兵どもが夢の跡
久々に実家に帰った。
我が部屋には、3枚の騎手サイン入りポスターが飾られている。
その内、2枚に写っているのが『グラスワンダー』。
私の一口馬主募集馬の申込検討時に、まず最初にみるのがモーリスでいい仔がいるのか否か。
今まで、カスティーリャ、ウィズザベスト、レガラール、ディオファントス、アルガムベイの5頭に出資をしている。
モーリスも、父スクリーンヒーローも、現役時代好きな馬であったが、全ては大好きなグラスワンダーの子孫であったから
そんなグラスワンダーの現役時代について、振り返ってみたい。
私が競馬を本格的に観始めたのが、1997年秋から。
古馬はバブルガムフェローや女傑エアグルーヴ、マーベラスサンデーがトップグループを形成し、3歳世代は2冠馬サニーブライアンの故障離脱で、マチカネフクキタル、メジロブライト、シルクジャスティス、牝馬はメジロドーベル、キョウエイマーチなどが凌ぎを削っていた。
中学3年の頃、ダビスタにどっぷりハマっていた私は、競馬好きだった父に観戦をねだり、1997年11月23日のジャパンカップ(以下、JC)を観に東京競馬場を初めて訪問。
バブル、エア、シルクの日本勢が海外勢を迎え撃ったが、英国馬ピルサドスキーに力負け
ピルサドスキー強くねしかも、こんなに強い馬でも、凱旋門賞は2年連続2着で勝てないという・・・エリシオ、パントルセレブルて何者よ
海外のレベルの高さをまざまざと見せつけられ、衝撃を受けたレースとなった
◇1997年12月7日/朝日杯3歳S(GI)
そんな時代背景の中、JCの2週間後の2歳マイル王者(当時の3歳)決定戦。
既に2着以降を突き放すレースぶりで怪物の異名を持っていたグラスワンダーが、当時の2歳レコードの1.33.6という衝撃タイムで、4戦無敗でゴールを駆け抜けた
強いこの馬なら日本馬初の海外GIも獲れるのではないか
JCで海外馬のレベルの高さを見せつけられた後だけに、そんな夢を抱ける馬の出現に心が躍った。
このレースで、私はグラスワンダーという馬に魅了されていくのである
レース後、翌年はNHKマイルC参戦と海外挑戦が発表されていた。
夢と希望に満ち溢れたまま、1997年は幕を閉じた。
翌年の年初、1997年の年度代表馬の投票が行われ、2歳馬ながら10票もの投票がされた前代未聞
それほど、当時の日本競馬界におけるインパクトの大きさを示すエピソードである。
◇1998年3月15日/グラスワンダー骨折判明
1998年3月、まさかの右後脚第3中手骨の骨折が判明し、春を棒に振ってしまう
この時の関係者、日本競馬界、私を含めたファンのショックは如何ばかりか。
しかし療養の間、ニューヒーローは次々と現れるのである。
グラスワンダーはそれらをただ蹄をくわえて眺めているだけであった。
◆クラシック世代は、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイローが3強を形成。
◆外国産馬は、エルコンドルパサーがグラスワンダー主戦の的場騎手を背に、無敗でNHKマイルCで制覇。
◆日本調教馬悲願の海外GIは、シーキングザパール、タイキシャトルが2週続けて優勝。
◆中距離路線はサイレンススズカが逃げの戦法で圧勝を続け、宝塚記念を5連勝で優勝。
◇1998年10月8日/横浜ベイスターズ38年ぶりリーグ優勝
◇1998年10月10日/毎日王冠(GⅡ)
最強馬は誰か
競馬ファンの間でそんな論争が巻き起こっていた。
5連勝中の春のグランプリホースサイレンススズカか
5戦5勝の3歳マイル王者エルコンドルパサーか
そして4戦4勝、2歳王者の栗毛の怪物グラスワンダーか
誰が一番強えーのか、ターフで白黒はっきりさせりゃいいじゃねえか
そんな夢の対決が行われたのが、
横浜ベイスターズ優勝の2日後の10月10日、今でも語り継がれる伝説の1戦、GⅡ毎日王冠であった。
この世紀の1戦を見届ける為に、
驚愕の13万人
後にも先にも、こんなに盛り上がったGⅡは見たことが無い
ちなみにエルコンドルパサーとグラスワンダーの主戦だった的場騎手はこのレースでどちらに騎乗するかの選択を迫られ、断腸の想いでグランスワンダーの騎乗を選択し、エルコンドルパサーには蛯名騎手の騎乗が決まった。
勝負の結果は、、、
衝撃だった
あのグラスワンダーが、あのエルコンドルパサーが、
影をも踏めず敗れた
(※影踏めた、踏めてない、という論争はあったが)
中距離最強はサイレンススズカ
骨折明けながら4コーナーから仕掛けサイレンススズカを自ら捕らえ勝ちに行ったグラスワンダーは、復帰戦で5着。
上り最速の脚を繰り出し、もう少しで影を踏むところまで追いつめたエルコンドルパサーが2着。
共にあっぱれな競馬で、十分に強さは見せつけてくれた
◇1998年11月1日/天皇賞・秋(GⅠ)
