後編です。
注意事項は前編と同じです。
特にネタバレ知りたく無い人は
そっとここで閉じてくださいね。


















兵庫公演の後 
自分なりに少しだけ物語の意味を調べたので
2回目の観劇となった静岡の大千穐楽は
また違った感度で観ることができました。

最初から落ち着いて観れましたし
各シーンの意味や
兵庫では気づかなかった細かいやりとりに
さらにじっくり目をむけることができました。


メアリー2のロブスターってある国では不老不死の意味があるらしいですね。
メアリー1も老人の被り物で出てくることで
老いや命の限りというメッセージ性を感じました。
それは老人ジョンという存在にも繋がるような気も。


そしてメアリー2が扉を開ける度に吹き荒れる強風。

ジョンにとってもメアリー2にとっても
外の世界=社会は
逆風の世界なのかもしれません。

ジョンはその扉を開けることも風をあびることもない代わりに
閉鎖的な空間でおそらく一生を過ごす。

対してメアリー2は外から来た俳優を生業とする人。
芝居を仕事にして子供パーティーにも精を出す。
だけど扉を開け閉めするする度に吹かれる社会の風は
衣装をはぎカツラをはぐほど当たりが強い。

だからこそメアリー2は
戦う立場に居ないジョンに心から寄り添うよりも
ビジネスライクに部屋を出る。

弱っている人に必要以上の時間を割いていては
強い風の中で自分の人生を作れない。
それが外の人の生き方。


そんなふうに私は捉えました。


でもメアリー1はジョンの側にいることを選びましたね。


静かに2人で手を繋いでただ座るあたたかで静かなラストシーン。
ジョンは最初からそれを望んで生きてきたんですよね。

ただ隣にいてくれる人。
そういう人を赤ちゃんの頃から求めてきた。

泣いても叫んでも暴れても
その分量と同じくらい孤独が救われることは決して無かった人、
それがジョン•ケイン。

ジョンはたった1人の揺るがない
唯一裏切らない安らげる人が欲しかった。




これって果たしてジョンだけでしょうか?




ジョンと同じように
今この瞬間この現実の世界にも
同じ気持ちを抱えている人がいるのではないでしょうか。

その場所は同じように病院だったり
戦地だったり
あるいは都会の賑わいの中だったり。


私たちの知らない場所
見ようとも理解しようともしない空間の中、
世界に忘れ去られた侘しさと虚しさを持ちながら
必死に生きている人たち。

 


それはあなたでもわたしでもある。


そんなことを
考えずにはいられませんでした。



あと設定に対しての見方として。


メアリー1と2は本当に実在する人達なのか?
ジョンの頭の中の人達?
それとも夢の中の人達?
とか。

ヘッドホンをつけて俯く時は眠ってるの?
起きてるの?
とか。

いろんなものが混ざった世界で
どれが夢か現実かはっきりしないけれど
ジョンという人間だけは確実にいる
その事実だけあるのかなとかも考えてました。



そして何気に印象に残っているシーン。
それはジョンが薬をもらい飲んで
舌をベーッてして残ってませんと見せるところ。

これ、別の作品でもありました。
作品といっても小説なのですが
同じように精神病棟の話で
その話にも患者が薬を飲んで舌を見せる描写があります。

メディスンでは題名が薬なのに
この飲んで舌を出す場面が一箇所しかなく、
しかもさらっと終わる。


私はここにこの世界の日常を感じました。


取り立てて長引かせるほどでも無い場面だからこそ
ジョンにとっては当たり前の毎日で
別に特別なことではないのだと。


ジョンの過ごす世界をひしひしと感じる
些細な、でも重要だと感じるひとコマでした。


見落としてしまいそうな場面でジョンが服用する「薬」

そのタイトル。

 

人を癒すのは与えられた薬なのか。

心から求める祈りに穏やかに愛を注ぐことなのか。

 

心を治せる唯一無二の薬ってなんなんだろう

と深く考えさせられるお芝居でした。






ということでながーい感想でしたがw

あーまた観たくなってきたなあ〜
テレビ放送だけでなく
DVDかBlu-ray化してくれないかなあ〜
と観終わってから今この時もずーっと余韻に浸りっぱなしですw

でも他の作品もだけど
基本的にはその場限り
その空間でしか観れない一回一回だけのものだからこそ
舞台って意味があるんですよね。


生で観るお芝居の魅力を再確認できた
幸せな兵庫&静岡でした!



それではそれではまた次回ハリネズミ