病棟の出口から廊下の曲がり角まで行って、振り返ると、ドアのガラス越しに、父は母を指差して口だけ動かす。『オバサンハ』、腕を伸ばしぐるっと大きく円を描いてから人差し指を立て『セカイデイチバン』、くるくる頭を撫でる動きを『カワイイオバアサン』、上下に摩る手つきをして『セナカヲノバシテアルキマショウ』。それから大きく手を振った。

 

 

 

            内藤啓子 『枕詞はサッちゃん』 より

 

 

 

 

「阪田寛夫」という名前だけでは相手には伝わらないことが多く、「童謡『サッちゃん』の詩を書いた」という『枕詞』がつく父のことを、長女の内藤啓子さんが、おそらく少し家族内自嘲?のようなものを込めてタイトルにされているのだと思います。

 

 

 

内藤啓子さんは阪田寛夫さんの長女であり、元宝塚の大浦みずきさんの姉であり、母方の叔父が『サッちゃん』の作曲家大中恩さん、その大中恩さんのお父さんが同じく作曲家で『椰子の実』の大中寅二さん、幼馴染が阿川佐和子さんなど、親族や親しい人に有名人(枕詞は必要でも)がとても多い。

 

 

 

 

お母さまと阪田寛夫さんは幼い時から近所付き合いをしていたとのこと、特にお父さまの阪田寛夫さんの方の求愛が強く、結婚に至ったそうだ。

 

 

 

愛情は強く深かったようだけど、あの頃の父親の多くがそうであったように、また、創作の仕事というのもあって、家の中では家族を振り回しがちで、夫婦喧嘩も絶えないので、いつか離婚するであろうから子どもたちにも両親のことを「オジサン オバサン」と呼ばせていたくらい。

結局離婚には至らなかったけれど、呼び方はずっとそのままだったという。

 

 

 

 

「サッちゃん」のような詩からは想像もつかないが(でもあの2番3番に向けて湧き起こるかなし

みの先にあったとしたら・・と考えなくもない)、創作の苦しみというのははかりしれなく、晩年は鬱病と闘っていた。

    

 

精神科に入院している時、内藤さんがお母さんを連れて行くとお父さんが嬉しそうにして、帰り際の様子を描かれたのが上記の部分だ。

 

 

 

 

お母さんは認知症で、よくわからなくなるとお父さんにも優しいが、ふとしっかりすると急にお父さんにキツく当たっていたという。笑

 

 

 

家族を振り回し、多くの迷惑をかけたが、病気で苦しみながらも妻への強い思いを、子どもの前であっても大きな手ぶりでしめす。

それで帳消しにはならないけれど。

いい思い出だけが残るわけじゃないけど。

 

 

 

内藤さん自身もお父さんと激しい言い合いを繰り返していたが、亡くなったあと夥しい数の書物や原稿や手紙(出す手紙のコピーも取っておく人だった)を整理しながら、阪田寛夫という人をさらに「しょうがない父」「それでもやっぱり自慢の父」との思いをより深めたのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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