2歳の娘が、ひとつのおやつを食べきらないまま、次のおやつを食べたいという…。


2歳の娘が、まだ使えるのに、次のおもちゃを出してくれと言う…。


その度に、私の気持ちがざわめく……。


「これ食べてしまってからにしようね。」


「今使っているのが、壊れて使えなくなってからにしようね。」



…ねぇ、ほんとにそれっていけないことなの?

駄目なことなの?


いろいろ食べたいって思うこと、新しいおもちゃを使いたいって言う気持ち…。


わがままではなく、「好奇心」や「自然な欲求」だとすれば…?




食べ物を粗末にしないように。

物を大切に使えるように。


確かにそれって大事なことではあるけれど……。



なので、自分に質問してみた。


我慢させたら、それが出来るようになるって思ってない?



私の答えは…、上手く言えないけれど…、何か違うと思う…。


我慢でそれらが出来るようになるわけではない、と感じる…。



ちなみに私の場合は、我慢して得たものは「飢餓感」だった。


もっと得たい!もっと欲しい!!


ない!ない!!ない!!!


「あること」より、「ないこと」に目を向ける癖がついた…。


ひとつ得たら、他は我慢しなくては…、という思い込みもついた。


自分は得てはいけない…、そんな風に自分にも厳しくなった。


きっと、これからの時代には「我慢」よりも、「これが欲しい!」という素直な気持ちの方が、大事になると思う…。


私自身、これから先は、2~30年分の価値観を捨てて、身軽になる方に向かいたいなぁ。



…その瞬間、瞬間に生きている娘。


もったいない、大事にしないと…、は私の思いであって、今の娘にはないものだ。


それは、私が娘に分かって欲しいと思っている私の思い…。


その中にはおそらく、自分が得られるものには限りがあるっていう思い込みも入っている…。


ならば、娘が作ってくれる機会に便乗してレッスンしよう!


(自分のもったいないがざわつかないように)
…おやつは個装のものにして、次も食べれるようにしよう。


(物を大切に使って欲しいは自分の気持ちだから)
…おもちゃは壊れる、なくす、を前提にして、娘に使い方をゆだねよう。


自分のもったいない、大事に使おう、という気持ちにも○をつけて、ゆっくりとゆるめていこう!


たくさん得ていい。


自分のものは、自分の責任において、どんな風に使ってもいい。


そちらの方が気持ちが楽で、ワクワクする。


なんか「私はお母さんだから、大事だと思うことは伝えなくちゃ!」って、肩に力が入ってた気がする…。


でも娘にとって、おそらく一番の先生は【経験】なんだろうな。


食べ過ぎて苦しい、おもちゃが壊れた、無くなった…。


それを経験して、初めて「どうすればいいかな?」が生まれるのかもしれない。



さぁ、まずは私も食べたいお菓子を食べたい分だけ、いろいろ開けて食べてみようと思う。


そんな自分にもOKを出すレッスン。


想像しただけで、何だか楽しくなってきた!