聖書箇所(新約聖書 ペテロの手紙 第一 2:11~25)の要約

クリスチャンは肉の欲を避け、立派に振る舞うべきです。
人が立てた制度に主の故に従い、自由な人として、神様の僕として従わなければなりません。
善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、神様に喜ばれます。
イエス様も私たちのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと模範を残されました。

 

 

【御言葉から】

私たちは、世を離れて生きることはできません。
それ故、ペテロは、例え寄留者や旅人として生きていても、世に留まっている間のクリスチャンの生き方について教えます。
私たちクリスチャンは、何よりも肉の欲を制して立派な行いをするべきです。
世が私たちの正直で立派な行いを悪く言っても、私たちが立派な行いを続けるなら、最終的に世さえも神様をあがめるようになります。
また、国家との関係における適切な基準を定めなければなりません。
全てのことに於いて「主の故に」を選択基準とし、主が願われる良い行いをし、「神様の僕」として行動するべきです。
私たちの善行は、生き方をもって示す福音なのです。
ペテロは、僕の状態で召しを受けたクリスチャンたちに勧めます。
全てに於いて「敬意を込めて」主人に従い、自分に有益な人だけでなく、そうでない人にも従いなさいと言います。
不当な苦しみを受けながらも、「神様の御前に於ける」(コラム・デオ、Coram Deo)良心の故に耐え忍ぶなら、その姿を神様は喜んでくださいます。
ペテロは、召しの状態や状況がどうであれ、クリスチャンとして「神様の御前に」相応しい態度を取ることが重要であると強調しています。
それが私たちのために苦しみを受けて自ら「模範」を示されたイエス様の足跡に従う道です。
「自分の魂の牧者であり監督者である神様」の下に帰って新しい存在となったクリスチャンは、世とは異なる基準で生きていくべきなのです。

 

 

【祈り】

取るに足らない私の人生を十字架によって贖い、尊い人生に変えてくださった主イエス様に感謝します。
世の安楽から遠ざかり、苦難が続いたとしても、イエス様に従うことができるように助けてください。
神様を畏れ、良い行いに励み、イエス様様に喜ばれる真実な僕として生きられますように。

ワクチンとは言えないコロナ毒チンや地球温暖化、LGBTQ、昆虫食など、反キリストのサタニストどもの悪巧みが主イエス様の時に暴かれ、阻止され、裁かれ、罰せられますように。
一人でも多くの方が主イエス様と出会い、罪の悔い改めに導かれてイエス様を信じ罪赦され、救われますように。
主の御心がなりますように。 ナザレ主イエス・キリスト様の御名で祈ります。アーメン!

 

お友達の「すぅちゃん(https://ameblo.jp/suchanroom)」からお借りした絵です。