇を押し当てた。

 

「~~~~!!?」

 

最後の最後に思わぬ接吻を受けた郁弥は口の中で悲鳴を上げ、そのおぞましい?光景に皆は一様に郁弥に向かって手を合わせた。

 

「惨い・・・ひたすら惨いよ・・・」

 

「ダークホース現るだな、なんまんだぶナンマンダブ・・・」

 

「まぁあれだよ・・・めでたし、めでたしでいいんじゃない?」

 

「それもそうね」

 

美夢がクスクスと笑い始めると、それにつられて櫻子達も笑い出す。

 

楽しそうな笑い声と郁弥のくぐもった悲鳴が、冬の澄み切った夜空に彩りを添えたのだった。

 


それから月日は流れ、春のうららかな日差しが心を踊らせるようなある日。

 

喫茶店『月の涙』にはまるで日向を求めて集まる小鳥たちのように、顔見知りのメンバーが昼食を摂りに全員集まっていた。

 

「おやおや、今日はどういう訳か皆さんおそろいですね」

 

「だって、捜査官がお妻ちゃんと鬼っ子連れて来てくれたによ?皆で歓迎するのが仲間ってものじゃろ。ホレ、郁弥なんかすっかり鬼っ子さ懐かれてるに」

 

櫻子が指さす先、捜査官と彼の妻に見守られている郁弥は、キャッキャと嬉しそうに笑う赤ん坊を抱っこしてニコニコ笑っている。

 

「郁弥君、子供欲しいのかしら・・・櫻子ちゃん、産んであげたら?」

 

グラスを拭きながら紅がニヤリと笑うと、櫻子はムスっとした表情で席を立った。

 

「無~理~で~す。郁弥、鬼っ子独り占めは良くないど。櫻子にも抱っこさせて欲しいに」

 

そうして櫻子が鬼の子にちょっかいを出していると、扉が開いて何故か郁弥ママが入店しきた。

 

実は密かにここの常連であった郁弥ママは、まさか息子が今此処にいるとはつゆ知らずにメヅコに向かって今まで見たことのない満面の笑みを浮かべていた。

 

「メヅコさん今日も美しいわねぇうっとりしちゃう。あ、コーヒーとナポリタンお願・・・郁弥・・・オメ、そのワラシ・・・」

 

ぴったりと寄り添うように並んでいる郁弥と櫻子、その間にいる子供を目にした郁弥ママは花顔を引っ込め、代わりに浮かび上がった怒りの形相で郁弥に詰め寄った。

 

「郁弥!おめ、いづのまにその女ど子供作ったのだ!?既成事実で無理矢理結婚する魂胆が?」

 

「何言ってんの?どう考えても計算合わないだろう?早とちりもいい加減にしてほしいよ」

 

「ぱぁぱ、まぁま!」

 

まだパパとママしか言えない鬼の子が絶妙に悪いタイミングで二人の手を握って声を上げると、郁弥ママはキーっと高い声を出して郁弥につかみかかろうとした。

 

「まぁまぁお母さん落ち着いて。ここは一つ、素直に二人の門出を祝ってあげようじゃないですか。披露宴の時は僕が仲人しますから」

 

すんでの所でマルティンが後ろから彼女をガッチリホールドしたが、火に油を注ぐような冗談を飛ばすので今度は郁弥が目を吊り上げた。

 

「マルティンさん、そういう冗談マジで通用しませんからね!」

 

ギャアギャア煩くなったテーブル席から離れた櫻子は、ぐったりした様子でカウンター席に戻った。

 

「なんかケンカ見てたらまた腹減ったに・・・メヅコさん、絶品ビーフシチューとミートスパゲッチーもう一回頼むど」

 

「良いのですか?絶体絶命の郁弥さんを放っておいて」

 

「櫻子完全無関係。ね、みゃおくん」

 

「みゃお~」

 

「話には聞いていたけど、館親子のケンカってホント面白いわねぇ!」

 

「ちょっと紅ちゃん、お母さん押さえているこっちの身にもなってヨ!」

 

「あらジンさんも参戦?頑張ってね~!」

 

「上畑社長、この調子で今夜の特掃は大丈夫なんでしょうか?」

 

「何言ってるの支店長。こんなのいつものことじゃない」

 

「それにしてもアモコが消えた途端、今度は別の敵が出現しましたね。いつになったら枕を高くして眠れるのでしょうか」

 

「いつの世も悪は絶えないに。だから、安信特掃部隊も、葬儀屋も、霊界組もおるんじゃろ?」

 

ひょっこりと美夢と佐久間のテーブルに櫻子が顔を覗かせれば、話を聞いていた利吉もクリームソーダ片手に近づいてきた。

 

「んだんだ。おーい郁弥、どさくさに紛れてちょっとこっち来い」

 

未だにワアワア騒いでいる小山から抜け出した郁弥は、美夢、櫻子、利吉に無理矢理ポーズを取らされた。

 

「新しい敵さんの為に登場シーンの練習するわよ。せーの!」

 

「「皆様の安心とキレイを守る安信特掃部隊、ここに参上!」」

 

四人が決め台詞を叫び美夢がビシっと人差し指をドアに向けると、丁度入ってきた客とガッツリ目が合ってしまった。

 

