2歳を過ぎた娘は、喜怒哀楽の表情が豊かになり、自分の言葉に感情をのせて話せるようになってきました。

毎日エネルギッシュに過ごす姿が、まぶしく感じられます。

しかし、1歳半検診時には、身体面を除いた全ての面で発達に遅れが見られました。

指さしなし、クレーン動作あり、発語なし、名前を読んでも振り返らない、あまり目があわない、多動、逆さバイバイ、おもちゃや物をかじる、指先をあわせたりして遊ぶ…。

周りの世界に目を向けることなく、自分の感覚の世界に浸っているという感じでした。

私は、周りの子ども達と違う我が子の姿に衝撃を受けます。

毎日ネットサーフィンし、検索して出てくる言葉は「発達障害」…。


実家であんなに辛い目にあってきたのに、どうして!?

また私は苦しまなきゃいけないの!?

…そんなの嫌だっ!!!



一瞬にして世界が変わった気がしました。


…眠れず、食べれず、精神的にも不安定になり、どんどん落ちていきました。

泣きながら保健師さん、子育て支援員さん、子育て相談員さんに、話したこともありました。

私は声をあげて感情をあらわにし、人生で初めて第三者に助けを求めました。


そんな中で、ふと思うことがありました。

「ああ、私、お母さんと同じ立場にたってる。…こんなに辛い思いをしてたんだ…。」

「もし娘が障害を持っていたとしても、娘は何ひとつ悪くない!……あれ?これ兄にも同じことが言えるんじゃ…」


そうです。私が行きついた答えは

「誰も何も悪くなかった…」

ということでした。

複雑な家庭環境に育ち、厳しい社会環境の中で、必死に発達障害の兄を育ててきた母も、障害を持ち、自分なりにもがいて懸命に生きてきた兄も…。

その衝撃的な答えに気づいた瞬間、頭の中が白くなり、どっと涙が溢れてきました。

それは懺悔や後悔の気持ちではなく、私の怒りのやり場がなくなったことを、理解したからでした。

自分自身がわからなくなるほど、ずっと頑張ってきた…。

その長年の頑張りは、強い怒りに変わっていました。

二人を恨むことで、私はその怒りをやり過ごしていたのだと思います。

しかし、二人を自分の中で悪者に出来なくなった今、恨むことの意味はなくなり、ただだだこれまでの自分の頑張りだけが虚しさを増していきました。


困った私は、そのまま自分の感情を夫にぶつけます。

そしてこれからどうしたら良いのか?と聞きました。

夫は静かにこう答えました。

「自分が頑張ってきたことを、自分でたくさんほめてあげよう。そして、楽しいことや嬉しいことを、これからどんどんして行こう」

始めはぼんやりとしか受け止められなかったですが、今はこの言葉の意味が理解できます。


周りに合わせて生きてきたことで、確かに自分のない虚しさや悲しさ、怒りはあります…。

でも、そうすることで愛されたかった、また自分自身を守ってきたんだということ、それも大事な事実です。

これまでの自分を否定するのではなく、よく頑張ってきたね、あなたは凄いよ、と自分をハグして愛してあげたいと、今はそう思います。


そして自分が喜ぶことや嬉しいことを、たくさんしてあげたいと思うようになりました。


「自分の一番の理解者になって、自分を幸せにしてあげること。」


それがこれからの私の目標になっています。


(ちなみに娘は現段階では、目立った発達の遅れは見あたらなくなりましたが、今後の検診で何かしら分かることがあるかもしれません。

ただ彼女は毎日保育園でたくさんのことを経験し、毎日を力いっぱい生きています。)



…長々と書いてきましたが、最後まで読んで下さってありがとうございました(*^_^*)…!

これで一旦終了したいと思います。

これからまた日々の生活で気づいたことなど、書きつづっていきたいと思います。…