娘を保育園に送っていった時、大きいクラスの先生が「早く来れるようになりましたねー」って声をかけて下さいました。

そのひと言を聞いて、私の胸がザワザワし始めました。


私はいつも、9時か9時すぎに保育園に着くように送っていきます。

(この日は8時45分に着きました。)

時間的に、まぁ、ほぼ最後になってます…。

私自身、朝が弱いので、自分のペースで準備すると、登園がだいたいこの時間になります。

朝からイライラ、あくせくするより、まぁ、いっかなぁーって思うところもあって…。


ただ以前に、大きいクラスの子に「いつも最後やなぁ」と話しかけられましたし、

おたより帳に「朝のおやつ前に、遊びが楽しくなり、おやつを食べ終えて外に出た時には、外遊びの時間が少なくなっていました」と報告していただいてたので…。


「はっきり言われないけど、登園が遅いのかも…」と思っていました。


それで今朝、このひと言を聞いた時、

「やっぱり集団生活に合わせるって大事だよね」

って言われているように感じてしまって…。


もちろん先生に悪気はなく、何気に言って下さった「言葉」だと思います。


いつもなら、

「私にも私の都合があるんだよ」

「やっぱり遅いって思われてたんだ」 

「はっきりもう少し早く来て下さいって、言ってくれたら良かったのに…」

と、人に言われて自分が感じたことに、囚われていたと思います。


ただ今回は、そういう風に受け取ってしまう私の捉え方の方に問題があると感じていて…。


実は自分でも、心のどこかで、早く登園出来ないことに対する焦りや、朝が弱い自分を責めている感情があったのだと思います。


でも、それをしっかりと感じずに、さらっと流してしまったり、違う感情や考え方で誤魔化したり、なかったことにしていました。


なので、意識が現実を創っているのだとしたら、今回はこれらが現実化したのだと思います。


と同時に、「集団生活が面倒くさい!しんどい!イヤだ!ひとりがいい!」って叫んでいる私もいて…。

思い返せば、幼小中と家の中でも、自分の本当の感情を押し殺して、周りに合わせて生活してきた自分がいました。


そんな自分に改めて、

「焦ったり、自分責めしてる感情を無視してごめんね」

「ずっと頑張って生きてくれてありがとう」

「朝が弱くても、マイペースでも大好きだよ」

と伝えました。



【誰かに分かってもらいたい感情がある時は、自分自身に一番分かってもらいたい時なんだ】



と、ある方が書いて下さっていたブログを思い出しました。


本当にそうだなぁ…、と感じた出来事でした。