「あ、すみませんお取り込み中失礼しましたぁ・・・」と客が小声でドアを閉めて逃げてしまうと、美夢と郁弥は羞恥に頬を赤く染め上げて身体を小刻みに震わせた。

 

「どうしましょう・・・見られてしまったわ・・・」

 

「し~らねっ!安信の社長が社員巻き込んで戦隊ごっこしてるってウワサ流れでも、ワイし~らね!」

 

「トシ他人面しないでなんとかしなさいよ!」

 

「劇団安信立ち上げれば解決するど!ほら、こんな所さ丁度いいスポンサーが」

 

指をさされた佐久間がブンブン首を横に振れば、櫻子は次にメヅコに視線を向ける。

 

「私もお断りします」

 

すげなく断られた櫻子がしょんぼりすると、ふふっと小さく笑った郁弥がこっそり頼んでおいたパフェを彼女に差し出した。

 

「櫻子ちゃん、これでも食べて元気出してよ。今夜の特掃も頑張ろう?」

 

「郁弥・・・ありがとだに!」

 

「おめど!親の前でイチャイチャするんでない!」

 

「パフェ渡しただけでイチャイチャとかあり得ないから!もう、母さんは黙っててよ」

 

再び荒ぶる郁弥ママと郁弥の攻防戦は、外野からの声援も交えて喫茶店の外にまで漏れ聞こえた。

 

端から見ればただの騒がしい客人ばかりだが、その殆どが異界者であると知る人間はまずいない。

 

賑やかな日常の隣には、いつも不思議な出来事と不思議な住人達が同居している。

 

郁弥にとって不思議の町は、これからも続くのであった。

 

 

 

 

『郁弥と不思議の町』を最後まで読んでくださってありがとうございます!

またいつかどこかでお会いできたら幸いです。

本当に、本当にありがとうございました!

 

才堂 凛

 

 

『おおおおおおおおおお・・・・!!!』

 

巨大化したアモコは二人に向かって咆哮すると、掌や口からグダメギの黒球を容赦なく発砲する。

 

だが怒りが既に消え去っている二人には、もはや憎しみだけの攻撃は通用しない。

 

優しい笑顔を湛えたまま手を繋いだ二人はアモコとぐんぐん距離を縮めていくと、櫻子が郁弥の腰に手を添えて彼を押し上げる勢いを加速させた。

 

「ここから先は郁弥に任せたど」

 

「ありがとう、櫻子ちゃん」

 

「愛を忘れるでねぇど。グダメギさも、アモコさも、無償の愛を注いでこい」

 

「うん、分かった」

 

「愛してるど、郁弥」

 

「・・・え?」

 

まったく予想していなかった突然の告白に郁弥が目を見開くと、櫻子はケラケラと声高らかに笑った。

 

「はっはー!郁弥の顔ウケる」

 

「こんな時に告白されたら誰だって吃驚するよ」

 

「告白でない。みんなから託された愛のエールだに。櫻子が代表して郁弥さ伝えただけだど。さぁ、笑顔で行ってかせ!」

 

役目を終えて手を離した櫻子は郁弥にいたずらっぽい笑みを残して地上に落ちていく。

 

無防備な櫻子がこのまま地上へ落下すれば命の保証はない。佐久間とメヅコは同時に宙に飛ぶと互いに櫻子の腕を掴んで地上に降り立った。

 

「やいや、モデる女は罪よのう。二人ともありがとだに」

 

佐久間とメヅコの間に挟まれている櫻子は、彼等の手をぎゅっと握りしめて空を仰いだ。

 

「郁弥、頑張せぇよ・・・」

 

刀を構えて飛び続ける郁弥の周りには、いつのまにか今まで出会った神様や雲の龍が並行して放たれるグダメギから彼を守っている。

 

皆一様にアモコに視線を向け、必死に何かを訴えかけていた。

 

郁弥は彼等の心の声に耳を澄ました。

 

ーー君を助けに来たよ。目を開けて、心を開いて・・・皆、君が元の君になるのを待っているよーー

 

彼等もずっと願っていたんだ・・・アモコが浄化され、再び元の姿になることを願ってやまないのだ。

 

郁弥は彼等の想いに溢れそうになる涙をぐっと堪えると、アヅマシを握る手に皆から託された心を集めた。

 

『憎め郁弥!我を憎め!お前を庇って死んでいった狐を思い、我を憎め!お前自身を殺そうとする我を、お前の大切な仲間を傷つけようとする我を憎め!憎むのだ!』

 

「アモコ、君は孤独に苦しんでいるんだね。でも、君は孤独じゃないよ。もう誰も君を怨んでなんかいない。ただ、元の君に戻ってもらいたいだけなんだ。だから、みんなの愛を届けてあげるからね・・・」

 

『同情も愛も我には必要ない!必要なのは、お前の憎しみだ!!』

 

一段と高く吠えたアモコが郁弥に鋭い爪を伸ばしたが、それをかいくぐった彼はアモコの胸にそのまま突進した。

 

「アナタの魂(こころ)、お掃除させていただきます!」

 

