今朝方、殺陣師として知られている山野亜紀さんが、夢の中に出てきた。彼女はひたすら真剣に刀を振り回していた。私は目が覚めて、夢について、ぼうっと考えていた。

すると、ふと“綿貫警視”のことを思い出した。以前にも紹介したことがあるけれども、しばらく前のことなので、あらためてこの“綿貫警視”のことを紹介してみたい。佐倉孫三の『徳川の三舟』(昭和10年)にある話だ。

ある日、綿貫警視が鉄舟邸にやってきた。その際、剣道についていろいろと話をしていたようだ。その話は激論となったようで、話は意外な方向に向かった。鉄舟は「余の骨を切れ」と。少々長くなるけれども、原文のまま文章を引用してみたい。
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「綿貫警視は筑後柳川の人、體軀魁岸、頗る擊劍を善くす。一日鐵舟を訪問し、劍道の談を爲すに、符合せざる所あり、言稍や激に渉る。鐵舟從容として曰く、今子の所見と余の所見と合はざること斯の如くなるは、畢竟坐上の空論、圃中の水鍊に過ぎざればなり。寧ろ眞劍の仕合にて其論の孰れか實地に近きかを確むるに若くはなかるべし。子も余も同じく劍客の一人なれば、孰れか死傷しても、此道の爲めなれば詮方なし、子は余が骨を切れ、余は子の皮を切らん、速かに仕度せられては如何と。眞面目になりて申掛ければ、流石の警視も困じ果てたる樣子にて、言を左右に托して辭し去り、後日人に語て曰く。稽古は兎も角、眞劍では鐵舟には危ぶなし危ぶなし」
(佐倉孫三著『德川の三舟』昭和10年刊より)