生きとし生ける者、みんなが日光を必要としている。うつ病には日向ぼっこが効く、という趣旨の文章を読んだことがある。まぁ私は医者ではないから、病気にどう効果があるのかは想像もできないし、真偽のほどはわからない。でも自分としては、柔らかい日差しを受け止めているとき、ストレスがほどけるような感覚を味わう。地球に太陽光が届いて最初の生命が誕生したわけだし、日光はやっぱり生きていくのに必須なのではないか。
 いそがしい現代人に日光浴をさせるために洗濯という家事があるんじゃないかな、そんな気もしてくる。
 
 
 
     山崎ナオコーラ 『むしろ、考える家事』 より
 
 
 
洗濯は比較的好きな家事だ。
洗濯機に洗剤を入れて泡が立つ様子も好きだし、洗濯物をポンポン投入していくのも好きだし、今はできなくなったが、洗いの時間は洗濯機の蓋を開けてグルグル回っているところを見ているのも好き。
そして、汚れていたものが全部綺麗に洗い上がる結果、すばらしい。
 
 
でもなんといっても洗濯の醍醐味は『干す』ときだと思う。
 
 
もちろん快晴、確実に数時間で全ての洗濯物が乾くとわかっている日の『干す』作業は、お日様と自分を、洗濯物が繋いでいる、というか、洗濯物がなければあえてお日様に当たるようなこともしないので、山崎ナオコーラさんの言うとおり、洗濯は人に日光浴をさせるためにあるのかもしれないと、本当に思う。
 
 
 
賛否ありそうだが、私は朝洗濯を干すまでは夏でも日焼け止めは塗らない。
朝日で体内時計が整うとか、ビタミンDの生成とか、そのあたりの理屈もあるけれど、とにかく朝の光は直に浴びたいと思う。
 
 
 
 
山崎ナオコーラさんはこの本で、家事の付加価値というか、家事を家事で終わらせず、その中で思考を発展させたり、外で働いている人たちが羨むような意味あることにしたいと言っている。
 
 
家事って、生産性のない、毎日同じことを繰り返しているだけの、外で働くより価値の低い、つまらない作業だと、みなにそう思われているものなんだと。
 
 
 
そういう考えもあるのだろうけれど、家事は家事のままで十分、価値があるし、人を成長させると思う。

山崎ナオコーラさんがなんだか焦ったように「家事の価値を上げなければ」と言うのは、若くて、現役バリバリで仕事をしているから、家事の時間がもったいなく感じて、それをできれば仕事の時間に当てたいと切実に思っているからか。


誤解していないつもりだけど、誤解されるかもしれない表現があって、ちょっとヒヤヒヤした。
 
 


 
ランキングに参加しています
よろしければバナークリックをお願いします

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