胸に深々と突き刺さったアヅマシは、アモコの体内で暴れるグダメギを次々に浄化してゆく。

 

傷口から溢れた沢山のグダメギが郁弥を飲み込もうとしたが、郁弥の穏やかな心と彼に降り注がれる沢山の愛情に太刀打ちできず消滅した。

 

『うおぉぉぉぉぉ・・・!憎たらしい人間め・・・何度も何度も我を裏切ってきた人間の末裔が・・・今更我に手を差し伸べるとは・・・おこがましいにも程があるわ・・・!!』

 

「君に何度手を振り払われても、僕は手を差し伸べる。だって、君が僕の手を求めているから」

 

グダメギが消えゆくすさまじい蒸発音と稲妻のような爆発がアモコと郁弥を包み込む。

 

アモコは徐々に小さくなり普通の成人男性とほぼ変わりない大きさになったものの、依然として郁弥に抵抗を試みている。

 

細い手を鞘を握る郁弥の手に重ね引き抜こうとしても、郁弥は頑としてそれを拒否した。

 

だが郁弥はアモコの手を振り払うことはなく、ぽっかりと空いたアモコの眼孔の奥を優しい眼差しでずっと見つめ続けた。

 

『見るな・・・我を、見るな・・・!』

 

殆ど悲鳴に近いアモコの声を聞いた郁弥は深々と刺した刀を何故か引き抜いた。

 

そしてあろうことか郁弥は、アモコをぎゅうっと抱きしめたのだ。

 

「・・・アモコ、君はどの神様よりも一番優しかったんだね。だって君は、他の神が次々と山を去った後でも、一人残ってずっとずっと人間達を見守ってくれていたんだもの。本当は、誰よりも人間を愛していたんだよね・・・だから、人間達に裏切られたと思った時、悲しくてしょうがなかった。怨んではいたけれど、最後の最後まで信じようとした・・・でも、それが出来なくなって自分を責め続けた。神故に孤独を選ばざるを得ず、誰にも弱音を言うことさえできなかった。そうして自分を責めて、責めて・・・自分の悪に飲み込まれた。でも、神様だって全てが善じゃない。出来ないことで自分を責めなくていいんだよ。僕は君が好きだ。皆も君が好きだ。だから、戻ってきて欲しい」

 

『あ、ああぁ・・・』

 

アモコと化した夜から心の中に封じ込めていた想い。

 

誰にも理解されず孤独に落ちたボロボロの身を抱きしめて、嘘偽りない言葉で全てを受け入れてくれた青年。

 

アモコはわなわなと震える腕を郁弥の背に回すと、ゆっくりと彼を抱きしめ返した。

 

人間は、こんなにも暖かい・・・。

 

アモコは生まれて初めて、その瞳から涙を零した。

 

弾けるような光が溢れ、地上を眩い光が覆い尽くす。

 

郁弥が眩しさに瞑っていた目を開けると、目の前には真っ白な束帯姿の神が彼を見つめていた。

 

面長の美しい顔にある切れ長の瞳は穏やかな色を滲ませ、薄桃色の唇が郁弥に礼の言葉を述べる。

 

神は郁弥の手を取って地上へ降りると、駆けつけた仲間達を前にして深々を頭を下げた。

 

「我のしたことは赦されるべきことはない。これからは深山へ籠もり、人間達をずっと見守っていくことにしよう・・・それが、せめてもの罪滅ぼしだ」

 

「赦すも赦さないもないわい。こうしてお前さんが戻ってきてくれたんじゃ、皆はそれだけで良いと思っておる」

 

「元老光、ありがとう・・・ツキ、いや、今はメヅコであったな」

 

神がメヅコに視線を向けると、彼はツキに姿を戻した。

 

「今だけはツキとお呼びください」

 

「お前にはずっと苦労をかけてきたな、本当に申し訳なかった・・・だが、もし許されるのならば、また我の傍にいてくれぬか?」

 

「日のある内はメヅコとして生きることを許してくださるなら、喜んでお傍におりましょう」

 

「勿論だ、ありがとうツキ。美夢、君に呪いをかけてしまったこと、心から謝罪する。その氷の呪縛を、今解いてあげよう」

 

「ありがとう神様。これでもう、櫻子に苦労をかけなくて済むわ」

 

美夢の元に歩いてきた神は、金色の頭に手を置くと意識を集中させた。

 

徐々に呪いが美夢の身体から抜けてゆくと、彼女は途端にブルブルと震え始めた。

 

「寒っ!雪女の力が無くなったら、すっごく寒く感じるんですけど!」

 

両腕をさすりながらその場でピョンピョン跳ねる美夢に、利吉は羽織っていたマントを貸してやった。

 

「ホレホレ美夢、ワイのマントで暖取れ・・・見た目まったく変わってねぇったって、確かに身体あったけぐなったな」

 

「・・・トシ、どさくさに紛れて身体触るんじゃないわよ」

 

「ちゃんと戻ったが確かめだだげだべや!」

 

「いいえ、ぜったい下心があったはずよ!」

 

まぁた漫才が始まったぞ・・・と元老光がトホホと顔に手を当てているその脇で、神は今一度郁弥に頭を下げていた。

 

