先週末、カウンセリングの後

1年ぶりに大学時代の友だちに会いました。

 

 


 

彼女とは大学時代はそんなに一緒にいなくて

お互いに結婚して子どもができてから連絡を取るようになって

今に至ります。

沖縄出身で、大学で上京して

しばらくこっちで仕事をしたけど結婚と出産を機に

沖縄へ帰っていました。

 

 

彼女とはどんなに場所も時間も離れていても

会った途端に距離がなくなる…

そんな心地よくて安心できて温かい関係です。

 

それでも、他人軸な私でしたから

彼女と話していても彼女に合わせようとしていたし

会話そのものを本当の意味で楽しめていませんでした。

 

 

 

彼女には今の状況やいきさつをありのまま話しました。

すると、彼女も育った環境のことなど話してくれました。

今までに増してありのままを話せたし

ありのままの私でいられた気がしました。

 

 

 

ここからは笑い話半分w

最近、VIO脱毛に興味があって彼女に聞きました。

そこで脱毛する前にアソコの処理はしているのか?聞いてみると

自分で処理をしてから行くということでした。

 

 

私…実は自分のを見たことないんです。

わざわざ見る機会もなかったし

なんだかあんまりキレイなものじゃない(っていうのも失礼よねアセアセ)から

敢えて見たくなかった。

 

 

それを彼女に言ったら

ニヤリ「やっぱり復帰は早いなって思ったよ」

続けて

ニヤリ「自分の体で見れないところってある意味自分を許せないってことじゃない?

そういうところも含めて自分を愛するというか…だから見た方がいいよ(笑)」

 

 

おおおお~!!!

なんかいろんなことが辻褄合った感覚でした。

 

アソコの処理から紐解かれるとはwww

 

 

私はなんだかんだと

人や物事の陰の部分=ダメ、悪しきもので

なるべく見たくない聞きたくない言いたくないって感じでした。

いつも菩薩のような人でいたいと思っていました。

 

例えば、子どもたちに怒ること=悪いことと思って

なるべく怒らないようにしてきました。

怒らないけど、私が本当に言いたいことが言えないし伝わらない。

イライラして子どもたちにぶつけたい時だってある。

でも、なるべく波風立てずに穏やかな私=陽の部分、真っ白な私しか出していなかったんです。

 

 

 

これってどんどん辿っていくと

陽(白)の私は良くて、陰(黒)の私はダメ

そして、他人の陰の部分(悪いところだったり自分と合わないところ)はダメで許せないってことなんですよね。

 

 

許せないことがあるってすごく不自由だし苦しい生き方。

安心して、自由で豊かな生き方ってジャッジしないってことなんじゃないかと思います。

白も黒も、陰も陽も、本来私にも…誰にでもあるものなのに

無いものにしようとするから苦しいんだ。

 

 

 

そうだ、アソコ見ようwww