今日みた夢はこうだった。ある不法な利得を得ていた成金がいた。その男は左右対称の豪邸に住んでいた。そこにまだ若い昭和天皇が伴を連れて通りかかった。天皇陛下は男の不正に気付いていた。その館は天皇陛下の目の前で溶け出した。彼の不正な財産は金やプラチナの金貨として建物に塗り込まれていた。館が溶けるにつれて、金貨等がボロボロと零れていった。

 夢の分析をする。今現在、妻の先祖の所有だったといわれる土地の特定作業をしていることが原因だろう。有力候補だった土地は全て昭和22年に相続税物納されていた。昭和20年に家督相続がされていたが、被火徳相続人の氏名を調べたら、著名な資産家、事業家だった。恐らく、戦後の次のような税制改革により、相続税を金納できなかったのだろう。

 1945年(昭和20年)11月16日、大蔵大臣は総司令部に宛てて書簡を発した。それによると、「貴官の方針及び指示」を体して平和的民主主義助長、国家財政再建、農業維持、金融機関再編、インフレーションに対する闘争を継続するため、戦時に生じた法人個人の利得を排除し、回収する。累進税率による一般的財産税を課す(第1項イロ)。

これに対して、同年11月24日、総司令部は「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する件」と言う覚書を発した。その内容は、長年の戦争で不法に富んだとされる者達の財産を除去し(覚書二)、その提案を含む法案を1946年開会の国会に提出せよ、と言うものであった(覚書三)。

これに基き、政府は1946年(昭和21年)2月17日、臨時財産調査令を発令した。これは財産税法制定のための下調べであった。第1条(本令ノ目的)では「本令ハ戦時利得ノ排除、国家財政ノ再建、国民経済ノ安定等ヲ目途トススル新税ノ創設及確保ニ資スル為法令ヲ以テ定ムル時期ニ於ケル個人及法人ノ財産等ヲ調査スルヲ以テ目的トスル」と定めている。先の大蔵大臣書簡そのままである。調査対象は預金、公債、社債、株式、手形小切手、投資信託受益権等その他命令で定める財産であり、これらに関する事項を税務署長に申告するものとされた(第2条第一号乃至第五号)。申告しない者に対しては効力・処分が制限若しくは禁止に関する定めをすることが出来た(第9条)。調査済みのものは封鎖され、申告書に申告済証紙を貼付することになっていた。

 こうして同年11月11日、財産税法が公布され、翌日に施行された。まず調査時期に有した全財産に課税される(第4条)。課税価格は10万円を超えるものに25%から1500万を越えるもに最高税率90%を課税するというものだった(第23条)。土地家屋は地租法8条、家屋税法6条に規定する賃貸価格に一定倍数を乗じた額とされ、その倍数は取引価格等を参酌して定められる(第25条、26条)。

 当時のインフレーションと最高税率90%と言う累進課税により、多くの大地主は土地を持ちきれずに処分した。税率90%に基づく納税をするにも地代統制令やインフレで収益が上がらない。こうした理由で結局、物納になった(同法第55条以下)。こうした物納については相続税も原因であった。