「郁弥、君のお陰で我は救われた。本当にありがとう・・・我は深山へ戻る。いつでも遊びにおいで」

 

「僕じゃないです。このアヅマシを作った昔の人々の心、貴方を想う皆の心が、貴方を救ったんです」

 

ニッコリと微笑んだ郁弥に頷いた神は全員に見守られながら、他の神や龍と共に光の風となって深山へ消えていった。

 

真っ暗い雲に覆われていた夜空に月が顔を覗かせると、それを暫し眺めていた元老光が寂しげに口を開いた。

 

「美夢、雪女の力が無くなったところで忌子には変わりない。これからも年を取らず愛する者の死を見届けなければならぬ運命じゃ。じゃが、運命というものは変えることができる。勝彦を最後の愛だと覚悟をしているのなら、ワシが特別に不老の力を抜いてやるぞ。普通の人間となんら変わりなく老人になり、やがて命が尽きる。それでも良ければの話だがな」

 

それは美夢にとって願ってもない話であった。ずっと心の中で願っていた想いを、元老光は知っていたのだ。

 

「元ちゃん。私が最後に愛する人は、彼。だから、私から不老の力を抜いてください」

 

「美夢よ、今まで皆を支えてくれてありがとう。お疲れ様じゃ」

 

元老光は美夢の額に人差し指を当てた後、今度は櫻子の耳元にクチバシを寄せて極小さな声で囁いた。

 

「櫻子よ、お前はどうする?今ならお前を本当の女性に変えることもできるのだが」

 

「ホント?じゃあFカップのセクシー美女さして欲しいど」

 

「すまない櫻子、体型まで変えることは出来ないのじゃ」

 

「へばこのままでいいど」

 

「そうか・・・不老の力はどうする?」

 

「死に際は自分で決めるに、元ちゃんは心配せんでも大丈夫だど」

 

「う~ん・・・それが一番心配なんじゃ。しょうがない、郁弥よ、櫻子を末永く頼むぞ」

 

ポンポンと元老光に肩を叩かれた郁弥は、うんと頷きそうになった自分を押さえて訝しげな目つきを送った。

 

「元ちゃんさん、なんで僕が櫻子ちゃんと結婚する前提で話をしているんですか?」

 

「え?あんだけ二人べったりしていて逆にしないの?櫻子の伴侶になってやってくれたら、ワシはもう思い残すことは何にも無いんじゃが」

 

「丁重にお断りします」

 

「なんでじゃぁぁぁ!こんなに頼んでるのにぃぃぃ!」

 

元老光は膝をガックリおとしてオイオイ泣いていたが、すぐに立ち上がるとゆっくりと歩きだした。

 

「元ちゃん、どごさ行くに?」

 

「美夢、櫻子。もうお前達の可愛い姿を見ることはない。じゃが、身体は遠く離れていても、心はいつも傍におるからの・・・」

 

そう行って一人でまた歩き出した元老光に、美夢と櫻子はすぐに駆け寄り彼の腕を掴んだ。

 

「嫌よ!せっかく会えたのにもうお別れなんて・・・」

 

「そうだに、ずっと櫻子達と一緒に住めばいいど!」

 

「二人ともありがとう。じゃがな、ワシはこの身を永遠に池の中に沈めておかねばならんのだ。ワシが地上に留まっておれば、不埒な輩が力を奪いにこの地へやってくる。そうなれば今度はワシがアモコになってしまうかもしれん。じゃからワシは自らの力を封印しなければならいのだ」

 

「でも、でも・・・!」

 

「泣くなお前達。ワシはいつでも心の中におるぞ。じゃから、さよならは言わん」

 

子供のように泣きじゃくる美夢と櫻子の頭を優しく撫でてやった元老光は、くるりと踵を返すと振り返ることなる帰路に就いた。

 

段々と小さくなる緑色の姿を見つめながら、櫻子は大きく手を振った。

 

「元ちゃん、どんぼしぇだにー!!」

 

「櫻子、どんぼしぇって何じゃ-?」

 

「おやすみって意味だどー!知り合いのばあちゃんがそう言ってただによ-!」

 

「そうかー!そしたら、どんぼしぇじゃー!」

 

平野の闇に響いた元老光の最後の声が響き渡ったあと、辺りは元の森に姿を戻したのだった。

 

 

 

「それは、愛だに。愛がなければ憎しみも幸せも生まれない。全ての感情の根源は、愛だに!」

 

ビシっと人差し指を立てて決めポーズを取った櫻子は、ふふんと自慢げに唇を吊り上げた。

 

しかしアモコはおろか、美夢や郁弥達も彼女の発言に対し無感情の目を細めることで返答した。

 

「ちょ、ちょっと・・・なんでみんなジト目なんだに?」

 

「だって、ねぇ・・・」

 

「なんていうか、櫻子ちゃん、愛って言葉に一番縁が無さそうだから・・・」

 

「みゃお~・・・(紅ちゃんの言う通り)」

 

「やいや、みんな櫻子ばバガさして!櫻子だって愛くらい知ってるど」

 

ムっと頬を膨らませて怒った櫻子に一同はクスクス笑った。

 

『無駄話はそれまでにするのだ。亡者達よ、こやつらの息の根をさっさと止めるのだ』

 

