3月12日は、『ビートン夫人の家政読本』で世界的に知られ、現代でも刊行されているハウスキーピングや料理レシピ本の編集者ビートン夫人事、イザベラ・メアリー・ビートンが生まれた日。(1836年3月12日 - 1865年2月6日)史上最高のロングセラーとされている本。

 

 

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ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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【生い立ち】

イザベラは、ヴィクトリア時代にロンドンのチープサイドに生まれた。父親はジョン・メイソンと言い、新興中産階級に属する乾物商であった。が、父ジョンは、イザベラが五歳の時に死に、寡婦となった母は、その後、裕福な印刷業経営者、ヘンリー・ドーリングと再婚。

やがてイザベラは、イギリスの寄宿学校を卒業後、ドイツのハイデルベルクの寄宿舎学校に入り、フランス語、ドイツ語、さらにピアニストになれるほど腕前を持つピアノの技術を身に付けた。このドイツ留学時代に、料理を覚えた。

帰国後まもなく、ロンドンで非常に目端の利く、しかも進歩的な考え方を身に付けたサミュエル・ビートンという青年と婚約する。

 

【編集者として】

そうして、サミュエルは21歳の時からクラーク・ビートン&カンパニーという出版社を経営、ハリエット・ビーチャム・ストウの『アンクル・トムの小屋』が大ベストセラーになり、会社の経営も順風満帆だった。結婚してまもなく、妻に雑誌のコラムを任せるように。

最初は料理のレシピの紹介を雑誌の付録のコラムとして発行していたが、やがて1冊の本になるとこれがベストセラーとなり、中流階級の主婦たちがこぞって買い求めたそう。

 

【ビートン夫人の家政読本】

「英国婦人家庭雑誌」一ヶ月に2ペンスという穏当な値段で、料理裁縫などの実用記事から、詩・小説などの文学分野、そして歴史記事や一般教養に属するようなあれこれのこと、医学記事もあれば、作文コンテストも掲載する、果ては「キューピッドのお便り袋」と題した人生相談に至るまで、盛りだくさんの女性雑誌だった。「いかにして家を切り回すか」ということを教える百科全書的な本があれば、家庭婦人たちにとっては非常に大きな助けになるに違いないとビートン夫人は考えたそう。

雑誌は順調に部数を伸ばして1860年までには五万部の発行を誇るメジャーな存在となっていった。

 

【出産で命を落とす】

ビートン夫人は執筆と編集の仕事をしながら、長男を出産、生後間もなく長男は病死。次男も続いて亡くしますが、1863年に誕生した三男のオーチャートは健やかに成長した。その後も1865年に多忙な仕事を抱えながら、四男メイソン・モスを出産するも、今度はビートン夫人が産褥熱で早世。享年28歳。

が、その名は160年以上たった今もイギリスで知らない人がいないほど家政本として認知され、出版されている。

 

 

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