天草とれたて市場を出て、次は普通に公衆トイレのある駐車場と思いきや、
長部田海床路
ってなんだと見て見ると
朝はこんな感じで、海の中に道路消えてます。
すごい。
さて、エンジンの挙動がおかしい。
振動が大きくなったのです。AIに相談すると、プラグかとか、エンジンを支えるマウントとか、あとは、エンジンオイルがなくなってとか、色々教えてもらいました。なので、その日は、自動車整備工場探しをしました。
近いところから、一つずつあたります。
4件目で、その日見てもらうことに。
帖佐(ちょうさ)モータースさんにお世話になります。見てもらった結果、やはり、プラグ関係とのこと、しかし、今日の今日は直せず、福岡に製品の発注しないといけないので、次の日になると言われました。これをメーカーに聞いて見ると、検査だけで、3日、修理に3日、約一週間みないとといわれました。なので、帖佐さんに頼ることに。
次の日、材料は、来ましたが、夕方になったので、夜は運転したくないので、もう一日お世話に。そして、帖佐さんのお孫さん達6人の似顔絵を修理してる間に。
あおとくん
その他も、女の子三人、あと女の子のような男の子ともう一人男の子。
気に入っていただければ幸いです。
そんなこんなで、次の日、熊本名物の晩白柚(ばんぺいゆ)をいただきました!いや、お世話になったのわたしなんですが、、、。
おわかりだろうか、、、うちの液タブのワコムペンと比べると、、、デカい!
とにかく、誠心誠意、すごくよくしてもらえて大感謝なのに!更に、こんなすごいものまでいただいて、、、ありがとうございます!
そして、今日は熊本城へ!
やはり、地震の影響で、至る所、石垣が崩落してます。
そして、現在、熊本城本丸まで、改修にあたり、余計なとこに入って欲しくないのもあり、便利な回廊が設けられております。この回廊を歩けば勝手に本丸に行けちゃう。逆に攻城戦というか、登城の楽しみは減るのですが。
あの、角の石垣だけで持っていた飯田丸はどうにも直せないということで、一旦解体、あの角の石垣は、あのままガッチリ固めて保存しているそうです。
そして、攻城戦の際、行手を阻む為の枡形といお城の部分があるのですが、これが、連続している!珍しい場所。ってか、攻め辛すぎでしょ。
そんで、また、数寄屋櫓も石垣だけ崩落
その先を行くと見えてきました。
熊本城。
そしてお分かりだろうか
石垣が足されているし、角度も違うってなやつです。面白い!
さてつきました。本丸。大天守。
かっこいいですね。
この大天守は、自身で本体はそれほど影響なかったようです。というのも、地盤に杭打ちしてその上にあるからです。が、となりの小天守は、石垣の上だったので、いろいろあったようですが、とりま、中には入れます。
中は、耐震用absorber(吸収材)のすごいのが鉄骨と共にひっついてました。
なかは、穴蔵から、五階まで、時代の遍歴ごとに区切った展示になってます。
ここは、もともと、隈本城という古城があり、そのあと、別の場所に加藤清正が建てたものです。
元は、あの佐々成政がいたのですが、内政失敗で切腹!のちに、清正に譲られた土地です。
加藤清正は荒くれっぽいイメージもありますが、信長の野望では、使えまくる。軍事も内政も見事にこなす有能武将です。
最上階からの見晴らしはいいですね。
それにしても、歴史をみていて思ったのですが、どうやら、地震は結構あって、この熊本城も何度も修復したり、また、西南戦争でぶっ壊れたり、、、うーん。もう建てなくてよくね?って思いました。それくらい。なんどかぶっ壊れてる。あの江戸城でさえ、もう、本丸作らなかったのに。見栄っぱりなように感じました。九州は火山が多く、いっつも揺れてるんだから、こんな高層な城でなくていいじゃんと。ひとり、そんな風に
おもいながら、城を後にしたのでした。あ、そういえば、日本人より、中国人多かったのはなぜだろう?
帰りがけ、加藤清正像発見。
そして、今日は、その後、熊本港へ。