アモコがさっと腕を振り上げると、それまで黙って立っていた亡者達が一斉に刀を抜いた。

 

「コイツらは僕達に任せて。美夢さんと櫻子ちゃんと利吉さんは郁弥の援護を宜しくね」

 

マルティンがステッキで肩をトントン叩きながらウィンクすると、メヅコと紅、そして落ち武者はそれぞれの武器を前に掲げた。

 

「みゃおみゃお?(みゃおくんは何をすればいいの?)」

 

「みゃおくんはみんなの帽子を預けておぐから、元ちゃんと二人で応援シテ欲しいど」

 

櫻子がひょいっと制帽を脱いで宙に投げると、みゃおくんはクチバシで器用にキャッチしてそれを元老光の頭に被せた。

 

彼女に倣って郁弥達もみゃおくんに制帽を預け、ユラユラと黒い空の下で揺れるアモコと対峙する。

 

「アモコ、過去の傷を使っても、もう憎しみは再燃しない。だって私達は今を生きているんだもの。過去にとらわれた亡霊に、もう用はないわ」

 

『その強がり、いつまで保つか楽しみだぞ、桔梗。まずはそこの男から退治してくれるわ!』

 

バタバタと束帯の裾を風に響かせて宙を走ったアモコは、懐から取り出した刺刀(さすが)の切っ先を利吉に真っ直ぐ振り下ろした。

 

俊敏なアモコの動きに一寸遅れを取った利吉だったが、持ち前の運動神経で彼の刃をハタキで打ち返す。

 

「おいおい、ひ弱な人間から先に片付けようとは、随分姑息な手を使うじゃねぇかアモコさんよぉ。だがな、それが仇になるってこと、知ってらが?」

 

ニヤリと笑った利吉の真横から櫻子と美夢が飛び込み、アモコの両腕を見事に切断した。

 

『我をいかに傷つけようとも無駄なのだ!』

 

アモコはすぐに腕を再生させて刺刀を振り回し、自分の周りから特掃部隊を蹴散らすと掌からグダメギで出来た黒球を容赦なく放った。

 

「館殿、ここは拙者が盾になる。皆が散りじりになって攻撃している内にアモコを討ち取るのじゃ」

 

「ありがとうございます蔵太郎さん」

 

「いざ参らん!」

 

雄叫びを上げながら落ち武者が走り出すと、そのすぐ後を郁弥が追いかける。

 

二人は飛び交う黒玉を弾き返しながら突き進み、アモコとの距離を確実に狭めていく。

 

郁弥は鞘に手をかけ刀を引き抜きながら落ち武者の前に飛び出せば、ふいをつかれたアモコは彼の刃をすんでの所で交わすことしか出来なかった。

 

郁弥の持つ切れ味の良い刃腹がボロボロの袖を切り裂き、ヒラヒラと舞い落ちる布に隠れてアモコが郁弥に切っ先を振り下ろす。

 

両者の刃が激しく交差し鋭い金属音を響かせると、アモコは力任せに郁弥を押し倒し彼を跨いで狂喜に満ちた笑いを上げた。

 

『死ね郁弥!』

 

「そうはさせないわよ!」

 

紅が天の羽衣を鞭のように使い、アモコの刺刀を彼の手からはじき飛ばす。

 

『おのれ天界の小娘が!グダメギに飲まれて地に落ちるがいい!』

 

アモコが口を大きく開いて黒い光線を放ったが、紅に届く前にメヅコがそれを握りつぶしてしまった。

 

「紅さん、大事ありませんか?」

 

「ええ、ありがとうメヅコさん。でも、グダメギを素手で掴んで大丈夫なの?」

 

「私にグダメギは通用しませんから、ご心配なきを」

 

『ツキ!邪魔立てするな!』

 

「ですから、私はもうツキではなくメヅコであると申し上げたでしょう?」

 

『どちらでも良いわ。貴様ら、もう許さん!』

 

アモコが怒鳴り大地を叩くと、先程よりも倍の数の亡者達が新たに出現した。

 

亡者はアモコの怒りと同調するように動きを早め、美夢達に刃の雨を次々に浴びせてゆく。

 

ようやく現場に到着したジン達は、アモコと白兵戦を繰り広げる郁弥の姿を見つけるとすぐに彼の援護に回った。

 

何度かアモコと接近した郁弥は、彼との間に刃の火花を散らせる度に妙な感情を感じ取った。

 

最初は殆ど漠然としたものだったが、最後に迫撃したアモコの不気味な眼孔を覗いた郁弥はハっとして一端彼との距離を離した。

 

「・・・金色の洪水から桔梗さんを助けたのは、アモコだ」

 

アモコから視線を外さず気が抜けたように呟いた郁弥に、元老光は狐に頬を抓まれたような顔をした。

 

「何だって?それはどういうことじゃ?」

 

「さっきアモコと接近した時見えたんです。彼の内側に残っていた善が、僕に真実を見せてくれました。申し訳ない、どうか未来でワタシを救って欲しい、最後に彼は僕に言ったんです。今も煮えたぎる憎悪の奥で泣いています。アモコの声が・・・必死に助けを求めています。僕に手を伸ばしているんです」

