358-私には名前が沢山ある | ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ

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108 「私には名前が沢山ある」        1601字

 「家の名字を変えてくれ」と、いう子供だった。

小学生5、6年生の頃、親父によく、文句を言っていた。

私の名字、上園田は、長くて、読みにくいらしく、

「カミソノダ」と呼ばれたり、上を抜いて「ソノダ」、

田を抜いて「ウエソノ」、勝手に、ウエをシモに変えて

「シモソノダ」と呼ぶ人もいた。

あまり関係のなさそうな「カミソカベ」とも呼ばれた。



昔は「盛」と呼びやすい名前だったが、昭和の始に

小野津村全家族が2字姓に変えた。

その時、私の家のある地域名がソンター((園田)と呼ばれていた。

村の人達は私の家のことをソンターと呼んでいた。

私の家はそのソンターの一番上にあったので、

ウィンソンター(上園田)と呼んでいた。

それで私の姓はそのまま、上園田になった。

3字の姓になってしまったのである。



このややこしい3字の姓が私を困らせた。

自分の姓名を間違って言われると、

あまりいい気持はしなかった

。俺はカミでもシモさんでもない、カミシモでもない

上園田だという立派な苗字があるのですと、

心の中で反発していた。故郷喜界島で、

こんな様子だったから、聞いた事もない長くて読みにくい

名前は大阪に来てからは夜も昼も上園田という苗字と戦った。

夜は市岡高校(夜間部)で、昼間は働いていた大阪電通で、

間違いの苗字をを呼ばれ続けた。



 ところが大阪の商売人の社会は違った。

21歳で商売を始めた私は、仕入れによく船場に行った。

大阪の商売人は名前の愛称で呼ぶ人が多かったから、

問題は少ない。番頭ハンの由さん、丁稚の左吉ドンと、

短く呼ぶ習慣からだろうか。

上園田という名字は言いにくいさかいに、

「徳さん、徳さん」と呼んでくれた。

うちの嫁はんまでが、他人を呼ぶみたいに、

「徳さん、徳さん」と呼ぶ。

これは他人が聞いたら、少し変な気持ちが

しまっしゃろうと思います。

その通りです。

あるお客さん人が聞きました。

「あんたの嫁はんまでも徳さんと呼ぶのですか」。

でも慣れとは怖いもので、今は「徳さん」と

呼ばれんと逆にワイが変な気持ちになります。

徳さんが本人で、苗字の上園田は少し他人に
なったような気がします。

 

ところが徳さんは日本人社会だけで、

アメリカ人にはトム(タム)と呼ばれています。

大工さんの時はほとんど毎日アメリカ人経営の

材木屋へ材木を買いに行ったが、「徳さん」とは

なかなか覚えてくれまへんでした。

毎日会っている人に自分の名前を覚えてもらえないのは

淋しいことでもありました。

難儀やなあでした。

ロスでは日本人のお客さんがほとんどだったので、

12年間”徳さん”で通しました。

シアトルへ引っ越したら、アメリカ人のお客さんも

増えたので、とうとうトムという名前にしたのです。

そしたら、なかなか私の名前を覚えてくれなかった、

アメリカ人が一発で”トム”と覚えてくれるのです。

名前を一発で覚えてもらうのはうれしいですねえ。

郷に入れば郷に従えです。



 私は他に呼び名がまだまだおまんね。

よう考えてみたら、いろんな職業を変える毎に

私は名前も変わりましたなあ。

若い時に大阪で商売をしていた時は役者を

思い出させるような二枚目の名前でした。

この名前は、会って初めてのお客さんをどうして笑わそうかと、

苦労して考えた名前です。

商談は笑いの中で決まると信じていたからです。

初めてのお客さんから電話がかかってきますと

「ハイ、男前の徳さんです」と言うと電話の向こうの

お客さんは大笑いするのです。

お客さんを笑わせたら、もうその商売は90%成立と思っています。

だから、電話帳にも“室内装飾業「男前の徳さん」”

と登録しました。

お蔭さんで、仰山儲けさせてもらいました。

そして、ほんまに男前にもなったように思います。

名は体を現すとはほんまでんなあ。



 ロサンゼルスでは英語が出来ないから、

大工になったさかいに、男前の徳さんではあきまへん。

色男、金と力はなかりけりで、男前が大工仕事はできまへん。

大工は四角い柱のような固くて、

丈夫そうな男でないとあきまへん。

ワイの名前も、四角、硬く、強く、材木のように最後が

”く”の字が付く「大工の徳さん」とも呼ばれてきました。

お蔭で、ワイの作った、障子、茶室は丸はおまへん、

四角い障子と四角い茶室ばかりです。



 そして今度、病で倒れて、大工ができなくなり、

エッセイの勉強をして本を出しましたら、本の名前が

「フリムン徳さんの波瀾万丈記」」になりました。

これは文芸社の編集の方が、私の本の内容から考え出した名前です。

「フリムン」とは喜界島、奄美大島、沖縄方面の言葉で、

“後先を考えないで行動をする人”“よく失敗する人”

“憎めないばか”“あわてもの”“アホな事をする”と言う人の意味です。

私のエッセイが始めて入賞した時の審査員、

サンフランシスコのある大学院の教授は“フリムン”とは、

アホよりもバカよりも古い日本語だと調べてくれました。

フリムンには長い歴史があるのです。

この「フリムン徳さん」という名前も、喜界島、大阪、

パラグアイ、アメリカと50以上の職業を変えながら、

渡り歩いた64年の中に、もがき苦しみ、泣き、笑いの人生に

頭を振り絞って知恵を出し、身体でぶっつかって乗り越えて

きた唸るような歴史から生まれたのだと思います。



 親がつけくれた名前、お客さんがつけてくれた名前、

職業がつけてくれた名前、いろいろありましたが、

フリムン徳さんが一番気に入っています。

病で倒れるまでフリムン人生を、がむしゃらに頑張って

きた人生ですから、ここらでフリムンになって、のんびりと、

空の雲に向かって口笛を吹きながら、

お月さんに「今晩は寂しいねえ」と話しかけながら、

草木にも「早く大きくなれよ」と話しかけながら、

自然を相手に、フリムン人生をエッセイや詩にまとめながら、

「エッセイの達人」を目指して我が道を行こうと思います。