洗心寮には代々受け継がれていたと思われるアルバイトがあった。当時、九段下にあったそのアルバイト先は、地盤調査業界のリーディングカンパニーであり、徐々にその業績を上げ今では従業員も600人を超えているようだが、私は土木系では無かったこと、それよりも何よりも私が世間知らずだったため、当時そんな立派な会社だったことに少しも気付かなかった。

 

アルバイト先の社員の方達と打ち解けてきて徐々に私的な話もするようになってきた頃、九州出身の方がご自身の「入社後初の長期国内出張先」が、私が高校時代まで住んできたところだったことを聞いて先ず驚いた。そしてその出張期間中に疲れた体を和ませてくれたのが、滞在していた旅館のご主人の娘さん(当時小学生?)だったらしいが、その娘さんが偶然にも私が高校1年のときのクラスメートであったことが分かった時には更に驚いた。高校の卒業アルバムの集合写真を見せるなり、その方は「間違いない!」と。東北と九州という何千キロも離れた場所で育ったにもかかわらず、そこに共通の知り合いが居たという事実は、なんとも形容しがたい不思議な縁を感じた。そんな話で盛り上がっているうちにお互いが走ることに興味があることが分かり、「じゃあ走るか」というその方の一言から間もなくその会社の近くである皇居の周回を一緒に走るようになった。

 

走り始めた頃は、その九州出身の方、その方の直属の部下のような感じの東北出身の方、そして私の3人だけだったが徐々にその人数が増え、私が就職のために郷里の東北地方へ帰ることになった頃には皇居周回の駅伝に複数チームが参加できるまでに増えていた。更にその数年後には、会社からの予算を貰える正式なクラブにまで発展し、そのタイミングでそれまでの活動などを纏めた記念誌なるものが製本された。そして有難いことにそれが私の手元にも届いた。その記念誌は「じゃあ走るか」という前述の文言から始まっていた。