 

「怒りを完全に忘却できた者だけが聞くことのできる心の奥の声じゃな・・・郁弥、それこそお前さんが手にした真の強さじゃ」

 

『何が善だ!我にはそんなものはありはせん!真の強さなど、マグマのように煮えたぎる憎しみには絶対に勝つことはできぬのだ!殺してやる・・・全ての者を滅ぼしてやる!皆怨みに怨みを重ね、我のように永遠に苦しむがいい!』

 

アモコが息を吸い込むと、それまで戦っていた亡者達が一斉に彼の体内に吸い込まれていく。

 

グダメギを閉じ込めたアモコの身体は膨れあがり、一気に増幅した憎悪に耐えきれず周りの木々は瞬時にして葉を枯らす。

 

体内で制御しきれなかった一部のグダメギがミイラのような四肢から放たれると、すさまじい殺気が大気を汚染した。

 

否応なしに立つ鳥肌を押さえた元老光は、冷静な眼差しでアモコを見上げる郁弥に確信を抱いた。

 

実は郁弥を深山神社に連れて行った時、彼は微かではあるが社にアモコの影を見ていた。

 

それはアモコというよりは、アモコが残した想いが陽炎のような形を取って待っていたような感覚だ。

 

影は社の隙間から郁弥を見つめていた。安堵と懇願を込めた眼差しで、彼をじっと見つめていた。

 

あやつは、やはりこの子を待っていたのだな。あの子が自分を救ってくれると、分かっていたのだな・・・。

 

元老光は心の中で呟いた後、郁弥の肩を叩いて口を開いた。

 

「さぁ郁弥、アモコのページにピリオドを打つ時が来た。櫻子、後は頼んだぞ」

 

「お二方のご武運を祈っているでござる」

 

落ち武者が小さくお辞儀をして一歩後ずさると、代わりのように前に出てきた櫻子が郁弥にニコっと白い歯を見せた。

 

「郁弥、この手・・・離すんじゃねぇど!」

 

「うん。行こう櫻子ちゃん」

 

櫻子は郁弥の手をぎゅっと掴んでで助走をつけると、アモコが待つ宙へ向かって跳躍したのだった。

 

 

 

 

「館殿、無事でござったか!」

 

ヒバ実験林の入り口にたどり着いた郁弥達を待っていたかのように、落ち武者がガシャガシャと鎧の音を立てながら近づいてきた。

 

「蔵太郎さんお久しぶりです。でも、どうしてここに?」

 

「森の住人達がアモコ襲来を知らせてくれたのじゃ。拙者も助太刀いたす。今こそアモコに天誅の時ぞ!」

 

落ち武者がギラリと光る刀を天に向けると、郁弥の脇から櫻子がひょっこりと顔を覗かせた。

 

「落っち、今日はハァハァ言わないだにか?」

 

「はっ!そうであった・・・ハァハァ・・・」

 

「いや、今日はハアハァ必要ねぇから」

 

「櫻子殿は色々エグいでござるな・・・」

 

「まぁたお前たち漫才しおって。ここから先は面白いの禁止条例じゃ!」

 

元老光は櫻子の頭をコンと叩き、暗がりの森にズンズン入っていく。

 

だが幾ばくもなく森は開け、見渡す限りの寒々しい平野が山の中に広がっていた。

 

「元ちゃん、この場所・・・ここにあったっけ・・・」

 

美夢が信じられないという目で元老光をみやると、彼も金色の瞳に驚きの色を滲ませていた。

 

「ない。この場所は、もっとずっと下にあった・・・」

 

『そうだ。元老光、まだ耄碌はしてないようだな』

 

ビュウっと突風が雪の大地を吹き抜け、その風に乗ってやってきたアモコがニヤリと笑った。

 

『嘗てお前達が我をおびき寄せ殺そうとした場所だ。美しかった雪の肌に穢れの血が流れ、沢山の人間と異界の者、そして神々が地に伏した。彼等は今なお憎しみに怒り狂っておる。この大地の下から、その無念を晴らす為に眠りから覚ましてやろうではないか』

 

胸の前にダラリと下げた手をスっと上に持ち上げれば、アモコに引っ張り上げられるように沢山の亡者達が雪の中から顔を出した。

 

彼等がユラユラと頭を揺らしながら大地から這い出てくると、濁り腐った目に憎悪を満たして郁弥達を睨んだ。

 

「アモコ!憎しみに駆られた魂を操り犠牲にするのはやめなさい!私達を殺したいなら、貴方が正々堂々と戦えばいいじゃない!」

 

美夢の叫びにアモコは嘲笑した。

 

『犠牲?我がいつあやつらを犠牲にした?あの亡者達は自ら犠牲になったのだ。勝手に死んで勝手に憎しみを膨れあがらせた。気付いておらぬようだが、彼等の憎しみはお前たち忌子の鏡なのだ』

 

「わたし達の、鏡・・・?」

 