1980年代終わりから90年代前半、F1の中心はアイルトン・セナであった。そんなセナは、1994年5月1日、イタリアでのレース中の事故によりこの世を去った。
「音速の貴公子」の異名をとったセナは、38年という短い人生を音速で駆け抜けたのである。
同日、遠い日本・北海道の地で誕生した牡馬。セナの意思を引き継ぐがのように生まれたのが、同じく「音速の貴公子」として後年日本競馬界を熱狂させたサイレンススズカである。
平成11年11月1日、1枠1番サイレンススズカ。単勝オッズは1.1、、、とはいかず1.2倍だったが、1番前を走り、1番最初にゴールを駆け抜けると、誰もが信じて疑わなかった。
超大逃げで、1000ⅿ通過が57.4というハイペースを刻み、それでもスズカにはマイペースと思われるほど気持ちよく逃げているようにも思えた
しかし、映し出された映像で、脚がガクッとなったのが分かった。
競走中止—。
訪れてしまった沈黙の日曜日・・・
安否が不明のまま、競馬中継は終了した。
サイレンススズカは無事なのか
当時、インターネットが普及していなかった為、続報を知るには23時に放送される競馬番組『中央競馬ハイライト』を待つしかなかった。
放送が開始し、天皇賞秋のリプレイ映像が流れた。厳しいとは思いつつも、一縷の望みをかけて、一命を取り留めたという報道を願った。
しかし、願いもむなしく、長岡一也アナの「サイレンススズカ号は予後不良」という言葉が聞こえた。
頭が真っ白になったのを覚えている。
結局、グラスワンダーやエルコンドルパサーと再戦を果たすことなく、稀代の逃げ馬は誰よりも早く、誕生した日に早逝したアイルトンセナの如く、音速で、手の届かない天国へ旅立ってしまった
あのまま無事に走り抜けていたら...タラレバだが、当時の馬場では破格のレコードタイムとなる1.57.2~7程でゴールを駆け抜け、大差勝ちをしていたのではないか
多くの見識者の意見だ。
レース後、武豊騎手はワインを飲みまくり号泣、後年、福永祐一現調教師によると「あんなに落ち込んだ豊さんを見たことがない」そうだ。
実家に飾ってある競馬ポスターの1枚は、
天皇賞秋の本馬場入場時、ラチを辿って歩くように観衆の前を通り、結果的に最後の晴れ姿となったワンシーン。武豊騎手サイン入りポスターである。
時を経て、2022年10月30日の天皇賞・秋。
1998年のサイレンススズカのペース、1000ⅿ57.4と同タイムで通過している馬がいた。その名はパンサラッサ。
この年、ドバイターフを同着1着で優勝した快速馬。後続を大きく離した直線、そのまま逃げ込みを図ったが、ゴール直線でイクイノックスが豪脚を繰り出して優勝。優勝タイムは1.57.5
その翌年、2023年10月29日。
1998年の天皇賞秋以降、どんなに強い勝ち方をしても、スズカがいたら何馬身前にいるのだろう・・・そんな幻影を抱いていた
しかし今回は違った。
逃げたジャックドールの前半の1000mの通過は、前年パンサラッサが逃げたときよりは0.3遅いが57.7の超ハイペース。
そんな中、2番手ガイアフォースと3番手イクイノックスは直後につけて、後半のペースを落とさせない。直線に向いて、逃げ馬と2番手の馬が激しく動かされているのに対して、3番手イクイノックスの手綱は持ったまま。軽く2頭を交わし追い出すと、後続を離して2.1/2馬身差の圧勝
なんと、前半1000メートル57秒7のハイペースを3番手でついていき、後半も57秒台前半でまとめるという驚速ラップで、走破時計は圧巻のレコード1.55.2!!
こんなレースであれば、ベストコンディションのスズカをも差しきれたのではないかそんなことをイメージできるレースを具現化してくれた。
あの沈黙の日曜日から四半世紀経ち、音速の貴公子の幻影をイクイノックスが解き放ってくれたのである。
この最強馬に、敬意と感謝を示したい。
時を戻そう
◇1998年12月27日/有馬記念(GI)
グラスワンダーは、沈黙の日曜日の翌週である11月7日にアルゼンチン共和国杯へ出走。ここを勝ってJC出走を予定していたが、6着に敗れた。
体調が戻っていないのか距離か早熟馬だったのか
そんな疑念を払拭出来ないまま、JCの回避が決定し、目標を有馬記念に切り替えた。
11月29日、その回避したJCを同世代ライバルのエルコンドルパサーが優勝。かつて主戦だった馬の活躍に、的場騎手は気が気でなかったはずだ。
そんな中で迎えた有馬記念。
有馬記念前の調教で、的場騎手が騎乗し鞭を連打し力を呼び覚まそうとする姿が話題となった。そして復活をかけて、セイウンスカイ、エアグルーヴ、メジロブライトに次ぐ4番人気での出走となった。
パドックでは下を向き、元気が無いように見えるグラスワンダー。決して良くは見えなかったが・・・
グラスワンダー復活
朝日杯以来、1年ぶりの勝利
やっぱり強かったあの強いグラスワンダーが戻ってきたのだ
この馬が一番強い
そんな余韻に浸りながら、1998年は幕を閉じた
続く。。。