本を片づけていたら、以前に読んだ高橋是清の『是清翁遺訓』が出てきた。パラパラとページをめくっていたら、目に留まった文章があった。

今回は、その『是清翁遺訓』から尊王攘夷論の根底、人格の感化について触れている文章を紹介してみたい。

「維新當時の青年達は、現今の若い人達に比べて見ると、馬鹿馬鹿しいまでに、律氣者(律義者)ばかりが揃つてをつた。融通が利かなかつた。しかし、彼等の間には、何物を以てしても、斷じて動かすことの出來ない、一個の信念がひそんでをつた。熾烈なる尊王の思想が、彼等の生活のすべてを支配して、脈々と活氣づけてゐた。」(79頁)

「尊王攘夷論は、たまたま彼等の元氣を鼓舞した、一つの作用はなしたであらうが、その元氣の根底となつたものは、他にある。卽ち、それは、維新當時における、漢學の教化、孔孟の道德教に帰さねばならぬと、吾輩は考へる。」(80頁)

「今日において、師弟の情誼をくりかへすことは、いさゝか時勢おくれのそしりが、あるかも知れん。しかし、教育の本旨は、徹頭徹尾、人格の感化に基する。」(80頁)

「あの當時の教育界には、何等整然たる組織はなかつた。しかしながら、一貫して誤らざる人格の感化力が横溢しておつた。」(81頁)

再読には、いつも新たな気づきがあるものだ。

〈出典〉『是清翁遺訓』(髙橋是清述、昭和11年、三笠書房)