『お前達は心の奥底では憎んでも憎みきれない人間への憎悪がある。美夢、お前は愛しい男の間に出来た赤子を殺された。だんだん大きくなっていく腹をさすって、その産声を楽しみにしていたのだろう?奴らはその幸せを奪った・・・子供も、男も、殺された怨みはさぞかしだろうな・・・我には分かるぞ美夢、お前の心を解き放て。今こそ我と共に、愚かな人間どもへ制裁をしようではないか。
櫻子、お前だって人間の間違った信仰さえなかったら、両親は殺されなくて良かったのだ。泣き叫ぶ乳飲み子のお前を、人間は山奥へ捨てなかっただろう。二人でずっと身を隠して生きていくこともなかっただろう。呪われた身体を持つ美夢を救う為に、氷姫からの寵愛という暴力を甘んじて受け続けることもなかっただろう』

 

美夢は当初アモコの言葉を受け流していたが、彼の最後の言葉が耳に入った瞬間には顔色を真っ青に変えた。

 

「櫻子・・・どういうこと?まさか氷姫は、永氷を与える代わりにアナタに身体を差し出せと命令していたの!?」

 

「そったらバガだ話あるわけないど!美夢、アモコの言葉さ騙されるでない!氷姫は心も身体も穢れていない者でねぇば聖域には入れてくれないに」

 

『櫻子のなんと健気なことか・・・そうやってお前をいつも庇おうとする。ずっと真実を隠し続けて、命の恩人を守ってくれるのだ』

 

「よぐもまぁまぁデタラメばし言えるにな、その汚い舌を引っこ抜いてやるど!」

 

櫻子がアモコに向かって駆けだそうとしたが、その腕を美夢が掴んで彼女を制止させた。

 

「・・・憎かったわ。愛しい人たちを殺されて、相手を憎まないヒトは居ない。けれど、憎しみに憎しみを重ねても、何も生まれはしない。その先にあるのは、破滅だけだわ。だから私達は決めたの。今夜その憎しみの連鎖を止めるって」

 

美夢はもう二度とアモコに心をかき乱されることはない・・・彼女の確固たる決意の中に込められたその気持ちに気付いた櫻子は、嬉しそうに小さく頷いた。

 

「櫻子、二親の顔なんか知らない。でも、それで不幸せだったことなんか一度もないど。お腹を空かせて泣いていた櫻子を、美夢が助けてくれた。元ちゃんが力を与えてくれた。そして長い時を越えて、皆というかけがえのない仲間と出会った。だから櫻子はみんなを守りたい。アモコ、お前には守りたい者がいるだにか?まぁ、そういうヤツがいたら、こったらバガだごっとはしねぇよの。憎しみだけだば勝てねぇに。誰かを守りたい力の前では、お前は無力も同然だど」

 

アモコは二人の話を黙って聞いた後、愚かな人間を哀れむような眼差しを彼女達に送った。

 

『それこそが憎しみだ。憎しみこそが力の源だと何故気付かない?守りたいという気持ちの真実は、戦う相手への憎しみそのものだ』

 

だが櫻子はそれを笑いで一蹴した。

 

「ははははは!だしてアモコはアモコなんだど。確かに相手への憎しみはあるかもしれない。でもお前は、本当の根源を知らないに」

 

『頭の良い櫻子よ、ならばそれを是非我に教えて頂きたい』

 

「それは・・・」

 

櫻子は不敵な笑みを浮かべてから大きく口を開いた。

 

 

 

郁弥達を乗せたトロッコはその後順調に隧道を抜け、いよいよ終着地点に近づいてきた。

 

だがそれを目前にして突如目の前のレールが爆発し、それ以上トロッコで先に進むことは不可能となってしまった。

 

トロッコを急停車させた車掌は苦虫を噛みつぶしたような顔をして戸口を叩いた。

 

「チ、せっかくのラストランだってのに、やってくれるじゃねぇか。すまん皆、ここで降りてもらうことになっちまった」

 

車掌がすまなそうに後方に声をかけると、一同は彼に礼を言いながらトロッコを降りた。

 

「車掌、まだラストランじゃねぇど」

 

「?」

 

「櫻子達がここに戻ってきたら、今度は町さ乗せで帰ってもらわねぇばならないに」

 

最後に降りてきた櫻子が真っ直ぐ前を向いたままぶっきらぼうにそう言うと、車掌は一瞬目を見開いてから大きく頷いた。

 

「そうだったな、お嬢ちゃん。本当のラストランはこれからだ。俺はコイツとここで待ってるから、行ってこい」

 

「ありがと!へば行ってくるど」

 

さっと片手で上げた櫻子は前方で待っている郁弥達に向かって走っていった。

 

爆破され元の森林軌道跡になってしまった雪道を進んでゆくと、小さな谷の下から黒い川がゴボゴボと泡を立てて急激に水嵩を増してきた。

 

水の中に紛れた無数の亡者達が枯れ枝のような手を伸ばし、奥へ進もうとする彼等の侵入を阻もうとしている。

 

郁弥達を取り囲むように押し寄せた水は、亡者達をその場に残してスゥっと川へ引き返していった。

 

「どこからこんなに集めてきたのかしラ・・・」

 

「ねぇねぇ、山の方からもすっごいいっぱい押し寄せてきてるよ?」

 

マルティンが悠長に実験林がある方角を指さすと、そこには山を埋め尽くす程の亡者達が群れをなしていた。

 

まるで蝶の大群のごとく木の幹や枝にびっしりとひっついて此方を見下ろす亡者に、さしもの霊人達も寒気を覚えた。

 

「閻魔大王様が一気に裁きを行った際にボク立ち会ったけど、こんなにウジャウジャ人数はいなかったワ」

 

「亡者ひとり一人の力は弱いですが、こうも数がいると厄介ですね」

 

クチでは弱音を吐いた捜査官だったが、亡者達を見る彼の鋭い眼差しは魂の大群を制止させる絶大な効果があった。

 

山側の亡者達はビクビクと影を震わせ、ぽっかり空いた口から貧弱なうめき声を上げ始めた。

 

「まぁ、力の弱い亡者とは言えアモコにとって時間稼ぎにはなるでしょう。ですが全員で彼の遊びに付き合うことはありません。ここは、我々霊界チームがお相手してさしあげましょう」

 

「そうネ。幽霊ならボク達の専門だもの」

 

「彼等の罪状は公務執行妨害でよろしいですね?全員まとめて霊界刑務所にブチ込んでやりますよ」

 

ジンと捜査官、そして佐久間が三方の先頭に立って、再びジリジリとにじり寄ってくる亡者達に不敵な笑みを向けた。

 

「まずは郁弥クン達をここから逃がす。ボクが道を作るから、素早く走り抜けるのヨ。マルティンは先頭、メヅコさんは最後尾について彼等の援護をたのむわネ」

 

「任せて!フィナーレの場所で待ってるから、早く雑魚片付けて駆けつけてきてね!」

 

「あまりここで油を売っていると、最終演目が終わってしまいますからね。お三方、どうかお気を付けて」

 

マルティンとメヅコがすぐに配置につくと、ジンは持っていた長刀を天高く掲げた。

 

「さぁアンタ達、主役が通るんだからさっさと道をあけなさぁぁい!!」

 

怒号を響かせてジンが一気に長刀を振り下ろせば、そこから生まれた刃の風が前方を塞ぐ亡者達を一瞬にして消し去った。

 

黒い群れの真ん中に一本の白い道が出来上げるとマルティンの合図で郁弥達が走り出す。

 

一寸狼狽えていた亡者達だったがすぐに道を塞ごうとモゾモゾと寄り集まってきた。

 

それをマルティンが強烈なステッキ捌きで払いのけ、再び道を作り上げる。

 

彼等の姿が沸き上がる亡者の大山の裏に隠れてしまい、死んだ視線が此方に向けられるとジンは佐久間と捜査官に声をかけた。

 

「どうやら郁弥クン達は無事抜けられたみたいネ」

 

「では、ぼちぼち始めましょうか」

 

佐久間はやおら着物の中に手を突っ込むと、そこから帯付きの札を何束も取り出した。

 

真っ白な帯を人差し指でブツンと切って札束を空中に投げた彼は、すぐに団扇を仰いでお札を四方八方に飛ばした。

 

「やだぁ佐久間支店長ってば超バブリー!」

 

「いいんですか?あんなにバラ撒いて。まさか自腹・・・」

 

「あれは霊界の公安当局が押収した偽札です。それに少しばかり細工を施しました。まぁ見ててください」

 

三人が上空に顔を向けると、亡者達は我先にと舞い上がる沢山のお札に手を伸ばしていた。

 

雨のように降り注ぐ金を巡って互いに争い合う亡者達。

 

生きていても死んでいても欲望が果てることのない様は、見る側に虚しさと悲哀をもたらした。

 

「まさか、亡者同士で戦わせようっていう魂胆?」

 

「いえいえ。これからです」

 

亡者が金を鷲づかみにした瞬間、その姿はフェードアウトするようにスゥっと消えてなくなってしまった。

 

「え、消えた?支店長、一体何をしたの?」

 

「お金に転送装置の機能を加えました。あれに触れた亡者はもれなく留置所へ飛ばされます。地獄の沙汰も金次第と言いますが、今回はお金を掴まば地獄の果てまでってところでしょうか。まぁ、本当の所は我々があまり亡者を手にかけると閻魔大王様にお叱りを受けるハメになりますから、その予防策です」

 

「流石ですね佐久間さん。ですが、どうして亡者達が攻め込んでくると分かったのですか?でなければあのお札は用意できなかったですよね」

 

捜査官が首をかしげれば、佐久間は扇子を口許に寄せてふふっと小さく笑った。

 

「亡者を足止め代わりに使うのはアモコの常套手段ですから・・・ふむ、大分片付いてきましたね。残りは思う存分叩きのめしてあげましょう」

 

「支店長のクチから叩きのめすだなんて乱暴ネ。最近櫻子ちゃんの言葉遣いが移ってきたんじゃない?」

 

「こういう時、地上では『ワッタメガス』って言うんでしたっけ?ジンさん」

 

「捜査官、それただの訛りだからネ。でもまぁ、そうネ。じゃ、みんなでワッタメガしましょウ!」

 

札が全て無くなったことで再びターゲットを切り替えた亡者達が四方から降ってくれば、三人はそれぞれの武器を手に彼等との闘いを始めたのだった。

 

 

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